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田沢城 美濃 新発見の山城 尾根を断ち切る4条の堀切が見どころ 

2022-06-22 | 歴史

田沢城は岐阜県恵那市山岡町田沢にあります。岐阜県CS立体図によって未確認の山城を探し、現地調査によって確認する手法が高田 徹さんによって提唱され、森本勝巳さんが同手法によって岐阜県内で多数の未発見の山城を踏査をされました。今回恵那市教育委員会によって恵那市内の新発見の城館の確認が行われて7城が掲載された報告書『恵那市の新発見城館跡』が刊行されました。今回は飯高城に続いて田沢城を報告書『恵那市の新発見城館跡』を参考資料として見学します。 
 ※飯高城 その1は→こちら  その2は→こちら
 ※報告書『恵那市の新発見城館跡』は恵那市公式ウェブサイトの「恵那市の城館跡」ページ内で公開中
  

田沢城 田沢城、飯高城は山岡地区の東を意識した城館だった可能性がある
 資料によると元亀天正の争乱(1572~75)の過程で東方から侵攻する武田軍を迎えて築城された陣城の可能性が指摘され、田沢地区と東方の峰山地区を結ぶ里道が城址のある尾根筋付近を通過していたとされます。


田沢城 城趾付近を通っていたとされる旧道を探しながら田沢城の見学をする
 古くは田沢城の近くを峰山地区への道が通っていたとされ、明治の地図にも載っていましたが、現在は奈免入林道が敷設され、旧道ルートは明確ではありませんでした。


田沢城 奈免入林道の適当な場所(一番目の砂防ダム付近)から登る
 旧道の登り口がわかりませんでしたので奈免入林道の途中からエィヤッ!と登り始めて、旧道の踏跡を探しながら城域に向いました。GPSを頼りに探しましたが尾根に登り切るまでに明確な旧道の踏跡は見付けられませんでした。


田沢城 西尾根道を東進すると⑧に至り城域に入る
 田沢城は西尾根、東尾根と北西尾根に遺構があり、東尾根には3条の堀切が設けられ東方向に対する守りの厳重さを感じました。帰路は南尾根を奈免入林道に向けて道を下りましたが、山仕事も道のように見え途中で踏跡が消えていました。


田沢城 堀切E 北から 右手に尾根⑧の土壇
 西尾根⑧は堀切Eで断ち切っていました。掘り上げた土を尾根⑧側に積み上げた土塁状の地形が有りました。堀切のサイズは大きめですが、風化を差し引いても深さは浅かったようでした。


田沢城 Ⅰ郭(主郭)北西隅 北西下から  奥上にⅠ郭 通路⑬は虎口かも
 Ⅰ郭には土塁は見当たりませんでした。平場⑩からⅠ郭に入る折れを伴った虎口状の通路が薄く残っていましたのでヒョットすると北西尾根ロに城道が有ったのかもしれないと想像しました。北西尾根ロには堀切が設けられていなかったようです。


田沢城 Ⅰ郭には土塁は見当たらず 中央部に土壇がある
 Ⅰ郭には土塁などの目立った城郭遺構は見当たりませんでした。中央部に土壇がありますが、城郭遺構というよりも古くは小祠などが祀ってあったのではないかと思いましたがどうでしょう。


田沢城 堀切B 南西から 手前に踏跡がみられる
 Ⅰ郭東下の堀切Bの南側に旧道の踏跡と思われる道地形がありました。堀切Bの北側は竪堀状に延びていましたが南側は旧道が通っていたようでした。道があると堀切の意味合いは薄れてしまいますので、田沢城の稼働時に道は存在しなかったのかもしれませんね。


田沢城 崩落地形Gと旧道イ 東から
 図3の地形Gは竪堀ではなくて崩落地形のようでした。旧道イはここを通っていたようでしたが崩落によって原形を留めていませんでした。


田沢城 東尾根の平場③南下の旧道 右上に平場③  東から
 東尾根の平場③はほとんど自然地形と見える尾根でした。南下には旧道の踏跡と見える地形が通っていました。田沢城の南斜面は急角度で道があったとは考えにくいので城域を里道が通っていたとされるのには納得しました。


田沢城 堀切C 南西から 右手奥に土壇の一つが見える
 平場③と④の間には堀切Cが設けられていました。平場④の北西部には土壇が二つ在りましたが、資料では間が竪堀の可能性を記していました。


田沢城 東尾根の平場⑥ 西から
 浅い堀切Dの東側には城域の東端部と思われる平場⑥が有りました。ほゞ自然地形のようで、大岩は元々ここに在ったのではないかと思いました。旧道の踏跡はここを通って東に向かっていました。


田沢城 道ハを辿って下り奈免入林道に出た
 帰路は山仕事の道と思われる道ハを下りましたが、奈免入林道の工事などで道は消滅していました。奈免入林道は山仕事の車が通れる道ですが、現在は途中で道が崩壊し3番目の砂防ダム付近で車両通行止めとなっていました。   ※見学の際の駐車は図2の集会所が安心です。

田沢城は、資料で述べられている様に武田軍の侵入に備えての陣城で普請の時間は少なかったように見えましたが4条の堀切が見どころでした。城域を通る道の存在も興味深く見学ができ良かったです。
 ※奈免入林道に降りて対岸の、これまた新発見の奈免入城の見学に向いました。