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美濃・玉城 旧陸軍関ヶ原火薬庫で遺構がほぼ完存し見どころが多い美濃と近江の境目の山城

2020-05-16 | 歴史

玉城は岐阜県関ヶ原町玉にあります。玉はそのまんま「タマ」と読みます。
 美濃と近江の境目にで関ケ原の西に位置した山中に有り、近江から美濃への敵侵入を監視・抑制する役割を担っていたと伝わります。
 築城者、城主の詳細は不明とされますが、岩手竹中家の家臣が守ったという伝承もあるようです。
今回は「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第1集」 岐阜県教育委員会2002を資料として出掛けました。

玉地区には旧軍時代に陸軍の火薬庫が置かれ、周辺の広い範囲が陸軍の用地となっており、玉城の遺構もその範囲に含まれてほとんど改変がされていなかったので、城郭遺構はほぼ完存状態でした。
 ※火薬庫は玉城の北東≒1kmにあり、今もその遺構を見ることが出来ます。
 
玉城 道は城山へのハイキング道になって、整備が行き届いている
 駐車位置から城山(玉城 主郭①郭)まで、整備されたハイキング道があり、20分ほどで到着できました。


玉城 城山ハイキングコースの表示道標が分岐点には立っていて道は整備されている
 道のある尾根道が火薬庫の敷地の東端部になるようで「陸軍境」の表示石柱と、かつては鉄条網が張られていたと思われるコンクリート柱が随所に見られました。 ※城道入口付近の道路余地に駐車は可能でした。


玉城 「陸軍境」の石柱 ハイキング道から城址西端まで、石柱が立っている
 戦争遺跡とも言える「陸軍境」の石柱だが、火薬庫の立入禁止区域だったために城郭遺構は守られたということになりました。


玉城 主郭①郭と帯曲輪②郭、更に下段の帯曲輪③郭の切岸が主郭を守る
 玉城は西(近江)に向けての防御が厳重な構造になっていました。東側は浅い竪堀以外には自然地形の法面で帯曲輪も切岸もなく、一部に腰曲輪が見られるだけでした。


玉城 主郭西側の帯曲輪③を断ち切る竪堀と竪土塁 上から
 玉城の西側に向けた防御施設は厳重で、主郭から2段下がった帯曲輪③の途中には帯曲輪での左右の移動を妨げる深い竪堀と土塁が何条も設けられていました。


玉城 帯曲輪③を断ち切る竪堀。帯曲輪を横切って竪堀として落ちる。見どころの一つ
 玉城の帯曲輪③の竪堀は、帯曲輪を横切って斜面に落ちていました。
資料によれば古い構造の城郭に補強のため後に手を加えたと考えられるとされます。


玉城 西端部の大堀切。両端は竪堀となって切れ落ちている。見どころの一つ
 西側の備えを強化するための尾根を断ち切る大堀切が有りました。両端は深い竪堀となって切れ落ちて、西側からの敵の侵入を阻止する構えとなっていて、玉城の見どころの一つでした。


玉城 主郭① 西端下尾根の「陸軍境」石柱と鉄条網跡?のコンクリート柱
 登ってきた道の途中で見かけた「陸軍境」の石柱とコンクリート柱が城址の反対側の西尾根まで続いていました。おかげで、と言うのも変ですが、これが玉城の遺構がほぼ完存状態の理由のようです。
 
主郭①郭は通称「城山」で、ハイキングのための四阿が立っていました。①郭には一部に低い土塁が残されていますが、大きな穴もありました。城郭遺構としては大きな穴の意味がよくわかりませんが、ヒョットして戦時中に火薬庫を守る防空施設(高射砲陣地?)などがあったのかもしれないと想像して見学しましたが、どうでしょう。

玉城は整備された道で楽に訪れることができ、遺構がよく残る城址をたっぷり見学できて大満足でした。






 


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