Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

黄砂ではなく煙霧!

2013年03月10日 22時11分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後2時以降のスモッグ用の雲について、気象庁は「黄砂」ではなく「煙霧」と発表した。煙霧とは何かと思い、ネットで検索してみると、次のような解説が出て来た。

 気象現象としての「煙霧」は、以下の現象を包含する総称である。
・風によってちりや砂ぼこりが地面から巻き上げられる現象(風じん)。
・風で巻き上げられたちりや砂ぼこりが、風が止んでからも浮遊する現象(ちり煙霧)。
 特に日本では、中国・モンゴル等の乾燥地帯由来のちりや砂ぼこりが飛来するものを黄砂と呼び、気象観測でもちり煙霧と区別することがある。
・山火事、火災、工場排気、自動車排気などから出た燃焼物由来の微粒子が浮遊する現象(煙、ばい煙)
・物の破砕や産業活動等によって主に人工的に生じる微粒子(粉じん、粉粒体)が浮遊している状態工場排気、自動車排気等に含まれる気体成分が大気中で変質した固体の微粒子が浮遊している状態
・火山から噴出した火山灰が降下する現象(降灰)
・海塩粒子等の自然由来の微粒子が浮遊している状態
 観測者の周りの大気が上記のような状態であるときの天気を煙霧という。
 また大気汚染による煙霧は「スモッグ」とも呼ばれる。スモッグは煙と霧を合成したことばであり、元来は燃焼物に由来する煙と自然に発生する霧の混合したものを指していたが、現在は排気ガスの変質により人体に有害な気体成分を含むものを「光化学スモッグ」と呼ぶようになった。

 これでも半分くらいに短くしてみたのだが、要は巻き上げられた砂塵と言うことなのだろうか。工場の排気、自動車の排気ガスに由来するものではないことを願いたい。

 大気汚染といえば、いま中国で話題となり日本にも押し寄せている大気汚染、1960年代の日本の大気汚染の再来みたいなものなのではないだろうか。
 健康に対するキチンとした対策は必要だ。しかしこれについて中国に対する過剰とも思える攻撃がさかんだが、日本も1960年代当時は、大気汚染と廃棄汚泥・水による太平洋の汚染がひどかったのである。東に隣国がなかったので国際的な紛争にはならなかったが、偉そうに声高に一方的に、これ見よがしに中国を批判することなど出来ようか。むろんあの汚染垂れ流し、汚染し放題の悪い前例に学ぶことをしない中国の政治・経済体制はひどいと思う。だが日本やヨーロッパ諸国の経済進出や経済協力のあり方にも反省材料はあるのではないだろうか。


 明日は気温がぐんと下がるとのこと。体調管理に気をつけないといけないようだ。そして明日の夕方は友達と横浜駅のそばで会うことになっている。楽しみである。


「伊万里焼-染付の美-」展

2013年03月10日 17時13分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 一昨日の金曜日、横浜のそごう美術館で「伊万里焼-染付けの美-」展を見てきた。
 陶器の展示はときどき見るが、これほどまとまった収集を見るのは初めて。陶器については特に知識があるわけでもない。しかし興味はある。また旅先でその土地の焼き物があると、時々お猪口をよく買う。でも「○○焼」「△△窯」などと書いてあっても、聞いてもすぐに忘れてしまう。それほど情けない「興味」の程度だ。それでも気に入ったお猪口は、お酒がなくなっても手にもって器の形を指でなぞってその感触を楽しむことはよくやる。
 厚手で上薬がたっぷりとかかっていて、ちょっといびつな形が好みだ。色は暗い色を背景に少しの明るい色が覗いているのがいい。具体的な風景や物、人物の絵は好まない。

 今回も、伊万里焼という言葉は知っている程度。「柿右衛門」という名とともに「佐賀県有田町を中心とする肥前国で作られた磁器。製品の積み出し港が伊万里であったので「伊万里焼」と呼ばれた。豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬申倭乱)時に鍋島藩の藩祖が半島の陶工を連れ帰り、日本で始めて作成された磁器」、その程度の知識しかないのだが、無料の入場券につられて、見てきた。

