Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりにベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」

2017年07月16日 23時04分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の夜は家族3人で外食。割引券のあった目当ての韓国料理店は満員で90分待ちとのことで断念。そのそばに半個室の和風の居酒屋があり、空き室があったのでうまい具合にもぐり込めた。和風のピザやサラダを中心に注文。アオサのスープに入った豆腐が食欲をそそった。私は安いハイボールを3杯ほど飲んだが、大分効いた。2杯目を飲み終わる頃にはすっかり眠くなってしまった。
 本当は2日連続の休肝日にしようという思いもあったが、居酒屋で母親と妻がグラスビールを飲んでいるのに私がソフトドリンクというのはつらいと勝手な理由をつけて飲んでしまった。



 帰宅後はベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴きながら、ボーっとしている。もう幾度もこのCDは取り上げている。ヨゼフ・スークのヴァイオリン、フランツ・コンヴィチュニー指揮のチェコフィル、録音が1962年と古いが、私の好みである。
 ジョセフィーヌという女性との恋愛が、第5交響曲の途中で明るい第4交響曲を生み、このヴァイオリン協奏曲を生んだ、といわれている。このCDの解説では、「隣家の戸をたたく音をきいてヒントを得たというのであるが、これを途中まで書きかけて中断した第5交響曲の運命が戸をたたく音と比較してみることは、作曲者の心理状態というものが、どのように具体的に音になって作品に反映されるかを示す興味深い一例といえる」としるしている。
 第5交響曲のモティーフは、8分音符の同音3回に3度下の二分音符の繰り返しであり、不自然で切羽詰まった不安を内包している。これに対してヴァイオリン協奏曲の冒頭のティンパニーによる隣家の戸をたたく音は、四分音符4つの同音の繰り返しで、ゆったりした主題を導き出す自然なリズムである。戸惑いも不安も感じられない。
 しかしだからこそこの4つの音は難しい。柔らかすぎる音色でも、鋭すぎてもいけない。全くの均等な俳文では素っ気なさすぎる。クレッシェンドでもディミヌエンドでもない。抑揚をつけすぎても、素っ気なさ過ぎてもいけない。3拍目を少し長めに、4拍目を弱めにして主題の出だしの音にスムーズにつなげる。
 スークの音色だけではなく、私の一番気に入っているティンパニーもこのCDである。

世界平和アピール七人委員会アピール

2017年07月16日 13時50分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 世界平和アピール七人委員会が7月10日連れでアピールを発表した。
⇒【http://worldpeace7.jp/?p=1016
 いつものとおりこのブログに転載してみる。

「核兵器禁止条約採択を心から歓迎する」

                   2017年7月10日
                   世界平和アピール七人委員会
                   武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二
                   池内了 池辺晋一郎 高村薫

 私たち世界平和アピール七人委員会は、核兵器禁止条約交渉会議のホワイト議長をはじめ、今回の条約成立に力を尽くしてきた諸国と国際赤十字、多くのNGO、そして広島・長崎の被爆者、世界各地の核実験の被害者の長年の尽力に心から敬意を表する。

 この条約が国連加盟193か国の3分の2に近い賛成122票、反対1票、棄権1票で採択されたことは、核兵器廃絶に向けての大きな一歩であり、長年にわたりその実現を願い、努力を続けてきた被爆者、日本国民にとっても大きな喜びである。

 大量破壊兵器である核兵器の持つ非人道性は議論の余地がなく、放出される放射線の影響は目標にとどまらず地球全体に広がり、長期間にわたって被害を与え続ける。日本国政府が戦争で核兵器を使用された唯一の国として貢献できる機会に自ら背を向けて退席し、国連本部外で行われた核兵器保有国と核の傘に固執する少数国の会合に参加し、さらに「条約には署名しない」と改めて表明したことは、歴史に残る汚点であり、核兵器廃絶を目指す世界の人たちに対して恥ずべき行動だった。

 自らの核兵器保有と核の傘依存を続ける一方で、他国の核兵器開発の糾弾を続けることは、非難の応酬を加速させるばかりか、核兵器使用の危険性を増大させ、国民の安全保障を損なうものであって、核兵器廃絶への道ではない。私たちは、日本国政府を含む不参加国が態度を変えて、現在と将来の世代のために、核兵器のない世界を実現させるこれからの行動に参加することを求める。

