先の記事のコメントでリクエストのように触れてあった作品にこの2作品がある。

まずは伊藤若冲の「果蔬涅槃図」。伊藤若冲の晩年の作品として展示されており、多分1790年以降の作品なのであろうか。若冲70代以降ということになるのであろう。解説に拠れば1794年以降の可能性が高いらしいが、そうならば78歳以降という最晩年である。
釈迦入滅の様子を描く涅槃図を60種以上の果物・野菜に置き換えた作品。発想の奇抜が売りだが、決して際物には思えない。嫌味な後味も感じられない。それは果物・野菜という素材だからだと思う。また若冲の家業が青物問屋であることも自然な成り行きなのであろうか。
二股大根が釈迦で、籠が寝台である。普通釈迦の周りを取り囲む諸菩薩・仏弟子や動物たちが蕪や糸瓜・茄子になり、沙羅双樹のはずの木々が玉蜀黍となってしまうユーモアには、脱帽である。
細密描写や大胆なデフォルメが身上の若冲であるが、このように果蔬という極めて身近なものに若冲特有のデフォルメを加えるとこのように手元に置いても決して飽きることの無い自然な作品として生活の中に溶け込んでいくような雰囲気の作品になる。これが八百屋のカレンダーの絵として、あるいは縁起物として店先にぶら下がっているのを想像してみよう。決して違和感のないポスターに成り得る作品である。しかもこの作品が極彩色ではなく、水墨画であることが効果的と云えると思う。

同じく蕪村晩年の作品である「鳶・鴉図」は展示されている順から勝手に想像すると1782年頃の作品に想定されるのかもしれない。
解説によれば、嵐と雪、一羽と二羽、嵐の有音と雪の無音、白と黒、さまざまな対比の妙が、対の絵同士、あるいはひとつの絵の中でもあり、それが魅力ということとなっている。
私は鴉が対になっていて、鳶と視線をぶつけ合いながら対峙しているように最初は思ったが、静かな雪と嵐のような激しい筆遣いの鳶の背景に気がついて場も時間も別々であると理解した。
鴉が番のように仲睦まじいという場面からは俳味がある。一方鳶の持つ古来からの厳しい自然と対峙している厳しいイメージがそのまま利用されている。俳味と古来からのイメージの対比というものなのかもしれない。
雪曇り身の上を啼く鴉かな(内藤丈草)
などの句が思い浮かばれる。
実はこの絵、昔見た本で紹介されていたがその本の絵ではだいぶ褪せた感じであった。実際に実物を見て、黒い色がこれほど鮮やかでくっきりしているとは思わなかった。特に鴉の黒が印象的であった。そして雪の描写に惹かれた。鮮明で強い筆致に好感を持った。
鳶の絵の方では眼を見開いて風に向かっている姿勢があまりに写実的なのにあらためて驚いた。鴉の方はどちらかというと写実的というよりも心象的な姿態である。写実と心象の対比という見方も面白いかもしれない。
残念ながらこの2作品は前期展示(~4/13)なので、本日はもう会場から姿をけしてしまう。

まずは伊藤若冲の「果蔬涅槃図」。伊藤若冲の晩年の作品として展示されており、多分1790年以降の作品なのであろうか。若冲70代以降ということになるのであろう。解説に拠れば1794年以降の可能性が高いらしいが、そうならば78歳以降という最晩年である。
釈迦入滅の様子を描く涅槃図を60種以上の果物・野菜に置き換えた作品。発想の奇抜が売りだが、決して際物には思えない。嫌味な後味も感じられない。それは果物・野菜という素材だからだと思う。また若冲の家業が青物問屋であることも自然な成り行きなのであろうか。
二股大根が釈迦で、籠が寝台である。普通釈迦の周りを取り囲む諸菩薩・仏弟子や動物たちが蕪や糸瓜・茄子になり、沙羅双樹のはずの木々が玉蜀黍となってしまうユーモアには、脱帽である。
細密描写や大胆なデフォルメが身上の若冲であるが、このように果蔬という極めて身近なものに若冲特有のデフォルメを加えるとこのように手元に置いても決して飽きることの無い自然な作品として生活の中に溶け込んでいくような雰囲気の作品になる。これが八百屋のカレンダーの絵として、あるいは縁起物として店先にぶら下がっているのを想像してみよう。決して違和感のないポスターに成り得る作品である。しかもこの作品が極彩色ではなく、水墨画であることが効果的と云えると思う。

同じく蕪村晩年の作品である「鳶・鴉図」は展示されている順から勝手に想像すると1782年頃の作品に想定されるのかもしれない。
解説によれば、嵐と雪、一羽と二羽、嵐の有音と雪の無音、白と黒、さまざまな対比の妙が、対の絵同士、あるいはひとつの絵の中でもあり、それが魅力ということとなっている。
私は鴉が対になっていて、鳶と視線をぶつけ合いながら対峙しているように最初は思ったが、静かな雪と嵐のような激しい筆遣いの鳶の背景に気がついて場も時間も別々であると理解した。
鴉が番のように仲睦まじいという場面からは俳味がある。一方鳶の持つ古来からの厳しい自然と対峙している厳しいイメージがそのまま利用されている。俳味と古来からのイメージの対比というものなのかもしれない。
雪曇り身の上を啼く鴉かな(内藤丈草)
などの句が思い浮かばれる。
実はこの絵、昔見た本で紹介されていたがその本の絵ではだいぶ褪せた感じであった。実際に実物を見て、黒い色がこれほど鮮やかでくっきりしているとは思わなかった。特に鴉の黒が印象的であった。そして雪の描写に惹かれた。鮮明で強い筆致に好感を持った。
鳶の絵の方では眼を見開いて風に向かっている姿勢があまりに写実的なのにあらためて驚いた。鴉の方はどちらかというと写実的というよりも心象的な姿態である。写実と心象の対比という見方も面白いかもしれない。
残念ながらこの2作品は前期展示(~4/13)なので、本日はもう会場から姿をけしてしまう。