 ある収集家の、江戸時代後期から明治維新以前の大皿の収集品の展示ということであった。展示は径30センチを超える大皿ばかり140点が並び、確かに圧倒されるような展示である。

 当時、製作者の名は記録されることはなく、細かい工程ごとに職人がその技術を傾けて製作したのだろう。分業化が進んでいたらしい。写実と様式美の狭間でその精緻の極みを見せてくれているようだ。
 当時は平戸を通して大量にヨーロッパに輸出され、大変高価なものとして珍重されたようだ。また日本国内でも、鍋島藩から将軍家への献上品、あるいは他の大名家への贈答品として、あるいは有力商人をとおして日本各地へ流通したそうだ。
 江戸時代というのは閉ざされた250年というように私などの高校生の頃までは教わってきた。そうではないことがいわれて久しい。私もそのように認識を改めていたつもりであった。しかし実際にこのような精緻な製品が世界に輸出されていたことなどを指摘されると、より実感として納得する。
 作られた当初の、伊万里焼の歴史の発端のあまりにむごい話し、戦利品のように日本に連行されてきた陶工達。そのような扱いに、いたたまれない気持ちが先行していた。その気持ちに変化はないが、それでもその陶工の子孫を中心にしてその技術が定着し、発展していった結果には敬服するばかりだ。
 実は韓国で高麗青磁、それも象嵌のものを見て、その美しい色と形に見入ったことを思い出した。朝鮮出兵までその高い技術は日本にはなかった。当時の日本のあこがれの技術であったのだろう。
 この精緻でかつ大胆・豪放、写実に富んだ動物・植物・人物像、唐草紋等の精緻な文様など、当時の職人技が世界水準の先端を行くものであったことが十分推察される。

 私はこの展示を見ながら、職人と芸術家の違いとは何かということを考えていた。結論はでないのだが‥。展示品の中には確かに人目を引くためだけの図案のものもあったと思うが、大半は手書きとは思えない、驚くばかりの緻密な細かい紋様に目を奪われた。
 同時にこのような豪華な紋様の大皿を使いこなした江戸時代の料理、食の文化にも驚く。単に飾っておくだけのものではなく、実際に料理に使われることでその利用価値が高まったようだ。この大皿料理を使いこなすには大人数での宴会が前提であると同時に、商人を中心とした町民文化の豊かさも感じられる。これだけの大皿が流通していたということは、その文化の底辺への広がりもまた想像される。

 職人と芸術家、文化の豊かさと広がり、こんなことを考えるきっかけとなった展示であった。
  

久しぶりの会報作り

2013年03月10日 13時59分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から強い風が吹いている。日が差し、気温が高いので、ジョギング・ウォーキングに出かけたいのだが、風がうなりをあげて吹いているので断念した。何が飛んでくるかわからない。

 ということで、組合の退職者会の会報を朝から作成している会報といっても私の所属するブロックの会員向け。現役の頃でいえば支部ニュースのようなものだ。現役の頃はほぼ週刊で作成していたが、退職者会では個人向けの郵送なので料金が膨大にかかる。そのため隔月で配布物を送付している。それでも会費の大きな部分を占めている。

 久しぶりの会報作りだ。例によって一太郎でA4裏表。まず当面は横書きである。部数も60部に満たないのでカラー版。千数百部を印刷していた現役のときの支部ニュースはモノクロであったので、今回はカラーとなるのでなかなか色の使い方が難しい。そしてあくまでも高齢者向けなので、大写しの写真を多用して読みやすくしたい。

 不思議なことに慣れている所為か、作成していると楽しい。どのようにしたら読みやすくなるか、伝えたいことの核心は何か、退職者会の原則にのっとった記事の書き方、紙面の作り方などいろいろ考えることが多い。それが楽しい。ひょっとして、これが趣味や生きがいになってしまっては困るのだが‥。

 本当は新聞のように、外枠をつくり一段12~13字の縦書きで罫線を使うとしまりのある紙面となるのだが、試作品ということで当面は横書きにした。外枠も罫線も無し。ちょっとさびしい。
 いつかは新聞形式で作成してみようかと考えている。