前回からの続き。
食事を終えた我々は延慶観という道教寺院へ。
元代にできたようだが、
残念ながら現在は修繕中で何ともがっかりな感じだった。
中にあった塔が800年前のものだと言っていたけど、
ホントか?って感じだったし。
次に向かったのは鉄塔公園。
ここはもともとは開宝寺という寺院であった場所。
やはり北宋では有数の大寺で、
成尋の記録によるとここで訳経作業が行われていたという。
その成尋(写真)が死んだとされる場所でもある。
現在はその名残として鉄塔があり、
そこが公園になっているのである。
ここに向かう時、延慶観からは三輪車に乗った。
無事、鉄塔公園にはたどり着いたんだが、
この運転手がしつこい。
「やれ、オレが説明してやる」とか、
「次の移動もオレの三輪車に乗れ」とか。
もう勝手に見るから仕事に戻れ、
といっても、微妙に後を着いてくる。
うざいったらありゃしない。
しかし、そんな彼を無視して、
我々は鉄塔の内部へ侵入した。
登れるものは全て登る。
今までだっていろんな塔に登ってきた。
だから、今回も登らないわけにはいかないのだ。
それにしても、狭い。
そして、暗い。
人一人がようやく通れるくらいで、
慎重に上り下りしないと足を踏み外す危険あり。
なので、無駄に神経を使う。
そして、無駄に体力も使う。
泰山でもならなかった筋肉痛。
鉄塔を登っただけでなってしまった。
恐るべし、鉄塔。
鉄塔公園を出て、
次は繁塔へ向かう。
塔から塔へ。
体力の限界へ。
繁塔は開封駅の南東付近にある。
そして、行ってみてびっくり。
だって、普通のしかもちょっと貧しい感じの住宅地にいきなりあるんだもん。
ちっとも観光地ではない。
繁塔までの案内表示だって、
「←繁塔」って壁に直接書いてあるし。
当然、我々の他に客はなし。
入り口では近所のじじばばが雑談中。
なんとものどかな繁塔。
塔自体はそれほど高くないので、
登るのも苦ではなかった。
にしても、みなさん落書きしすぎ。
中国人が主だったけど、
日本人も結構いたよ。
「岐阜県~」とか「栃木県~」とか。
文化財に落書きするのは、ホントにやめましょう。
これで、結構いい時間に。
当然帰りも7元のバスで鄭州へ戻りましたよ。
疲れて寝ていたので、あっという間でしたが。
食事を終えた我々は延慶観という道教寺院へ。
元代にできたようだが、
残念ながら現在は修繕中で何ともがっかりな感じだった。
中にあった塔が800年前のものだと言っていたけど、
ホントか?って感じだったし。
次に向かったのは鉄塔公園。
ここはもともとは開宝寺という寺院であった場所。
やはり北宋では有数の大寺で、
成尋の記録によるとここで訳経作業が行われていたという。
その成尋(写真)が死んだとされる場所でもある。
現在はその名残として鉄塔があり、
そこが公園になっているのである。
ここに向かう時、延慶観からは三輪車に乗った。
無事、鉄塔公園にはたどり着いたんだが、
この運転手がしつこい。
「やれ、オレが説明してやる」とか、
「次の移動もオレの三輪車に乗れ」とか。
もう勝手に見るから仕事に戻れ、
といっても、微妙に後を着いてくる。
うざいったらありゃしない。
しかし、そんな彼を無視して、
我々は鉄塔の内部へ侵入した。
登れるものは全て登る。
今までだっていろんな塔に登ってきた。
だから、今回も登らないわけにはいかないのだ。
それにしても、狭い。
そして、暗い。
人一人がようやく通れるくらいで、
慎重に上り下りしないと足を踏み外す危険あり。
なので、無駄に神経を使う。
そして、無駄に体力も使う。
泰山でもならなかった筋肉痛。
鉄塔を登っただけでなってしまった。
恐るべし、鉄塔。
鉄塔公園を出て、
次は繁塔へ向かう。
塔から塔へ。
体力の限界へ。
繁塔は開封駅の南東付近にある。
そして、行ってみてびっくり。
だって、普通のしかもちょっと貧しい感じの住宅地にいきなりあるんだもん。
ちっとも観光地ではない。
繁塔までの案内表示だって、
「←繁塔」って壁に直接書いてあるし。
当然、我々の他に客はなし。
入り口では近所のじじばばが雑談中。
なんとものどかな繁塔。
塔自体はそれほど高くないので、
登るのも苦ではなかった。
にしても、みなさん落書きしすぎ。
中国人が主だったけど、
日本人も結構いたよ。
「岐阜県~」とか「栃木県~」とか。
文化財に落書きするのは、ホントにやめましょう。
これで、結構いい時間に。
当然帰りも7元のバスで鄭州へ戻りましたよ。
疲れて寝ていたので、あっという間でしたが。