syuの日記・気まま旅

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上善如水 越後湯沢

2014-12-21 | 気まま旅
湯沢町は、群馬・長野に接し、「温泉の湧く沢」が町名。
中世までは、温泉の他湯沢・三保・二居・浅貝と江戸ー新潟を結ぶ「三國街道」の重要宿場町として発展している。大正に入り「スキー場」が開設
1931年の昭和6年早くに「上越線」が全面開通して、温泉静養・スキーなど観光で栄えている。上信越高原国立公園に属す。
1980年上越新幹線・関節自動車道が開通し東京2時間以内で結ばれている。「東京都湯沢町」と云う人もいる。
近くは、赤湯温泉・貝掛温泉・魚野川・登山・17のスキー場・高山植物と川端康成の書「雪国」の関係資料・旨い酒とコシヒカリが楽しめる。

                  越後湯沢駅東口


地酒「白瀧」は、湯沢駅東口。
1855年(安政2年)の創業の酒蔵。銘柄、上善如水(じょうぜんみずのごとし)、湊屋藤助・(創業者)・魚沼・白瀧・真吾の一本(杜氏山口真吾)

                源泉は、谷川岳魚野川


日本特有の製法で造られる清酒。
酒税法の定義は、アルコール分が22度未満、
1.米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの
2.米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定めた物品を原料として発酵させ、こしたもの
3.清酒に清酒かすを加えて、こしたものである。

80%を占める「水」・名水あるところに名酒ありといわれる由縁。
日本全国の名水の地に、旨い、日本酒の蔵がある。
                        白瀧酒造


「上善如水」
老子、水に「最上の善」というものを見出してい たと云う。
老子が生きた時代(紀元前 6世紀~紀元前4世紀)の争いが絶えずの中国、上善」とは、最も理想的な生き方を願うならば、
水のあり方 に学べという。「水」には学ぶことができる三つの特徴。
一つは、 その柔軟な性質です。四角な器に入れれば、 四角な形になり、丸い器に入れれば、丸く ...。

「上善如水と 黒田官兵衛」
秀吉の軍師 として活躍、(1546-1604)黒田孝高、名を官兵衛、晩年剃髪して「黒田如水」と号している。

                    歴史ある蔵元
    

「湯沢高原ロープウェイ」
上越新幹線の大清水トンネル工事から出た岩石を造成して造られた”岩のお花畑”。
高山の自然を再現し、大小の岩の中には高所でしか見られない珍しい花々 が咲いている。
コマクサ. ヒマラヤの青いケシ等が。
アルプスの里へはロープウェイスで、世界最大級の166人乗りと云う。約7分。

アルプスの里には、約1,000種もの高山植物と天然記念物が生息、アスレチック・ヤギ牧場・湿生・水辺、林植物園・百番観音・トレッキングコース
リフトで大峰山(1170m)山頂~パノラマコース2時間強で八木沢・栄太郎峠と楽しめる。

標高1172mの大峰山の北側斜面に造成された高山植物園
    

ロックガーデン、湿生園あやめヶ池、ゴロネの原などと、ニツコウキスゲの大群落園とで、あわせて6万平方mの広さ.
    

800種類の自生種のほか約200種類の高山性植物が植栽され、ブナ林を散策できるミニトレッキング.
    

706mを一気に滑りおりるサマーボブスレーやマウンテンゴーカート、ジップラインアドベンチャーなど子供達の遊びの施設。
夏の大ユリ園と紅葉の時期が人気・やまびこリフトからの眺めも。今日は曇り空


       山々の眺め,高山植物が数多くある。高山植物の散歩でした。


       キレンゲショウウマ・ヒダカミセバヤ・イワシャジンの花が、終わった紫陽花。


           林床植物クリンソウ・ミスミソウ等が


       巻機山(1967m)・金城山(1387m)・中ノ岳・八海山などが、


ロープウエイは、標高370mの山麓駅から、870mの山頂駅へ、全長1,300m・高低差500m・秒速5mで運行と云う
  
  
「曹洞宗 山号方丈山・瑞祥庵」
本尊 釈迦如来。上田三十三観音霊場 第十三番札所
1522年創建と伝わる。上田三十三観音霊場は、現在、不明。
山門・仁王像は、石川雲蝶作

酒と博打を愛し幕末から昭和初期に活躍した名彫刻師「石川雲蝶」が手がけた、造形美ゆたかな傑作。
魚沼地方、長岡地方には石川雲蝶の作品が多く残されている。
永林寺、西福寺開山堂など魚沼地方の「曹洞宗のお寺」に大作が。
寺の住職との賭けに負けて、ただ同然で作品を造っていたとも云う。

    

本名は石川安兵衛、30代前半に、「良い酒とノミを終生与える」という条件で、越後入りし、多くの作品を残した。
無類の酒好きで、女性も大好き。賭けに負けて仕事を引き受けたりするなど破天荒な人柄、ノミを握れば神業的な作品を手掛けたという。
雲蝶の作品は、重厚感と迫力と、繊細さと鮮やかな彩色。その美しさに魅せられ、思わず作品の前に立ち止まってしまうと云う。
今日も遠足で大勢のしょうが性が見学していた。

雲蝶は「日本のミケランジェロ」とも称され、作品は木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、ダイナミックな世界観が表現されており、150年を経てなお人々を魅了していると云う。



「鳥追い」
正月15日、各家からだされた注連縄や正月かざりをもって雪ん洞の上に積み重ね、火をつけて燃やす、冬の行事の一つ。
「鳥追いの歌」子供達がみんなで歌いながら、雪の上を歩きます。(湯沢町の民俗)

                  オラが背戸の早稲田の稲を何鳥がまくらった。
                  すずめ鳥がまくらった。
                  すずめすわどり立ち上がりゃホーイ、ホイ。
                  その鳥どこから追ってきた。
                  しなのの国から追ってきた。
                  しなのの鳥も 唐の鳥も立ち上がりゃホーイ、ホイ。

    

「越後杜氏」
江戸時代・1754年の勝手造り令以降、日本酒の製法が四季醸造が寒造りへと移行。
米の収穫が終わると冬は積雪が深くて裏作の麦もできず、海も荒れて出漁できない越後の村から、農民が冬場の醸造のために関八州や尾張へと出稼ぎに行ったのが発祥で、多くの人手を欲している造り酒屋と、農閑期の現金収入を得たい農民とのあいだで利害が一致したことが、杜氏集団の形成に寄与した

越後杜氏たちを束ねる近代的な組織が正式に結成されたのは昭和33年頃、当時の杜氏登録者数は900名を上回っていたと云う。
越後杜氏は新潟県内の地域ごとに大きく次の三つの支流派に分かれる。
三島杜氏ー新潟県三島郡や長岡市などを拠点とする流派。
支流派に分かれ、 野積杜氏、旧寺泊町野積を拠点とする。宮尾登美子の小説『藏』に出てくるのはこの野積杜氏。
越路杜氏ー旧長岡市、旧越路町、塚山、岩塚、来迎寺を拠点とする。日本酒消費伸長期にあった昭和36年(1961年)の記録によれば、越後杜氏の総数約1000名のなかで312名が越路杜氏であり、新潟県内はもちろんのこと、活躍の範囲は東北、北陸、関東、東海、関西、四国にまで及んでいる。
三島杜氏を一つの支流と考えず、
野積杜氏、越路杜氏、刈羽杜氏、頸城杜氏を以って「越後杜氏・四大流派」。

次回も、湯沢町を。

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