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陣屋敷 美濃 明知城の北方を守る砦か?街道を扼する砦か? 主郭を帯曲輪が取巻く城郭

2022-11-22 | 歴史

陣屋敷は岐阜県恵那市明智町野志にあります。遺構は以前から知られていましたが、岐阜県中世城館跡総合調査報告書で城館跡類似遺構とされました。また宮坂武男さんの縄張図集では陣屋敷砦として明智防衛の北の要衝とされました。今回『恵那市の新発見城館跡』で恵那市教育委員会によって「陣屋敷」は城郭遺構として取り上げられました。城主、城歴は不明のようですが、明智と岩村を結ぶ主要な街道(現在の363号線)や山越えの間道を抑える役割だった可能性がありそうです。今回の資料は (1)岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集 加茂地区・東濃地区2004  (2)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015  (3)〚恵那市の新発見城館跡』報告書 恵那市教育委員会2022 などです。遺構の名称は資料(3)に従って陣屋敷としました。


陣屋敷 一帯は明知城を中心に武田軍と織田軍が対峙し、度々支配が入れ替わった
 一夜城は明知城攻撃で武田勝頼が陣したとされ、諏訪ヶ根砦は織田信長が陣したと伝わります。明智から岩村に向かう主要街道(現在の363号)や野志から山越えで原や釜屋に抜ける間道もあったようです。
※図1の  釜屋大洞城  田沢城   奈免入城 も〚恵那市の新発見城館跡』に掲載され、当ブログでも紹介しています。


陣屋敷 東尾根に道は残るが、城域かは? 切通道あ は堀跡かも
 Ⅳ郭北側の 切通道 は堀切だった可能性があり城域の北端かもしれないとされますが、断定はできないようです。東尾根は資料(2)で急ごしらえの陣城の可能性を示していますが、資料(3)では城郭遺構との評価をしていませんでした。


陣屋敷 東尾根の土橋状地形h 南東から
 東尾根は後世の改変が在ったように見えましたが、土橋状地形hを見ると、多くの人が利用した道が在ったのは間違いないようでした。


陣屋敷 切通道あ 西から 右手にⅣ郭
 Ⅳ郭北側の切通道 は明治の地図を見るとここに道はないようですので、近年に敷設された道路です。この場所に往時の堀切が在ったかどうかは各資料でも確認できないとされています。


陣屋敷 往時の道と後世の道が入り混じっているようでわかり難い
 城域には後世に祀られたと思われる石造物が三体ありました。その参道としての道や耕作地として利用していた農道などもあるようで、往時の道は改変を受けている可能性がありそうでしたが、遺構そのものは明確に残されているようでした。


陣屋敷 Ⅳ郭   北から    奥にⅠ郭
 Ⅳ郭は平坦地で後世に耕作地として利用され、その後植林されたようです。Ⅳ郭からⅠ郭の間には細かな遺構が見られました。切通道に堀切が無かった場合には、Ⅳ郭は城郭遺構ではないということになりそうです。


陣屋敷 Ⅳ郭南東端の土坑g かなり埋まって原形は確認困難
 土坑は、落葉と雑草で原形を確認することが出来ませんでした。たぶん往時の井戸跡だろうと想像しましたがどうでしょう。


陣屋敷 Ⅰ郭 南から 土塁は確認できない  石造物が祀られている
 Ⅰ郭は丁寧に削平されていますが土塁は見当たりませんでした。曲輪の周囲を囲む帯曲輪によって作り出された切岸が守りの要になっているようでした。紙垂(しで)がまだ新しいので、石造物は今でもお参りされているようですね。


陣屋敷 Ⅱ郭からⅠ郭を見上げる 北から  人物と比較して切岸の高さが想像できる
 Ⅰ郭東辺下の帯曲輪Ⅱは丁寧に削平されていました。ヒョットすると耕作地に利用されていたかもしれません。Ⅰ郭西辺側の帯曲輪②-④は幅が狭くⅡ郭ほど丁寧な加工がされていませんでした。
 

陣屋敷 Ⅰ郭南端部の坂虎口 南下から
 Ⅰ郭へ登る虎口は南端部の1ヶ所だけだったように見えました。Ⅱ郭側と帯曲輪側の2方向からの通路がありますが、ヒョットすると往時はⅡ郭からの通路だけだったかも知れないと思いました。


陣屋敷 竪堀C 東上から
 図2の秋葉神社の祀られている南尾根方向に向けて堀切・竪堀が2条設けられ、この方向を意識した守りに重点が置かれていたようです。


陣屋敷 堀切ABと土橋 奥上に平場⑤ 南から
 南尾根の城域を区切ると思われる堀切A,Bが設けられ、土橋地形が見られました。土橋はⅠ郭、Ⅱ郭に祀られた石造物への参道として、後世の改変の可能性があるかもしれませんね。


陣屋敷 南尾根の秋葉社 南から
 図2の南尾根先端部に祀られている秋葉社は、整備された参道が明確でした。往時には何らかの城郭関連施設が尾根先端に在った可能性があったのかもしれませんが、確認はできません出した。


陣屋敷 Ⅲ郭 南から   東側(右下)小尾根に道がある
 Ⅱ郭から東側にⅠ段下がって面積の狭いⅢ郭がありました。ここから東側の小尾根に下る道も在ったようで、踏跡とロープがありました。資料では触れられていませんでしたが、往時の登城路はこちら側だったのかもしれませんね。

陣屋敷の設置目的は明確ではありませんでしたが、野志を通過する幾本もの道の結節点を抑える重要なポイントだったのではないかと想像しながら楽しく見学ができて良かったです。