城と歴史歩きを楽しむ

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山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

尾張・山崎城 桶狭間の戦いの後に佐久間信盛が入った笠寺台地北端の城

2019-03-04 | 歴史
山崎城は名古屋市南区にあります。
往時は二重に堀が掘られ、重臣の屋敷などがあったとされますが、現在は都市化と鉄道工事によって城址周辺に遺構はほとんど残されていませんでした。主郭に当たる場所は安泰寺となっています。

山崎城は、織田信長の父信秀が死んで今川と敵対した信長の命で築かれたとされます。その後桶狭間の戦で信長が勝利し、佐久間信盛が山崎城に入り、信盛の重臣永田弥左衛門らに守らせました。
 天正八年(1580)信盛が信長に石山本願寺攻撃の不手際で追放されたときに山崎城も廃城となったといいます。

      
山崎城の立地 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
城は笠寺台地の北端にあり東、北、西を台地の高低差を利用した切岸で守られ更に二重の堀が掘られていたとされます。山崎城の北側を山崎川が流れており、鎌倉街道はこの付近で渡河して南下したとされます。


山崎城は高台に有った。 西側下① から見上げると安泰寺の屋根が見える


安泰寺への車道 東側の切岸②が削られて車の通れる道となった
安泰寺周辺は削られて、マンションや住宅が立ち並んでいました。削られた部分を想像力で復元しながらの見学となりました。


安泰寺
山崎城の主郭部分は安泰寺となっていました。都会地の城址が残されるのは、神社か寺院がある場合がほとんどですが、ここ山崎城もまさにそのパターンです。


弥左屋敷③ 上から見る 今は住宅地 右手奥に熊野三社の森が見える
弥左屋敷③の平場は佐久間信盛の重臣永田弥左衛門の屋敷があったところとされます。ここから登ってくる道がありますが、往時の登城路だったのかもしれないと想像してしまいます。奥に見える熊野三社は信盛が城内に祀ったものを後に移したそうです。


名鉄名古屋本線④はかつての堀跡を通ると言われる。
三方を台地の崖に囲まれた山崎城ですが、笠寺台地につながる南側は唯一の弱点と思われるので、ここを掘り切って台地と遮断するために堀があったとされるのは納得できますね。


熊野三社はの境内に立つ松巨嶋(マツコジマ)の説明板
笠寺台地は、西の熱田神宮の方面から見ると「松の大きな島」に見えたことから松巨嶋と呼ばれるようになったと言う説があるそうですが「諸説あり!」の様子です。往古には笠寺台地の東西に海が迫り台地は島状だったことは確かなようです。

笠寺台地には東海道以前に鎌倉街道が通っていました。今は笠寺台地の東西は陸ですが古くは海の潮の満ち干で街道の通行が制限されたため、潮の影響を考慮して何本もの道が通っていたようです。

山崎城は遺構はほとんど有りませんが都会の中に残された、桶狭間合戦に関連した数少ない場所だと思います。安泰寺に駐車場があるので車で訪れることもできる場所です。


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