Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

鰻重と家族の会話

2017年07月19日 22時35分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は暑さの中、鰻専門店に行った。これまで毎年夏に行っていた鰻店とは違う店を見つけた。これまでの店よりは少し遠いのだが、安かった。安くてもなかなか美味しい。白焼きが1700円と1100円。うな重は2100円と1700円。私は生ビールと1100円の白焼き。妻は生ビールと1700円のうな重。二人共控え目な注文にした。妻の残した生ビールと鰻重の六分の一ほどを貰って、量としては私も妻も満足。
 お店は外観よりも中はきれいで好感が持てた。わたしたちが帰る頃は席がすべて埋まっていた。
 ただし美味しい日本酒がなかったのが残念。家族連れで来るにはいい店なのだろう。
 隣の4人掛けの席に着いた50代半ばの夫婦と30歳前と思われる息子の3人連れ、席に着くやいなや3人それぞれにスマホをいじり始め、私たち夫婦が変えるまでまったく無言でそれぞれがスマホの世界にはまっていた。ゲームではないらしいが、会話はまったくなかった。
 途中注文を取りに来た時だけそれぞれの声を聞いたが、注文したものが出てきて食べ始めても会話はなく、画面を見ながら箸と口が動いていた。とても不思議な光景を見た気分になった。

「不染鉄」展 感想2

2017年07月19日 18時20分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 戦前の作品でもっとも筆の力を感じ、そして異様な視点と構図に目を見張ったのがこの作品である。チラシにも取り上げられている「山海図絵(伊豆の追憶)」(1925年 木下美術館蔵)と題された第6回帝展入選作。34歳の作品である。
 手前に伊豆の南端の下田の面している太平洋から富士山を組正面に据え、富士山の背後に広がる甲斐・信濃と思われる山村を越えて、日本海に面する漁村の佇まいと思われる景色まで描き込んである。しかも富士山の向こう側は雪に覆われている。
 手前の太平洋岸は海の中の魚の群れまで描いている。手前の太平洋岸の季節は海の様子からはわからないが、富士山と海岸線の間の森や畑の黄色の色彩からは冬枯れかと思われる。画面の真ん中には列車が描かれている。
 家々の細かい描写は独特の細密画風であり、家々の窓や引き戸の向こう側には人間すら描かれているのではないかと思われる。実際に人間が描かれていたかどうかは判別は難しく確認できなかったのが残念である。しかし富士山の向こう側の雪に埋もれた家々からも家族の会話が聞こえてきそうな感じがする。人は描かれていないが、人への関心、人の生活の痕跡に対する興味をこの画家は手放してはいない。
 高所からの鳥瞰図の視点、細密画のような望遠鏡をのぞくような視点、見えないはずの遠点を描く視点、左右対称に描かれたあり得ない富士山の形によって安定した構図、時間と空間を作者の力技で強引に画面の中に押し込めたような構図は類型的な富士山からは大きく逸脱している。
 子どもの絵のような視点・視線で支えられているように感じた。
 1925年に描かれているこの作品以降、翌年の「秋色山村」「晩秋画房」「思出之記」3部作とひとつのなだらかないただきのような作品が並ぶが、それらを除いて1930年代から敗戦の1945年を経て1950年代まで残念ながら私がはっとした作品には目にかかれなかった。富士山の作品が繰り返し描かれ、それらが並んでいたが、似た構図と配色で、大人しく自足してしまったように思える。作品を時系列に眺めても躍動感、構図や配色の冒険が見られなかったと思われた。
 しかし1950年ころから再び作家としては大きな転換を迎えるように私には思えた。


今年2度目のウナギとなるか

2017年07月19日 12時33分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から雲が厚い。陽射しはときどきしかないので、なんとなくすっきりしない。しかし本日梅雨明けと発表されたようだ。南関東では空梅雨のような気候がつづしたので「昨日の雨が梅雨明けの天からのご託宣」のようだと友人の言。なるほどそういう表現の仕方もあるかもしれないと納得した。気象庁という人為的な組織からの宣言よりも、自然自らのサインだったのかもしれない。
 梅雨明け直前の雷雨、というものが昔から言われていた。

 本日の夕食は今年2度目のウナギにしようか、という妻のひとこと。先月は自宅でウナギを食べた。今回は外でウナギ専門店でということなので、喜んで了承した。これから所用を済ませに出かけ、病院に行ってから待ち合わせすることにした。