「現在の方が遥かに忙しい様に思える」「週休二日制を」というご指摘をいただいた。とてもありがたいアドバイスと受け止めている。すでに妻からも、またブログのコメントをもらっている他の方からもやはり同様の指摘をもらっている。
現役の頃と現在を比べるとどちらが忙しいのか。自分でもよくわからないだが、多分、今の方が好きなことばかりしていることは確かである。
現役の頃は労働組合の専従役員になることは拒否をし続けてそれが私の誇り・自負とし、常に仕事を人以上にこなしてきた。現場から離れた労働組合の役員というのは必要悪であると思っている。そのような立場に自分を追い込みたくなかった。
そういった意味で労働組合の役員として自分の培ってきた人脈を大切に維持していきたいという思いと、自分が40数年前からやりたかった各種の講座の受講ばかりを今しているので、忙しいという感覚よりも、楽しいという感覚が先に立ってしまう。
つまり忙しさが、忙しい・苦痛であると感じないのがいけないと思っている。そのためにいっそう自分を慌ただしい方へ追い込んでしまう。もともと他の人から「貧乏性」と云われ、自分でもそう自称していた頃がある。いつも何かに追われるように何かをしていないと何か不安なのである。そこに自分をどんどん追い込んでいく癖がある。
いつも緊張の糸がピンと張っていないと落ち着かないのだ。そうすると緊張がぷつんと切れたときの反動が極めてひどい。切れたときの痛手が極めて大きい。その痛手に耐えている自分をまた自分で愉しんで眺めていいる自分がいる。痛めつけられるのが快感になっていることがある。
これはこのような慌ただしい自分に余程自覚的にならない限り、週休二日を実践することは難しいようだ。
退職者会の取組みの中で、楽しみを見つけ、ストレスの解消法を身につけないとまずいようだ。それを模索しながら対応するしかないのだと思う。
明日の会計監査に向けて本日中に資料を4部印刷しなくてはいけない。これから30分で作り上げてしまいたい。
現役の頃と現在を比べるとどちらが忙しいのか。自分でもよくわからないだが、多分、今の方が好きなことばかりしていることは確かである。
現役の頃は労働組合の専従役員になることは拒否をし続けてそれが私の誇り・自負とし、常に仕事を人以上にこなしてきた。現場から離れた労働組合の役員というのは必要悪であると思っている。そのような立場に自分を追い込みたくなかった。
そういった意味で労働組合の役員として自分の培ってきた人脈を大切に維持していきたいという思いと、自分が40数年前からやりたかった各種の講座の受講ばかりを今しているので、忙しいという感覚よりも、楽しいという感覚が先に立ってしまう。
つまり忙しさが、忙しい・苦痛であると感じないのがいけないと思っている。そのためにいっそう自分を慌ただしい方へ追い込んでしまう。もともと他の人から「貧乏性」と云われ、自分でもそう自称していた頃がある。いつも何かに追われるように何かをしていないと何か不安なのである。そこに自分をどんどん追い込んでいく癖がある。
いつも緊張の糸がピンと張っていないと落ち着かないのだ。そうすると緊張がぷつんと切れたときの反動が極めてひどい。切れたときの痛手が極めて大きい。その痛手に耐えている自分をまた自分で愉しんで眺めていいる自分がいる。痛めつけられるのが快感になっていることがある。
これはこのような慌ただしい自分に余程自覚的にならない限り、週休二日を実践することは難しいようだ。
退職者会の取組みの中で、楽しみを見つけ、ストレスの解消法を身につけないとまずいようだ。それを模索しながら対応するしかないのだと思う。
明日の会計監査に向けて本日中に資料を4部印刷しなくてはいけない。これから30分で作り上げてしまいたい。