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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

定朝

2014年11月14日 18時07分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日「定朝」についてあやふやな記憶をそのまま記載した。本日の講座のレジュメで触れていたが藤原頼通によって建てられた宇治の平等院のあの阿弥陀仏を制作したのが「定朝」であった。記憶とは本当に頼りないものである。

Wikipediaの記事を要約すると、
略歴:仏師康尚の子。治安2年(1022年)法成寺金堂・五大堂の造仏の功績により、仏師として初めて法橋になった。定朝が法橋を望み、藤原道長もためらったが、藤原実資の助言で与えられた(『小右記』等)。工房はきわめて大規模で、万寿3年行われた中宮威子の御産祈祷のための27体の等身仏は、125人もの仏師を動員して造られた。晩年の京都西院の丈六阿弥陀如来坐像は、当時の公家たちを魅了した。京都市の上品蓮台寺に墓所が現存する。
作品:現存する確実な遺作は平等院本尊の木造阿弥陀如来坐像(国宝)。全てを柔らかな曲線と曲面でまとめ、彫りが浅く平行して流れる衣文、瞑想的でありながら微睡むような表情など、それまで一木造特有の重みや物質感を廃した柔和で優美な造形が特徴である。定朝の仏像は、平安貴族の好尚に合致し「仏の本様」と讃えられた。定朝は天平時代の古典彫刻学び、寄木造や内刳りという新技法を組み合わせて独自の作風を切り開いた。各地には定朝作と伝えられている仏像が残るが、その大半は別人の作だと考えられている。

 彫刻家の籔内佐斗司氏は、鎌倉時代の「運慶に代表される慶派の活動を考えるとき、そのひと時代前の「定朝」の活動と対比させることによって、鎌倉時代の慶派集団の活動の特徴がより際立ってくる」と指摘している。

 とりあえず予習として頭の中に入れておこうと思った。私は仏像を見るのは好きだが、時代や作家や特徴といった基本的な知識はとても曖昧である。知る楽しみを残しておこう。
 「美術館めぐりを楽しむ‥」の講座とこの「平安人物伝」の講座の接点があったことが嬉しい。

本日から始まる講座

2014年11月14日 08時05分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日からの講座は「平安人物伝-11世紀-」。講師は前田禎彦神奈川大学准教授。
 取り上げる人物は、藤原頼通、藤原資房、平忠常、定朝、成尋。 私がそれなりに知っているのは摂政・関白を続けた頼通位。といっても高校の教科書に毛の生えた程度でしかない。
 資房については何も知らない。
 忠常はこの時代に房総で乱の首謀者として名が教科書に載っていたという程度しか知らない。
 定朝はこの時代の仏師ということだけしか知らなかった。
 成尋は僧侶ということしか知らない。
 要するにほとんど知らない人物が4人並んでいる。
 忠常、定朝については基本的知識が欲しいと感じている。忠常は将門との関連も含めて知りたかった。また定朝は仏像彫刻の基本的な知識の一環として、日本美術を理解する一助として是非知りたかった。
 これまで繁田信一氏の講座で藤原実資を軸に当時の貴族とそれを支える人々についての講座を受講してきたが、少し視点を変えて見るためにこの講座を選択してみた。