shuの花日記

山や近所で見かけたお花をエピソードを添えて掲載しています。お花の説明は主にウィキペディア、花図鑑を参考にしています。

広瀬川河畔散策と前橋文学館訪問

2024-05-07 22:01:57 | 日記(雑記帳)
前橋市内で催された演奏会を聴くため同地を訪ねた。そして空き時間に市内を流れる広瀬川の河畔を散策し、川沿いに建つ前橋文学館を訪ねた。


広瀬川は利根川から取水し、赤城南麓一帯の農地を灌漑し、再び利根川に注いでいる。前橋市内にあっても流れは急だった。
前橋文学館付近は広瀬川「詩の道」と名付けられていて、河畔に多くの文学碑が立てられている。それらを見ながらゆっくり散策した。一部を紹介したい。


世界ぢゅうを泣きつくすには ヒトの一生ではとても足りない 吉原幸子(詩集「発光」より)

 


そこからどんな 清々しい空がひろがってゆくか 見えないどんな 生き物たちがそこに降りてくるか 渋沢孝輔




水底を覗くと しずかに 一輪の紅い蓮が浮いてくるところ 舟べりから手を伸ばして わが知らぬ想い出を折りとった 財部鳥子

 



厩橋まで歩いて橋を渡り、対岸を戻ってきた。ちなみに厩橋は前橋の語源となっているとのことだ。

前橋文学館の対岸に萩原朔太郎記念館がある。
 

そして、その横に「青春の碑」がある。少し長いが全文を引用したい。

青春  サムエル ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎ゆる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。 
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
 
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖、失望により気力は地に這い精神は芥になる。
 
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已む。

作山宗久 訳

前橋文学館は9時に開館する。一番で入館した。


文学館では萩原朔太郎について多くを学んだ。詩集『月に吠える』が我が郷里の文人室生犀星により発行されたのを初めて識った。
そう言えば金沢と前橋は、けっこう似ているところも多いように思った。
コメント (8)
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