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有子山城 但馬 その1 石垣遺構が良く残る山上の城郭と雲海が待つ比高310mの山城に感動

2022-11-07 | 歴史

有子山(ありこやま)城は兵庫県豊岡市出石町字城山にあります。但馬守護だった山名氏によって天正二年(1574)に築城されたと伝わり、その後城主は度々変わり羽柴秀長により石垣の城に改修され、小出氏によって山下に出石城が築かれ元和元年(1615)の一国一城令のころに廃城となったとされます。今回、東海古城研究会の一泊二日の特別見学会「丹波・但馬の古城を訪ねて」に参加して見学しました。比高310mの登りはきつかったのですが、途中眼下に雲海を眺めながら登り、山上の石垣造りの見事な山城に到着して疲れも吹っ飛びました。今回の参考資料は(1)見学会資料 (2)「近畿の城郭Ⅳ」城郭談話会編2017 (3)パンフレット「有子山城跡 出石城跡」山名氏城跡保存会編 出石まちづくり公社発行 などです。


有子山城 山下の出石城を通って登る 比高310m  現地ガイドさんは若かった
 有子山城か築かれた城山から東に延びる尾根の先端に鯵山峠があり、東方を守る鯵山城が築かれ、尾根道が在ったと思われます。尾根筋には後世の林道が敷設されていたようですが、今は遊歩道になり車の通行は禁止です。310mの比高を登りながらガイドをする現地ガイドさんは年齢の若い方でした。若くないと息が切れてガイドどころではないなと勝手に納得しました。


有子山城 出石城からの(旧)登城路は通行不能で北尾根に遊歩道が設けられている
 井戸曲輪⑱の下部に出る沢筋を登る登城路があったようですが、砂防堰堤などが設けられて、通行不能となり今は北尾根に遊歩道が設けられていました。北尾根には竪堀が見られました。


有子山城 尾根の東側に落ちる竪堀①   南上から 
 山上のⅨ郭に至る北尾根には三ヶ所の竪堀がありました。竪堀①は東側のみでしたが竪堀②と③は尾根の両サイドに竪堀が設けられていました。


有子山城 竪堀② 「土橋・堀切」の表示版あり 北から
 竪堀②は尾根の削り残しが土塁と表示されていました。竪堀は両サイドに落ちていていました。


有子山城 竪堀② 東側  左に土橋 竪堀は土橋の両サイドに落ちている 南上から
 竪堀②は土橋の両側に竪堀が設けられていました。写真は土橋東側の竪堀ですが、北尾根の竪堀はいずれも東側に重点が置かれているようでした。


有子山城 竪堀③ 竪堀は両サイドに設けられている 写真は遊歩道西側の竪堀
 竪堀③は北尾根に設けられたⅨ郭に近い位置にあり、注意しないと見落としてしまいそうな浅い竪堀でした。


有子山城 Ⅸ郭 北尾根の先端部にある 北から 奥上にⅧ郭
 有子山城は土の城として築かれ、後に石垣の城へと改修されたと伝わります。Ⅸ郭は尾根を削平して築かれた土の城時代のものだったのではないかと思いました。ここまででかなり息が切れましたが「本丸まで五〇〇メートル」の表示板を見て、気を引き締めました。


有子山城 Ⅷ郭 面積の広い曲輪 北から
 Ⅸ郭もそうですがⅧ郭も丁寧に削平されていました。山頂部のⅡ郭(千畳敷)には居館があったようですので、各曲輪も継続使用のため丁寧な加工がされてのではないかと想像しましたがどうでしょう。ここに立つ表示版には「此処から先はなだらかな道です」とあり一安心でした。


有子山城 竪堀状地形④ 崩落地形の可能性あり
 Ⅷ郭から遊歩道を進むと、竪堀状の地形がありました。ベテランの会員さんの見立てでは崩落地形の可能性が高いということでした。そのつもりで下を覗くと崩落したと思われる土砂が見えました。


有子山城 木の間隠れに雲海が見えてラッキー!
 息を切らして登ってきましたが、遊歩道の途中で雲海が見えました。山頂部に着く頃には雲海は消えてしまいましたので、ラッキー!でした。


有子山城 北西尾根のⅥ郭 南東上から
 時間的な制約があるため北西尾根の見学はできませんでしたが、遊歩道からⅥ郭が見えました。こちらも北尾根同様に土の城の遺構のようでした。

有子山城は見どころが豊富でしたので、3回に分けて掲載したいと思います。