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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

飲み過ぎというよりも食べ過ぎか?

2014年11月06日 23時31分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど大久保駅から無事自宅に戻ったが、湘南新宿ラインに乗っているうちに途中で気分が悪くなりかけた。胃の部分がとても痛く疼いた。さいわい横浜駅まで我慢できたうえに、横浜からの地下鉄でも特に問題はなく、助かった。
 家に着いてすぐに椅子に座ってしばらく安静にしていたら、すっかり回復した。どうも飲み過ぎではなく、ツマミの食べ過ぎないし、消化に良くないものを胃に詰め込んだのが良くなかったかもしれない。焼き鳥の軟骨が胃に負担になっていた可能性がありそうだ。
 いつものとおり、野菜と豆腐と魚を中心のツマミにすればよかったと反省。最近はお酒に限らず何事につけても、失敗が多い。講座の始まる時間や課目を間違えたり、曜日がこんがらがってしまったりする。その都度妻や友人が訂正してくれた事なきを得ている。
 「反省するだけなら猿でもできる」とか「そんな反省なら猿に失礼」などという冗談がだんだん切羽詰まって来ているのだろうか。そんな不安が頭をもたげている。

 ある友人のアドバイスは、「まずはお酒にかかわる失敗をしないようにすること。それが出来てはじめて他に意識を回した方が安全ではないか?」というもの。もっともな忠告である。明日は休肝日としなくてはいけない。


昼から短時間だが来客

2014年11月06日 10時31分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私が就職したころの友人がお昼過ぎに久しぶりに我が家にくる。二人とも退職して時間できた。それでもう一人とちょっとした読書会でもやってみようかということで、レジュメの案とテキストを届けてくれるという。ありがたいものである。

 我が家に来客というのはそういえば久しぶりである。私は人と会うのはいつも家の外。自宅はあくまでも私的な空間にしている。ひょっとしたら他者を寄せ付けていないような雰囲気が玄関に漂っているのかもしれない。

 子供が小さい頃は同じ年頃の子供がしょっちゅう行ったり来たりしていた。誕生会などもいつもの食事の延長で5~6人で賑やかにやっていた。子供が中学生にもなるとそのようなことはなくなる。
 妻も友人と会うのは外である。
 団地の中でも家に人を招くようなことはない。決して我が家だけの状態ともいえない。テレビなどではよく家族以外の人が出入りする家庭の場面が、ドラマでもドキュメンタリーでも、実況中継でもあるが、今の時代、今の都市の生活の中でそこまでの付き合いが日常的なのだろうかと思うことがある。

 無論人の出入りの多いことは悪いことではない。生活に潤いや刺激があっていいことも多々ある。特に高齢者世帯では必要なことである。しかし若い人たちがそこまで家庭をオープンにしたくないという意向も強くなっていることは確かだ。せめて家庭だけでも社会から隔絶したい、狭い空間だが閉じ籠る時分だけの世界を構築したい、という気持ちが私にはよくわかる。私が就職したころは、車の中がそんな感じの空間だったような気がする。

 このような事態が、やはり現代の都市生活の問題点ともつながっている、と直感はしているが、だからといってそれをどう解剖し、分析し、何を展望するか、というところまでは考えることはしていない。