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三河・御園殿屋敷と御園砦 奥三河に有る今川、徳川、武田の境目の砦と舘をたずねる

2020-05-12 | 歴史

御園殿屋敷と御園砦は愛知県北設楽郡東栄町美園にあります。
 御園の奥山氏は遠江の水窪を領した奥山氏の一族で、今川氏に属していましたが徳川家康の遠江侵攻で徳川氏に属し、武田氏の南進で武田に属しました。その後武田氏の滅亡によって再び徳川に属しました。奥三河の境目に位置する小勢力の宿命を御園の奥山氏も逃れることが出来なかったと伝わります。
 今回は「史跡散策 愛知の城」と「愛知県中世城館跡調査報告3」を資料として出掛けました。
奥三河山間部の旧道は車の時代になって、往時とは道筋も大きく変わってしまった場所も多いので、その点も見てゆきたいと思います。
 御園砦は御園殿屋敷の詰の城として有事に利用された、奥山氏本家と通信の狼煙台だった、見張台だったなどが考えられるようです。望月峠の通行を監視するには少し離れすぎている(500m)ように思いました。


御園殿屋敷と御園砦 詰城と館をセットで眺めることができる
 御園砦は御園殿屋敷の北方の山上にあり、今は無線中継所の施設が建てられています。資料によると殿屋敷周辺は古い地名が残されているようですが、明確な遺構はなさそうでした。地名に該当すると思われる屋敷地形は残されていましたので、想像して楽しむ範囲でした。


御園殿屋敷と御園砦 国土地理院地図では御園殿屋敷への道はわからない。御園砦へは林道を大回り
 御園殿屋敷への道は行き止まりの道で、山間部の利用が少ない道のためか国土地理院地図には描かれていませんでしたので下図の空中写真を参照してください。花まつりの舘周辺に駐車して歩くのが良さそうでした。
 御園砦へは御園トンネル南端を右折して林道を進み、余白地に駐車しました。歩いてなら真地から望月峠への旧道がありそうでしたが今回は歩いていません。


御園殿屋敷 周辺の空中写真  興味深い地名が見える
 資料によると殿屋敷を中心に周辺にいくつもの屋敷地名が残されています。今は殆どが畑地ですが、往時の地割りがかなり残っているように思いました。


御園殿屋敷 ジョウグチ の地名が残る場所  
 現在は車の道になっていますが、付近には旧道と思われる細い道が残っていました。殿屋敷の入り口にあたるので ジョウグチ と呼ばれる場所なのかと勝手に納得しましたがどうでしょう。


御園屋敷 地名と地形が合致しているように見える
 地名ごとに段差が残っていました。いかにも段ごとに屋敷が構えられていたように思える地形が広がっていました。板屋には住宅が立っていましたが、石垣は宅地化による後世のものかもしれないと思いました。


御園砦 今は無線中継所が建ち、遺構は残されていない
 林道から尾根筋を登って美園砦へ到着しました。今は無線中継所の局舎が建設され、遺構は失われていましたが、資料の縄張図と照合して「在りし日の」御園砦を想像しました。


御園砦 無線中継所付近の表示版「御園富士」「岩山山頂」とある
 御園砦のある山は「岩山」と呼ぶようで、地元では「御園富士」と呼んでいるのでしょう。
遺構としての地形は失われましたが、麓の御園殿屋敷から見た山は御園富士と呼ばれても納得でした。


御園殿屋敷と御園砦 現在の道路と照合するのが困難   
 付近の戦前の地図を見ると、神社から望月峠を越える道がメインだったようですが、今は御園トンネルが出来て周辺道路もすっかり変わっていました。  ※国土地理院5万分の1 旧地形図はこちら
 御園殿屋敷周辺の道も戦後の道路改修で大きく変わり、旧道は埋もれてしまいました。遺構見学で道との関連を考える場合、現在の道が往時の道とどう関わっているかに注意しなければいけないと改めて感じる見学になりました。
 


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