syuの日記・気まま旅

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国府津の名は 相模国府の港があったから

2018-11-16 | 気まま旅

「国府」
相模湾に面する「国府津」
地名は、この地に相模国府の港があったことに由来すると云う。
海を見下ろす丘陵地を中心に政財界人の別荘が置かれ、文人達もよく訪れた。
隣接地区はすべて小田原市内で、小八幡、前川(飛地も含む)、田島、上町の各地区と接している。
地形は、南部に相模湾。
北東部が大磯丘陵、西部が酒匂川低地となっており、湘南の「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」とされる境、境界は、神縄・国府津-松田断層帯による崖に、道路は、南部相模湾沿いに国道1号(旧東海道)、西湘バイパスが東西に走り、西湘バイパスには国府津インターチェンジと下り線の西湘パーキングエリアがある。
地区北端を小田原厚木道路が東西に走るが、地区内にインターチェンジはない。
県道では、神奈川県道72号松田国府津線や神奈川県道717号沼田国府津線が地区西部。鉄道は、地区北部を東海道新幹線が横断するが、駅はなく、一部が弁天山トンネルに入っている。南部に東海道本線、西部に御殿場線が走り、地区内にその分岐駅・国府津駅がある。
1887年の明治20年、に東海道本線が国府津まで開業し、明治21年に小田原・箱根方面への小田原馬車鉄道(後に路面電車・1920年廃止)が開業すると、国府津駅は、両者の乗換駅となり、駅前には「国府津館」等の旅館が立ち並ぶようになった。
現在でも商店街の一部にその当時の建築物を見ることができると云う。
昭和9年、丹那トンネルが開通するまでは、東海道本線は現在の御殿場線経由で、その急勾配を上るための機関車の増結が国府津駅で行われたため、優等列車の停車駅でもあったと云いう。

「国府津」神奈川県小田原市・県南西部で相模湾に臨む海岸段丘上が中心地で、かって「相模国府」の港があった。
明治20年東海道本線がこの駅「国府津駅」まで開通、大正14年熱海線が開通、昭和9年丹那トンネル開通で現在に。

                          真楽寺


寺は、現在真宗大谷派の寺院。
古くは聖徳太子の開基(寺を建てた人)による天台宗の古刹(由緒ある寺)で、その後、親鸞上人がこの寺に居住した縁によって浄土真宗に改宗し、改めて親鸞上人を開山(寺を開いた僧)とした寺。
このボダイジュは、寺の本堂西側、JRの線路を背にした所に立つ古木で、周囲は一段高く石垣で囲まれ、新編相模国風土記稿にも当時のボダイジュの記述があり、それによると、「菩提樹、親鸞手植のものと云、囲7尺」とあり、当時は幹回り2.1mの大樹で、単幹であった事が分る。
現在ある菩提樹は、株元が3幹で、そのうち2幹が分岐して双幹となり、計5幹・これは、今から130年ほど前、真楽寺に火災があり、その時この木も損傷し、幹の部分が枯れて株だけが生き残っていたものが、その後ひこばえ(株元から生える幹)が生え、成長したものが現在の木に。

   親鸞上人の植えたものかどうか、はっきり断言できませんが、樹齢360年位と推定できるので、植え継がれたものかも。




                          真楽寺本堂


                          時宗の光明寺


「時宗」ー浄土教系の一宗で、平生を臨終の時と心得て称名念仏する宗派。
鎌倉時代、一遍智真によって開かれ、地方を遊行している。



                          光明寺本堂


「菅原神社」
古くから「天神さん」と呼ばれる国府津の鎮守。
「菅原道真」、平安時代に藤原氏をおさえて右大臣に、その後藤原時平の陰謀で、大宰府へ流され没した人物で知られている・
「正暦5年6月30日の夕方 国府津海岸に木造船が着き、貴人が乗っていた。村人は麦飯に麦粉をかけてもてなした。数日後村人の夢枕にその貴人が現れ、「京の菅神(菅原道真)を崇敬せば幸多からん」と告げた」。
その後貴人の元を訪ねると姿がなく、彼の木像、庭に松と梅が植えられていたそうで、純真な村人たちは「菅原道真の霊が現れたと信じて祠を造った。
牛や梅や筆などが。

境内には色々な碑がー曽我兄弟の隠れ石という大岩と言われる石、兄弟が父の仇工藤祐経の鎌倉へ向かう行列を、この大岩に隠れて待ち受けたが、警護が厳しく涙を呑んで見送ったと言われていると、筆塚、他に「八幡社誉田別命」「淺間社木花咲耶姫命」「稲荷社倉稲魂命」「神明社天照大神」「日枝社大山昨命」を祀っている。
「菅公は学問の神様」

写真左:小田原市指定天然記念物に指定されているムクノキ。老木です。
写真右:境内にあるお稲荷さん。

茅の輪がありました。これをくぐると病気厄除けのご利益があるそうです。
しまった、これもくぐってない・・・。

                            鳥居


                             地図


                           お祭り風景


                 小田原市指定天然記念物指定「神木のムクノキ」




通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神様の 細道じゃ ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

               わらべ歌「通りやんせ」発祥の地 碑


                            社殿


真言宗東寺派/梅花山泉涌寺「安樂院」
本尊ー大聖不動明王・十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師・両部曼荼羅図像・八祖大師図像

開創ー833年の古寺、寺宝ー般若心経一巻・両部種字曼荼羅

大徳、伊豆修善寺の開山・国府津鎮守菅原天神社別当をかね、後醍醐天皇の1320年、高傳僧都が堂宇を、明治の廃佛毀釈により菅原天神社本尊十一面観世音菩薩を当山に遷座とある。



                            本堂


               国道1号線・西湘バイバス・相模湾に面した砂利浜




「田島横穴古墳」
1681年、に発見(2基)。
ここに弁天様が祀られていたことから、田島弁天山横穴墓群とも呼ばれ、その後、昭和32年に、田島史談会によって調査が行われるまでに全部で12基の横穴墓が発見された。
そのうちの1基は埋め戻されているため、田島横穴群のうち、弁天山横穴群11基が史跡に。
小田原市域における古墳時代の墳墓には、
久野丘陵の円墳群と大磯丘陵の麓に点在する横穴墓群などが知られ、この横穴墓群は、市内では曽我付近から下曽我、田島、国府津、橘へと続き、久野丘陵の円墳群とともに、学術的にも貴重な遺跡です。また、昭和32年に12号古墳から出土した須恵器の自然釉壷や長頚瓶、11号古墳から出土した畿内産の土師器坏などは、相模地方における貴重な資料。
羽根尾横穴墓も、田島横穴古墳と同様に、曽我、田島、国府津から橘地区を経て、二宮町、大磯町そして平塚市域に至るまでの大磯丘陵のふもとを取り巻いて多数点在していると云う。




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