朝早くから告別式

2017年07月16日 09時22分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝は朝早くからお葬式。昨晩の通夜には会議で参列できなかったので、本日の告別式の参加となった。地域ごとにお葬式の在り方は少しずつ違いがある。関東でも違うので一般化するのは難しいものがあるが、少なくとも横浜では通夜は主として友人・知人が集まる。告別式は近しい親族と、通夜に出られなかった友人・知人が参加することが多いといってもよいのではないか。むろん夜のほうが昼間働いているかたは参列しやすいこともある。
 最近は人が集まることのできる場所が限られてきた。以前は自宅や町内会館などでも時々葬式が行われたが、最近はほとんど葬儀場が使われる。むろん葬儀場は仕事として貸し出しをしているから、それなりの値段を払わなければならない。悲しいかな遺族にとっては葬儀そのものが負担である。
 家で終末を迎えたかった故人のために自宅を使いたい、という事例も多々あるようだが、柩の出入りなどの制約や、一時的にしろ人の出入りの多さからマンションや集合住宅では難しい場合が多い。遺体をマンションなどに一晩でも置くことに管理組合や周囲の家が拒否したり、規約上できなくなってくることも想像されないだろうか。世の中、なかなか難しいことになっている。

 参列する友人は少ないと思われるし、お店もあいていないので、すぐに自宅に戻れる。だが、いったん家に戻るとこの暑さでは再び出かける気は起きない。
 参列後はどのようなことになるか‥。

「道の長手を繰り畳ね‥」(万葉集巻15から)

2017年07月16日 00時12分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 万葉集巻15は大伴家持の編纂の可能性が極めて高いという。前半部分の7首を取り上げたが、今回は巻15の後半の63首から。
 前半の「遣新羅使」が帰郷してから3年後、中臣朝臣宅守(やかもり)という官人が勅勘を蒙り越前の国府に配流となる。勅勘の内容は伝わらない。この宅守は狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)を娶ったばかりで、別れ住むこととなり多くの歌を取り交わした。
 伊藤博の集英社文庫の解説では、「万葉の非別歌はかならず女の歌から始まる」と記している。この63首のシリーズも娘子から宅守への4首から始まる。

★あしひきの 山道(やまぢ)超えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし  (3723)
★君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも    (3724)
★我が背子し けだし罷(まか)らば 白𣑥(しろたへ)の 袖を振らさね 見つつ偲はむ
(3725)
★このころは 恋ひつつもあらむ 玉櫛笥(たまくしげ) 明けてをちより すべなかるべし
(3726)


 最初の2首は大岡信の訳、あとの2首は伊藤博の訳を引用する。

3723 アシヒキの山路を超えて越前まで行こうとするあなたを、心に抱きしめて、私は不安でたまりません。
3724 あなたが行く、配所への長い道、その道をくりくりと手繰り寄せ、折り畳んで焼き滅ぼしてくれるであろう天の火よ、どうかあれを焼き尽くしておくれ
3725 いとしいあなた、あなたが万が一、遠い国に下っていかれるなら、その時は、真っ白な衣の袖を私に振ってください。せめてそれを見てお偲びしたいと思います。
3726 今のうちは、恋い焦がれながらもまたこうして我慢もできましょう。だけど、一夜明けた明日からは、どうして過ごしてよいのやらなすすべもなくなることでしょう。

 最初の2首はすんなりと理解できる。そして第2首は多くの人が指摘するように万葉集のなかでも絶唱といわれる歌のひとつである。「日本の和歌が、本質的・根源的に、「女性」とは切っても切れない性質のものであったということを考えの中心に置かない限り、個々の和歌を見る見方も、必然的に偏ったものになる」と大岡信は述べている。

 しかし第3首以降は少し様相が違う。前2首は男の配流先がわかっていて実際の別れを下敷きとしたものであろう。すくなくとも別れる直前の嘆き、悲しみを詠っている。嘆き・悲しみが具体的な別れを目前にした現実性がある。
 つまり第3首はまだ配流先が未定のときの歌と解釈できる。すくなくとも勅勘を蒙り、刑が確定する前、それこそ捕縛される直前の不安な怯える日々の歌であるようだ。

 そして第4首は結ばれたばかりの若い娘の感慨というに私は躊躇する。これはもっと大人の、それこそ孫でもいそうな高齢になってから若いころの別れの悲しみを回想したように心境に思えないだろうか。若ければ今の別れを我慢などできない。明日のことなど考えられない。

 この1連の4首は伊藤博は「起承転結」といっているが、前2首を下敷きに別の歌2首をくっつけたものと思っている。