午後2時以降のスモッグ用の雲について、気象庁は「黄砂」ではなく「煙霧」と発表した。煙霧とは何かと思い、ネットで検索してみると、次のような解説が出て来た。
気象現象としての「煙霧」は、以下の現象を包含する総称である。
・風によってちりや砂ぼこりが地面から巻き上げられる現象(風じん)。
・風で巻き上げられたちりや砂ぼこりが、風が止んでからも浮遊する現象(ちり煙霧)。
特に日本では、中国・モンゴル等の乾燥地帯由来のちりや砂ぼこりが飛来するものを黄砂と呼び、気象観測でもちり煙霧と区別することがある。
・山火事、火災、工場排気、自動車排気などから出た燃焼物由来の微粒子が浮遊する現象(煙、ばい煙)
・物の破砕や産業活動等によって主に人工的に生じる微粒子(粉じん、粉粒体)が浮遊している状態工場排気、自動車排気等に含まれる気体成分が大気中で変質した固体の微粒子が浮遊している状態
・火山から噴出した火山灰が降下する現象(降灰)
・海塩粒子等の自然由来の微粒子が浮遊している状態
観測者の周りの大気が上記のような状態であるときの天気を煙霧という。
また大気汚染による煙霧は「スモッグ」とも呼ばれる。スモッグは煙と霧を合成したことばであり、元来は燃焼物に由来する煙と自然に発生する霧の混合したものを指していたが、現在は排気ガスの変質により人体に有害な気体成分を含むものを「光化学スモッグ」と呼ぶようになった。
これでも半分くらいに短くしてみたのだが、要は巻き上げられた砂塵と言うことなのだろうか。工場の排気、自動車の排気ガスに由来するものではないことを願いたい。
大気汚染といえば、いま中国で話題となり日本にも押し寄せている大気汚染、1960年代の日本の大気汚染の再来みたいなものなのではないだろうか。
健康に対するキチンとした対策は必要だ。しかしこれについて中国に対する過剰とも思える攻撃がさかんだが、日本も1960年代当時は、大気汚染と廃棄汚泥・水による太平洋の汚染がひどかったのである。東に隣国がなかったので国際的な紛争にはならなかったが、偉そうに声高に一方的に、これ見よがしに中国を批判することなど出来ようか。むろんあの汚染垂れ流し、汚染し放題の悪い前例に学ぶことをしない中国の政治・経済体制はひどいと思う。だが日本やヨーロッパ諸国の経済進出や経済協力のあり方にも反省材料はあるのではないだろうか。
明日は気温がぐんと下がるとのこと。体調管理に気をつけないといけないようだ。そして明日の夕方は友達と横浜駅のそばで会うことになっている。楽しみである。
気象現象としての「煙霧」は、以下の現象を包含する総称である。
・風によってちりや砂ぼこりが地面から巻き上げられる現象(風じん)。
・風で巻き上げられたちりや砂ぼこりが、風が止んでからも浮遊する現象(ちり煙霧)。
特に日本では、中国・モンゴル等の乾燥地帯由来のちりや砂ぼこりが飛来するものを黄砂と呼び、気象観測でもちり煙霧と区別することがある。
・山火事、火災、工場排気、自動車排気などから出た燃焼物由来の微粒子が浮遊する現象(煙、ばい煙)
・物の破砕や産業活動等によって主に人工的に生じる微粒子(粉じん、粉粒体)が浮遊している状態工場排気、自動車排気等に含まれる気体成分が大気中で変質した固体の微粒子が浮遊している状態
・火山から噴出した火山灰が降下する現象(降灰)
・海塩粒子等の自然由来の微粒子が浮遊している状態
観測者の周りの大気が上記のような状態であるときの天気を煙霧という。
また大気汚染による煙霧は「スモッグ」とも呼ばれる。スモッグは煙と霧を合成したことばであり、元来は燃焼物に由来する煙と自然に発生する霧の混合したものを指していたが、現在は排気ガスの変質により人体に有害な気体成分を含むものを「光化学スモッグ」と呼ぶようになった。
これでも半分くらいに短くしてみたのだが、要は巻き上げられた砂塵と言うことなのだろうか。工場の排気、自動車の排気ガスに由来するものではないことを願いたい。
大気汚染といえば、いま中国で話題となり日本にも押し寄せている大気汚染、1960年代の日本の大気汚染の再来みたいなものなのではないだろうか。
健康に対するキチンとした対策は必要だ。しかしこれについて中国に対する過剰とも思える攻撃がさかんだが、日本も1960年代当時は、大気汚染と廃棄汚泥・水による太平洋の汚染がひどかったのである。東に隣国がなかったので国際的な紛争にはならなかったが、偉そうに声高に一方的に、これ見よがしに中国を批判することなど出来ようか。むろんあの汚染垂れ流し、汚染し放題の悪い前例に学ぶことをしない中国の政治・経済体制はひどいと思う。だが日本やヨーロッパ諸国の経済進出や経済協力のあり方にも反省材料はあるのではないだろうか。
明日は気温がぐんと下がるとのこと。体調管理に気をつけないといけないようだ。そして明日の夕方は友達と横浜駅のそばで会うことになっている。楽しみである。