すみだトリフォニーホールの演奏会が20時に終了。21時までかかるかと思ったが早めに終了した。
結果としては第一部が12時から14時、第二部が16時から18時45分、第三部が19時から20時。しかし充分シベリウスを堪能した。いい日曜日であった。
14時から16時の休憩を利用して両国駅まで往復2.時の5キロ、17時45分から19時の休憩に亀戸駅まで往復1.2キロを駅前の「北斎通り」を歩いてエコノミー症候群対策。
なかなかいい町並みと感じた。
残念ながら大納言様とは接近遭遇することはなかった。
しかしながらこの津軽稲荷神社、駅前の解説に江戸時代の言葉として「本所に過ぎたるもの二つあり、津軽大名、炭や塩原」とあるが、これはどのように理解したらよいのだろうか。本所に津軽大名=弘前藩という東北辺境の田舎大名がふさわしくないというのか、それとも本所・深川という末端御家人の屋敷が並ぶ決していい環境ではない箇所に大名屋敷の上屋敷・中屋敷があるのがふさわしくない、というのだろうか。前者とすると東北の地をずいぶん虚仮にした言い方であるが、後者ならばかなり自嘲的な云いである。
津軽神社には町内会館が併設されていてその案内標識に「津軽藩下屋敷跡」と記され、駅前の表示には「中屋敷跡」とある。上屋敷以外は非公式の屋敷地だから中・下はそれほど厳密でもないし、時代によって代わった可能性もある。あんまり細かいことを記載すると嫌われるけど、でもちょっとだけ気になった。
<追記>葦原の山姥様から、「Fsさんの解釈は穿ち過ぎと思いますよ(笑)。これは塩原多助を津軽藩と列び誉め称えたもので、津軽藩を貶めたわけではないでしょう。‥圓朝が噺のモデルに選んだくらいですから、憧れをもって広く人々に知られていた人物だったのかもしれませんね」とご指摘を受けた。どうもこのご意見の方が正しいようだ。私の不明・穿ちすぎでした。ご指摘ありがとうございます。
もう一つ気になったのが、野見宿禰神社。神社といいながら、境内は閉じられていて一般の参拝を許していない。どういう理由かはわからないのだが、相撲協会の参拝もあるという中で、こんなに人を寄せ付けようとしない神社の在り様にビックリ。事件や事故、施設への悪戯があったのだろうか。あの程度の柵では入ろうと思えば入れるので、悪意のある進入は止められない。
wikiには「なお、以前は境内は相撲ファンや観光客に広く 公開されていたが、現在では協会の閉鎖性を象徴するように固く門を閉ざし、関係者のみしか 境内に立ち入ることができなくなっている」などと記載されてしまっている。ここはひとつ管理者である相撲協会に人を配置してもらって公開してほしいものだ。歴代横綱之碑は辛うじて見えたが字を読むことが出来るほどには近づけない。
この近辺の桜は今が見所だったようだ。写真は緑川公園。横浜の方が少し早く満開を迎えた。なかなか桜の木が多く、楽しむことが出来た。錦糸町駅前の錦糸公園の桜も見事であった。公園の中にある千種稲荷の灯明の赤色が妙になまめかしく目に付いた。この頃にはあたりは暗く、携帯電話のカメラではこの桜も千種稲荷の雰囲気も写らなかった。残念。
同時にこの駅前の北斎通り、街路灯もユニークなデザインで統一しており、いい雰囲気だ。北斎の版画や絵を街路灯の下部に貼り付けている。本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれた北斎を街づくりに位置づけているということらしい。
休憩時間に歩いたのと、横浜駅から自宅まで歩いたので、結局本日は24000歩を歩いたことになり、目標を達成できた。