syuの日記・気まま旅

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豪農の館から 水原町へ

2012-06-13 | 気まま旅

「河村瑞賢」が開港した新潟港は、西廻航路の主要港、出羽酒田から日本海沿岸を回り瀬戸内海・紀州沖・遠州灘を経て江戸に入る航路、西廻り航路を開き、
輸送に要する時間と費用を大幅に軽減することに成功。
途中の寄港地を定めて入港税免除や水先案内船の設置も行うことで海運の発展に尽力した。測量の方法などは瑞賢が得た知識と数学的才能によるものだと云う。
元禄12年(1699年)、83歳で死去。

「県政記念館」白山公園内にある。1883年建設され約50年県政審議の場として使われている。
イギリスロンドン国会議事堂に擬して建てられたという。ロンドンのテムズ川と信濃川を見立てたという。

新潟県発祥の地は、阿賀野市の水原町。新潟市に県庁が移るまで水原町は,1869年(明治2年)水原県の政治、行政の中心地.


白鳥飛来地としても有名、JR羽越本線・水原駅。町の地勢は、東には、五頭山脈が連なり、南には、1年間の流水量が日本2位の阿賀野川が流れ、平坦な地形で水田が開けている。
南は阿賀野川をはさみ、五泉市、新津市と隣接。西は北蒲原郡京ケ瀬村、北は豊栄市に接す。
新潟市へは西方20キロメートル。

新潟港から、水原方面と進む。
                新潟市にある県政会館                    新潟港 佐渡汽船本社
    

「佐渡汽船」両津航路 ・新潟港 - 両津港(67km・国道350号海上区間)
カーフェリー(所要時間:通常期2時間20~30分) おけさ丸、総トン数5862t、最大旅客定員1705名、最大速力23.4ノット。 保有するカーフェリーの中で最大。
おおさど丸、全長131.9m、総トン数5373t、最大旅客定員1705名、最大速力22.6ノット、最古。

ジェットフォイル(所要時間:データイム1時間) ぎんが、 つばさ、 すいせい、出力7600馬力、旅客定員260人、最大速力47ノット87km/h)。

今回は、佐渡島は見送る。

ジェットフォイル 入港と出航
  

豪農の館、北方文化博物館  越後蒲原平野、阿賀野川西岸、沢海集落、江戸中期「農」から身を起こし代を重ね、伊藤家の豪農
1370万M2、の田畑で、昭和に入り、県下一の作米であった。

                        豪農 伊藤家勝手口
  

本邸 敷地8800坪、建坪1200坪、部屋数65、昭和21年全て寄贈、国の登録有形文化財に指定登録された。

 古木                          玄関
  

全て檜造り、大広間の雨戸26枚、柱が一本も無い、畳の数100枚。

    

庭園 回遊式庭園、5つの茶室、京都銀閣寺庭師田中泰阿弥(県柏崎出身)の作。

  

囲炉裏、台所は、従業員50人が働いていたという。竈で毎日60KG(一俵)、囲炉裏に16人座れる広さ。そのほか、美術品、民芸品、考古資料が展示されている。
入館有料

庭園   藤棚
  

「沢海日枝神社」は豪農の館に隣接 
    

「真宗大谷派・光国寺」 1698年で創立。1931年に本多環師によって移転中興された。本尊は阿弥陀如来。
寺宝は見真大師絵像、彗灯大師名号,太子絵像、七高僧絵像、達如上人絵像がある。

    

「水原の戦い」

新政府軍の越後攻略の目的の一つに、水原の占領がある。水原は当時、た十万石を越える幕府直轄地の中心として代官所が置かれた土地、市島家などの大富豪を有していた。
天領の首都とも言えるこの水原を占領する事は、越後各地の天領を掌握する事につながった。新発田入りしていた新政府軍の一隊は、会津軍が駐留する水原を攻撃目標とした。

新政府軍は新発田藩を先頭として薩摩・長州・明石・芸州の藩が続いて進軍。
新政府軍上陸の翌朝の事である。不意を突かれた水原の会津藩兵は手勢も少なく、新発田方面に対して防衛の準備ができていない。
ここを守り切れないと判断し、戦闘を回避し保田方面へ退却を決めた。新政府軍が町に入ると若干抵抗するものもあったが、難なくこの戦略要点を占領。
退却の際に会津藩が行なった放火は、市島家別邸、継志園を初め多くの家屋を失う大火災となる。

一方、笹岡攻撃隊も笹岡の東1キロの堤村光円寺に会津兵が駐屯しているという情報を得て、これを二手に分かれて攻撃。ここでも会津軍は防戦を諦めて丘陵沿いに退却した。

津軍が駐屯した堤村の光円寺。会津軍は五頭の麓の丘陵にそって退却。新政府軍は陣ヶ峰に台場を造って反撃に備えた。

水原城と代官所跡碑
    

水原町は、新発田、新津の間に広がる穀倉地帯、中世から白河荘水原条領主、水原氏(溝口家支配)であったが、1746年天領地となり、代官所が置かれた。
古くから、六斉市の開かれる在郷町として発展した。水原13人衆豪商が移住した。明治に入り巨大地主「市島家」が構築され、天朝山に新潟府(越後府)がおかれ
1870年まで県中心であったが、県に移行して現在に至っている。

    

2004年(平成16年) 水原町、安田町、笹神村、京ヶ瀬村が合併して、阿賀野市になった。

代官所跡
    


「酒の話」佐渡島の酒
全国に知られている、鬼も赤くなる「佐渡の辛口鬼ごろし」北雪は、佐渡の赤泊。両津に佐渡銘醸「天領盃」など4~5場ある。全般的に辛口の酒。

次回は豊栄方面に。

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2 コメント

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Unknown (matsubara)
2012-06-14 20:21:38
30年前に、会津八一記念館に
20年前に、北方文化博物館に
参りましたのを懐かしく
思い出しています。
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matsubaraさま (syu)
2012-06-15 06:42:11
おはようございます。いつもご訪問ありがとうございます。
20年前30年前と変わらず私も懐かしく旅をしてきました。
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