syuの日記・気まま旅

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白鳥の湖「瓢湖」から豊栄

2012-06-15 | 気まま旅
越後国は、1598年、豊臣秀吉の命を受けてそれまで越後一国を領していた上杉景勝が会津に移封された後、越後は福島30万石に堀秀治、坂戸2万石に堀直寄、
村上(本庄)9万石の村上義明、そして新発田の溝口秀勝といった具合に配置された。
秀勝は1600年の関ヶ原の戦いのとき、徳川家康の東軍に与して越後に在国し、越後で発生した上杉旧臣の一揆を鎮圧した功績により、家康から本領を安堵され、
ここに新発田藩6万石が成立した。越後国の譜代大名・親藩のひしめく中に位置する外様大名であった。

藩の領域は現在の新発田市の領域に加え、現在の新潟市東部・阿賀野市・加茂市・南蒲原郡にまで及ぶ広大なものであったが、その領域の大半を占める蒲原平野は、
阿賀野川・信濃川下流域に広がるその名の通り蒲のような水草の生い茂る低湿地帯であり、そのままでは農耕に適さない土地であった。
新発田藩とその領民は代々干拓や治水に力を入れ、新田開発を進めていった。その結果この地域は穀倉地帯となるまでに開発が進み、その収穫は石高の数値を
大きく上回るまでになり、内高40万石という説もある。この地域にいくつか残る当時の豪農の邸宅の遺構からは、当時の様子がうかがわれる。

越後水原「白鳥の湖・瓢湖」は、干ばつの被害をなくすために人工的に造られた農業用水池、白鳥は、シベリアに生息し、5~6月頃産卵、ヒナをかえし、
秋になると餌を、求めてサハリン方面から北海道に集結し、10月上旬からさらに南下して、瓢湖にも渡ってくる。
そして3月中旬頃から春の訪れとともにまたシベリアへ帰って行く。

                                           最盛期には湖一面白鳥達になる
  

瓢湖は、 1639年用水池として完成し、池の形が瓢箪に似ていたことから、「瓢湖」と呼ばれ、 1950年初めてハクチョウが飛来。
1954年 吉川重三郎、通称:白鳥おじさんが、野生のハクチョウの餌付けに全国で初めて成功、 白鳥の飛来地として、国の天然記念物に指定された。
2005年 国指定瓢湖鳥獣保護区に指定、 2008年 ラムサール条約の登録湿地に登録。湖は、アヤメでも知られている。

                       
    


「水原八幡宮」は、町中央に鎮座。 八幡神を祀る神社。八幡神は奈良時代に、第15代応神天皇(誉田皇子)に比定された。
本宮は大分県宇佐市鎮座の宇佐神宮。境内入口に古峯様など の末社があった。

                         本殿
    


曹洞宗蒲原三十二番札所「祥瑞山・大雲寺」聖観世音菩薩  1618年 長楽寺十世超岸元悦禅師により開創。瓢湖の傍らに建つ寺院。
本尊は、釈迦牟尼仏  観音像は、行基菩薩作、庚申堂が境内に。

  

豊栄市に入る。市は、豊栄地区、北地区とも市街地・住宅地・集落の外郭部はその大部分が水田で占められており、稲作が盛んである。
豊栄地区と北地区の濁川地域はトマトの栽培が特に盛んで、北区内の生産量は県内総生産量の約6割を占める。
豊栄は1973年に国の指定産地に認定、現在は主に「桃太郎」を生産。

濁川では国内でいち早く節水栽培に取り組むなど生産技術の高さがある。また豊栄地区はナスの栽培も盛んで、特に豊栄独特の特大の長ナス
「やきなす」は地区の特産品として知られる。
北地区のうち南浜地区は砂丘地であることからスイカ、メロンなどの栽培が盛んである。
新発田、新潟市に近いが、どちらかと云えば新潟市の人口増で、ベットタウンの宅地化されてきた。

