横浜では本日の最高気温が32.9℃で13時半ころに記録したようだ。今年もっとも暑い日であった。みなとみらい地区を歩いたが、暑かったことは確かだが、ビル風でそれほどには感じなかった。
本日の講座は、「プーチンのロシア-ロシア革命から100年」と題して和田春樹東大名誉教授。学生の頃からいくつかの論考は岩波書店の月刊誌「世界」で読んだことがある。本日も北方四島の扱いについては確か1980年代後半に読んだ記憶がある。いろいろと示唆に富む指摘があったと思う。今後も機会があれば、論考を読んでみたいと思った。
本日の講座は、「プーチンのロシア-ロシア革命から100年」と題して和田春樹東大名誉教授。学生の頃からいくつかの論考は岩波書店の月刊誌「世界」で読んだことがある。本日も北方四島の扱いについては確か1980年代後半に読んだ記憶がある。いろいろと示唆に富む指摘があったと思う。今後も機会があれば、論考を読んでみたいと思った。
先ほど帰宅してNHKのFM放送をかけたら、ブラームスの交響曲第4番の第2楽章が聴こえてきた。あわてて蛮組表をみたところ、サヴァリッシュ指揮のNHK交響楽団、1994年にNHKホールでの録音となっていた。
この演奏の前には同じブラームスのピアノ協奏曲第2番、ピアノはアンドラ―シュ・シフという組合せであった。
すくなくとも交響曲第4番は最初から聴きたかった。ひょっとしたら私の持っているカラヤン、ベルリンフィルの組み合わせよりも私には向いているのかもしれない。
どこがどう違うのか、と問われると具体的に答えられないのだが、過剰な強調やこれ見よがしの演奏ではないのがうれしいと思った。安心して聴くことが出来ると感じた。耳に心地よいと思っているうちに最後まで聴いていた。
サヴァリッシュであればどんなオーケストラでもいいのか、といわれるとそうもいかないがそれでもサヴァリッシュの指揮のCDを購入したいとあらためて思った。
この演奏の前には同じブラームスのピアノ協奏曲第2番、ピアノはアンドラ―シュ・シフという組合せであった。
すくなくとも交響曲第4番は最初から聴きたかった。ひょっとしたら私の持っているカラヤン、ベルリンフィルの組み合わせよりも私には向いているのかもしれない。
どこがどう違うのか、と問われると具体的に答えられないのだが、過剰な強調やこれ見よがしの演奏ではないのがうれしいと思った。安心して聴くことが出来ると感じた。耳に心地よいと思っているうちに最後まで聴いていた。
サヴァリッシュであればどんなオーケストラでもいいのか、といわれるとそうもいかないがそれでもサヴァリッシュの指揮のCDを購入したいとあらためて思った。
★彦星し 妻迎へ船 漕ぎ出(づ)らし 天の川原に 霧の立てるは (巻8 1527)
★霞立つ 天の川原に 君待つと い行き返るに 裳の裾濡れぬ (巻8 1528)
★天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 船出すらしも (巻8 1529)
7月7日というのは旧暦で考えれば今年は8月28日、ということで本来は七夕は秋の扱いとなる。中国の説話では、「織女は天帝の娘で天の川の西岸に住む牽牛のもとに嫁がされた。しかし次第に機織りの仕事を怠けたので、天帝は織女を天の川の東岸に住まわせ、一年に一度しか会えないようにした」ということになっている。中国では織女にちなんで女性の手芸の技が向上するのを祈る祭りでもある。さらに織女が天の川を渡って牽牛に逢いに行く設定である。
妻問婚の日本に合わせて、牽牛が織女を訪れるというふうに変換されている。
大岡信の訳を参考に掲げる。
「彦星が妻迎え船を漕ぎ出したらしい。天の河原に霧が立っているのを見ると(櫂のしずくが霧となって散っている)」(1527)
「霧の立っている天の河原であなた(彦星)のおいでを待ちかねて、行きつ戻りつしているうちに、裳の裾も濡れそぼってしまった」(1528)
「天の川の浮き桟橋の波音が騒がしく聞こえる。私の待っているいとしい方が、いよいよ船を漕ぎ出したらしい」(1529)
星にまつわる伝承・伝説は日本では労働(農・漁業)に基づく季節を知るためのものが多い。男女の関係の機微にまつわるものは、この日本の習俗に転換された七夕の祭り集約されてしまったかのようである。一年に一度しか逢えないが相思相愛を持続するという設定が人気の秘密なのだろうか。大岡信は「菊田一夫の「君の名は」を貫いているのも、つまりこれと同じ原理」としるしている。この飛躍にちょっと驚いている。
★霞立つ 天の川原に 君待つと い行き返るに 裳の裾濡れぬ (巻8 1528)
★天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 船出すらしも (巻8 1529)
7月7日というのは旧暦で考えれば今年は8月28日、ということで本来は七夕は秋の扱いとなる。中国の説話では、「織女は天帝の娘で天の川の西岸に住む牽牛のもとに嫁がされた。しかし次第に機織りの仕事を怠けたので、天帝は織女を天の川の東岸に住まわせ、一年に一度しか会えないようにした」ということになっている。中国では織女にちなんで女性の手芸の技が向上するのを祈る祭りでもある。さらに織女が天の川を渡って牽牛に逢いに行く設定である。
妻問婚の日本に合わせて、牽牛が織女を訪れるというふうに変換されている。
大岡信の訳を参考に掲げる。
「彦星が妻迎え船を漕ぎ出したらしい。天の河原に霧が立っているのを見ると(櫂のしずくが霧となって散っている)」(1527)
「霧の立っている天の河原であなた(彦星)のおいでを待ちかねて、行きつ戻りつしているうちに、裳の裾も濡れそぼってしまった」(1528)
「天の川の浮き桟橋の波音が騒がしく聞こえる。私の待っているいとしい方が、いよいよ船を漕ぎ出したらしい」(1529)
星にまつわる伝承・伝説は日本では労働(農・漁業)に基づく季節を知るためのものが多い。男女の関係の機微にまつわるものは、この日本の習俗に転換された七夕の祭り集約されてしまったかのようである。一年に一度しか逢えないが相思相愛を持続するという設定が人気の秘密なのだろうか。大岡信は「菊田一夫の「君の名は」を貫いているのも、つまりこれと同じ原理」としるしている。この飛躍にちょっと驚いている。