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有子山城 但馬 その3 千畳敷の広さに驚き、大堀切や長大な竪堀を堪能

2022-11-17 | 歴史

有子山(ありこやま)城は兵庫県豊岡市出石町字城山にあります。東海古城研究会の一泊二日の特別見学会「丹波・但馬の古城を訪ねて」に参加して見学しました。有子山城は羽柴秀長により土の城から石垣の城に改修されたとされます。その1では石垣で築かれた遺構の手前まで登り、その2ではたっぷりの石垣遺構を堪能しました。その3ではⅡ郭(千畳敷)や大規模な堀切、竪堀などを見学します。今回の参考資料は (1)見学会資料  (2)「近畿の城郭Ⅳ」城郭談話会編2017  (3)パンフレット「有子山城跡 出石城跡」山名氏城跡保存会編 出石まちづくり公社発行 などです。その1は→こちら    その2はこちら


有子山城 Ⅰ郭とⅡ郭はほぼ同じ標高 
 千畳敷といわれるⅡ郭にはⅠ郭のような石垣は見られませんが発掘調査で瓦片などが検出され、居住空間が在ったと考えられているようです。


有子山城 大堀切 幅28m 深さ12mの大堀切が見どころ! 

 Ⅰ郭とⅡ郭の標高はほぼ同じですので、大堀切で一続きの尾根を開削して分離したのではないかと想像してみましたがどうでしょう。規模の大きさに圧倒されました。


有子山城 竪堀⑦ 往時は大堀切と一体だった?
 竪堀⑦は規模の大きなものでした。ヒョットすると、往時は大堀切と一体の竪堀だったのが、後世の林道工事で改変を受け分断されたのではないかと見えました。


有子山城 Ⅱ郭(千畳敷)は3段の曲輪が連なる面積の広い削平地が残る
 Ⅱ郭は石列で区切られ東側が低い曲輪で東端部には櫓台状の土壇がありました。発掘調査で瓦や築地塀跡がが確認され、居住空間の館が在ったと推定されているようです。


有子山城 Ⅱ郭 南辺の石積⑪ 東から
 Ⅱ郭には築地塀跡が検出されたようですが、ヒョットするとこの部分かもしれないと思って見学しました。


有子山城 Ⅱ郭 二郭東方尾根の堀切A 林道で一部消滅かも
 堀切Aの南端部は林道工事で改変を受け失われたように見えました。残された部分だけでも長大で、見ごたえありの堀切で、北側は竪堀状に切れ落ちていました。※林道(遊歩道)の図は有子山城その1をご覧ください。


有子山城 堀切B 奥に地形⑭ 右に林道  西から
 堀切Bが城域の東端を区切っているようでしたが、先端部を林道によって削り取られ土壇状の地形⑭が残っていました。堀切Bも林道で削り取られ分断されていました。


有子山城 堀切B 林道南下の竪堀部分 北上から 見どころです!
 堀切Bは長大なもので、林道で分断されていますが南に落ちる竪堀部分は鮮明に残され、見どころでした。


有子山城 石取場西側の堀切C 北から
 Ⅰ郭西方下の石取場の西側の尾根にも規模の大きな堀切が設けられ尾根を断ち切っていました。写真は中央部の堀切部分ですが、南北の両サイドに竪堀が長く切れ落ちていました。
 

有子山城 石取場 北西から
 秀長が石造りの城に改修したときに、この石取場から石を切り出したとされます。改修にはかなり大量の石が使われたと思われますが、この石取場だけで間に合ったのかな?と思いました。


有子山城 井戸曲輪⑱ Ⅷ郭からの道の上にある 北から
 井戸曲輪は谷を堰き止めて水場としたように見えました。井戸曲輪の崩落を支える7段の石垣が北下にありますが、今は道で分断されていました。


有子山城 Ⅷ郭から井戸曲輪へ向かう道   東から
 Ⅷ郭からの井戸曲輪へ向かう道は、岩盤を削り取った広い道でした。ヒョットすると後世の林道の一部かもしれないと思いましたが、林道のつながりが不明でした。


有子山城 井戸曲輪北下の7段の石垣⑲  南上の道から  
 井戸曲輪下部の7段石垣は、類例の少ない今遺構で見どころです。今は井戸曲輪と道で分断されていますが、往時は一体だったのではないかと思いました。上から見るとよくわかりませんね。


有子山城 井戸曲輪⑱下の7段石垣⑲ 北東下から  (旧)登城路はここへ出る
 道で分断されたと思われる井戸曲輪⑱下の7段石垣は下から見ると、一部に崩落がありブッシュで覆われている部分もありましたが確認が出来ました。
 (旧)登城路は谷筋を登って7段石垣の所に出ていたようですが、現況は道が失われ確認することは出来ませんでした。 ※(旧)登城路の図は 有子山城その1をご覧ください。

有子山城は規模が大きく各種の遺構が良く残っていましたので、大満足の見学ができとても良かったです。