JR豊栄駅                        銘柄「朝日晴」本社
  

豊栄駅に近い、「小黒酒造」は、人の手を掛ける酒造り、 スッきりとして深みを感じさせる味のバランスと爽やかな切れ味。
小黒酒造は本物を、常に目指し、酒は人の心の置き所、旨くも、拙くもなるもの。酒造りに持てる気持ちの全てを投じる、そんな、蔵人の集まりと聞く。

                                  事務所
 


「越乃梅里 純米大吟醸」価格720ml 2,625円、豊栄一の超高級として知られる、酒泣く子も黙る白瓶の大吟醸で、希少価値は抜群と云う。
さりげなく、ほのかな口中香と味わい深いコク、バランスの良い旨味といやな後味を残さない切れ上がりが特徴酒。単なる端麗辛口では物足りない、究極の酒。蔵元の弁。

道を挟んで工場
  

「照善寺」浄土宗の寺。

  

「豊栄・古峰神社」は、北区白新町は,JR豊栄駅の近く,石動神社の隣に鎮座する。覆屋の中に1837年 建築の本殿がある。
軒唐破風付,一間社春日造りで,両側面には千鳥破風が付いていると云う。こけら葺の社殿には隅々まで手の込んだ彫刻が施されており貴重。
覆屋の中にあるため残念ながら全貌を見ることができない。本殿は,2008年に国の有形文化財に指定。


  

「石動神社」は、古峰神社と隣接して鎮座する。境内は石動公園として整備。 葛塚の総鎮守として1734年に創立されたと伝える。
町方の稲荷神社に対して,当社は主に農民に信仰された。 現在の祭神は大己貴命であるが,神体は木造の虚空蔵大権現だという。
入母屋造りの拝殿は江戸末期の建築である。拝殿の瓦には「鱗紋」が見える。本殿は1796年の建築。拝殿前に狛犬が一対ある。台座には、1867年の銘がある。


    



中黒山神明宮の「夫婦欅」樹齢300年以上。大気汚染のため枯れ枝が目立つようになったが、人々が奉賛会を作り、蘇生養生させた。


  

「紫雲寺村」は、2005年に 新発田市が紫雲寺町と加治川村を編入した。


新潟市、信濃川・西港・阿賀野川・東港から、加治川・胎内川と続いて行く、紫雲寺のこの辺は新発田市に入っている。
海側から国道113号・(海岸沿い)みて、国道7号線・日本海高速道・JR白新線など平衡して、新潟と新発田を結んでいる。

「北谷内稲荷大神」は、新発田市佐々木、JR白新線佐々木駅の西800メートルに鎮座。 参道入り口の社号標に「北谷内稲荷大神」とあった。
伏見稲荷大社の支部で、大社は神社本庁に属さない単独神,集落の鎮守として祭られている。
竹林の参道を抜けると社殿が建っている、 社殿に「財団法人伏見稲荷大社附属 稲荷講社新潟支部」の看板がかかっていた。


    

「紫雲寺と町」は、昔は、県北蒲原郡であった、日本海に面していた町。町名は、かつてこの地にあり、1735年干拓によって埋め立てられた紫雲寺潟の名に由来する。
2005年、加治川村とともに新発田市へ編入された。

紫雲寺は、街中にあり、町の名と関係があると思ったが、無いようである。国道113号沿いの町に寺が三軒あった。

  

    


  
「観音院」

    

「要行寺」
  


「県立紫雲寺記念公園」は、県道新発田線沿いにある。園内にチューリップ広場、散策路、アスレッチク広場、バーベキュー広場、探鳥路、
紫雲温泉、
キャンプ場、海の広場、藤塚浜海水浴場、8月海上花火が開催される。


  

自然に親しみ、植物、野生鳥獣などに触れ研究が出来る。ブナ林で鳥のさえずりを聞く事が出来る。飼育舎には、梟などが身近に見られる。

散策路も緩やかな道とややアップダウンのある道がある。


  


「酒造りの話」仕込み
いよいよ仕込んでいくが、温度管理に神経を使う、まず20℃で仕込み、徐々に温度を下げ、3日後から加温操作一日1.5℃づつ昇温
糖化を進めて加熱する。5日目酵母増す、炭酸ガス発生これを「フクレ」と云う。この続き次回に。

次回は、新発田方面に。







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