8月6日に大雪山・旭岳(2291m、日本百名山)から下山後、かつて勇駒別温泉と呼ばれていた旭岳温泉で汗を流したのち、十勝岳(2077m、日本百名山)の麓にあたる吹上温泉白銀荘前のキャンプ場にテントを張りました。
吹上温泉は十勝岳登山口の一つであり、当初ここから十勝岳へ登るつもりでしたが、登山道が森林の中を通ることからクマの出没を恐れたことと、急遽単独登山になったことで万一のことを考え、多くのハイカーが利用する望岳台登山口から登ることとしました。
8月7日、6時前に十勝岳望岳台防災シェルター(突発的な噴火による噴石から身を守るための緊急避難施設で、きれいなトイレもある)で入山届を済ませました。この建物は2014年の御嶽山噴火を教訓に、かつてのレストハウスを建て替えてできたようです。
実は、望岳台へは一度来たことがあります。
有史以来何度も噴火を繰り返している十勝岳ですが、1923年に起きた144名の死者を出した大正噴火のことを詳しく知ったのは、三浦綾子の小説「泥流地帯」を読んでのことでした。その後、上富良野町にある「十勝岳爆発記念碑」を訪れ手を合わせ、そして、望岳台を訪ねたのがほぼ10年前のことでした。
今回、当初の予定とは異なり望岳台を再訪できたのも、何かのご縁だと思いました。
さて、6時15分、標高900mの望岳台から登山開始です。
望岳台からの登山道は溶岩流が流れた跡を歩くので、植物は乏しいと思いきや、多くの花が咲いていて驚きました。
真っ先に目に飛び込んできたのは、エゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆、リンドウ科リンドウ属の多年草)です。このお花は標高1600m辺りまでたくさん咲いていました。
続いてシラタマノキ(白玉の木、ツツジ科の常緑小低木)です。この木は望岳台から少し上がった辺りで観ました。
マルバシモツケ(丸葉下野、バラ科シモツケ属の落葉低木)はたくさん観ましたが、お花が残っていたのは僅かでした。
30分ほど歩くと、吹上温泉白銀荘からの道と合流します。
さらに30分ほど歩くと美瑛岳方面への分岐となります。
オンタデ(御蓼、タデ科オンタデ属の多年草)は登山口付近からたくさん見かけましたが、この辺りから避難小屋付近で群生していて、標高1700m付近まで見かけました。標高が高いところではお花が赤く色づいていました。オンタデは雌雄異株なので、白いのが雄株、赤いのが雌株なのかもしれません。1600mを越えたところでは実をつけた株もいくつか見ました。
歩き始めて1時間10分ほどで避難小屋に着きました。ここで最初の休憩を取りました。
避難小屋を過ぎると登山道の勾配が急になり、見かけるお花も減っていきます。
エゾオヤマリンドウ、オンタデ以外では、イワブクロ(岩袋、ゴマノハグサ科の多年草)を時々観ました。
田中澄江氏は「花の百名山」の中で、十勝岳を代表するお花としてイワブクロを選んでいます。
数は少ないですが、メアカンキンバイ(雌阿寒金梅、バラ科タテヤマキンバイ属の小低木)も咲いていました。
急登を登りきったところで、大きな岩に腰を掛けて2回目の休憩としました。歩いてきた道が延々と見えました。
さて、標高1700m辺りを過ぎるとお花を観ることもほとんどなくなり、いよいよ火山地帯の中に入ってきた印象が強くなります。
目指す十勝岳が目の前に見えてきます。ガスがかかっていますが寒さは感じません。
振り返ると避難小屋や歩いてきた道がしっかり見えます。高度が上がっているのが嬉しいです。
標高1730m付近のスリバチ火口の縁を歩きます。この辺りで観たオンタデは背丈が20~30cmほどで、最後のお花でした。
登山道の右側はグラウンド火口で、その向こうに前十勝岳から上がっている噴煙が見えます。前十勝岳は当然ながら登山が禁止されています。
標高が1750~1800m付近はなだらかな道が続いていて、所々海岸を歩いているかのような深い砂に足がとられます。
左手にはこのコース唯一の雪渓が現れますが、簡単に雪渓に下りることはできそうにありませんでした。
そして、いよいよ標高差200m余りの最後の急登にかかります。
最後の登りは慎重に進みます。
9時55分山頂に到着しました。コースタイム4時間5分のところ、休憩を含めて3時間40分はまずまずのペースでした。
山頂から見た北東側の景色です。雲の隙間に美瑛岳の一部が見えています。
こちらは南西側の景色です。上ホロカメットク山を経て富良野岳へ道は続いています。
登ってきた北西側の風景です。
最後に噴煙を上げている前十勝岳の姿をご覧いただきます。
帰路は同じ道を戻り、望岳台には12時45分に到着しました。最後は持参した1.8Lの飲料水のほとんどを飲み終えての下山となりました。
今日も安全に下山できたことを感謝して、最後に防災シェルターに立ち寄り下山届に記入し、テント場へ戻りました。