城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

有子山城 但馬 その2 石垣がてんこ盛りの山城遺構を堪能

2022-11-12 | 歴史

有子山(ありこやま)城は兵庫県豊岡市出石町字城山にあります。東海古城研究会の一泊二日の特別見学会「丹波・但馬の古城を訪ねて」に参加して見学しました。有子山城は羽柴秀長により石垣の城に改修されたとされます。その1では石垣で築かれた遺構の手前まで登りましたが、その2ではたっぷりの石垣遺構を堪能しました。今回の参考資料は (1)見学会資料  (2)「近畿の城郭Ⅳ」城郭談話会編2017  (3)パンフレット「有子山城跡 出石城跡」山名氏城跡保存会編 出石まちづくり公社発行 などです。その1は→こちら


有子山城 標高321mの城山にⅠ郭(主郭)と居館部(千畳敷)がある
 南と西は出石川を自然の要害としているためか、守りの施設は北と東に重点が置かれているように見えます。


有子山城 Ⅰ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ郭は見事な石垣造りの城郭に改修されている
 羽柴秀長によって石垣の城郭に改修されたと伝わるのはⅠ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ郭と思われ、北側の石取場⑰の石が使われたと考えられそうですね。


有子山城 Ⅴ郭 北辺の石垣  東から
 Ⅴ郭の石垣は、登城路沿いの石垣が見事でした。登ってきて最初に目にする石垣でした。


有子山城 Ⅳ郭の石垣を北西の下のⅤ郭から見上げる
 Ⅰ郭の西側の尾根上に築かれた曲輪はいずれも石垣が取巻いていました。Ⅳ郭石垣は崩落防止の金網で覆われていましたが野面積みの荒々しい圧巻の石垣を見ることが出来ました。


有子山城 Ⅳ郭 曲輪の周囲を土塁が巻いている 東から
 Ⅳ郭は曲輪の周囲に土塁が設けられていました。高い石垣で造り出した高低差+土塁で防御を厳重にしていたのではないでしょうか。


有子山城 Ⅲ郭 北西隅 しのぎ積石垣 西から 手前に平場⑤
 Ⅲ郭の石垣は、いわゆるしのぎ積で、隅が鈍角の石垣となっていました。ここも金網で原形維持の崩落対策が取られていました。各地の城郭石垣の崩落のニュースに接することが多い昨今ですので、事前の対策が重要ですね。


有子山城 Ⅲ郭 曲輪面の西側部分が凹んでいる 北東から
 Ⅲ郭は広い曲輪で、西側部分の曲輪面が凹んでいました。凹んでいる理由はよくわかりませんでしたが、土塁ではなさそうですのでヒョットすると石垣の裏側を埋めた土砂の沈下かもしれないと想像しました。


有子山城 Ⅲ郭 西辺と北辺の石垣  西から    右手の道は大堀切・千畳敷への道 見どころです!
 Ⅲ郭の石垣はしのぎ積だけでなく西面も北面も長い距離の石垣が築かれていました。右手の道は軽トラが通れるほどの道で、ヒョットすると以前は鯵山峠からの林道が図3の平場⑤のここまで来ていたのかもしれないと想像しました。


有子山城 Ⅲ郭 東端部 平場⑥から崩落した石垣 西から
 Ⅲ郭の東端部には平場⑥の石垣があり、かなりの部分が崩落し、転落石が見られました。樹木の切株が多数残りますので、最近話題になる木の根による石垣の崩落かもしれませんね。


有子山城 平場⑥は枡形か?  奥上にⅠ郭(主郭) 西から  
 平場⑥からは石段でⅠ郭に登る構造でした。土の城の地形が影響しているためでしょうか、平場⑥は広い面積ですが枡形とも見える遺構でした。


有子山城 Ⅰ郭 西辺の石段と石垣  南西から 見どころです!
 平場⑥からⅠ郭に登るにはこの幅広の石段しかありません。いかにも「見せる」ための石段と石垣のようでした。


有子山城 Ⅰ郭北西隅の石垣 西から 奥に石垣の折れが見える
 Ⅰ郭北西角の石垣は算木積とは言い難い古い形式に見えました。石垣の裾には犬走が在ったかもしれないと思いました。石垣の折れは横矢でしょうか?横矢というには出幅が少ない様にも見えました。


有子山城 Ⅰ郭(主郭) 西から 左側(北辺)に低土塁
 Ⅰ郭は石垣の城の主郭と思われますが、東側のⅡ郭(千畳敷)と標高がほぼ同じでした。Ⅰ郭の西側と北側は石垣で、東側と南側は大堀切と切岸+土塁で守られていたようでした。

今回は石垣の城郭部分をメインにしましたが、その3ではⅡ郭(千畳敷)を中心に掲載したいと思います。