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松倉城 越中 南北朝期から250年間、重要拠点として補強され続けた遺構が見どころ 東海古城研究会の見学会で訪れました

2023-11-13 | 歴史

松倉城は富山県魚津市鹿熊にあります。築城年代の詳細は不明とされますが南北朝期前半と考えられています。その後、この城を巡って幾度もの戦いが繰り返され戦国末期までの約250年間にわたって重要な拠点としての役割を果たしてきたようです。 今回の 参考資料は (1)見学会資料  (2)パンフレット「松倉城跡」魚津市教育委員会 などです。東海古城研究会の一泊二日の特別見学会に参加して訪れました。

松倉城 かつては鹿熊に城下町があり、南東約5㎞には松倉金山もあり古くから栄えた
 資料⑵によると、松倉城の南東約5㎞には南北朝期からの金山があり、松倉が栄え、幾たびも奪い合われた要因の一つとなったようです。松倉城は堅固な城塞で籠城の記録が多く残るようですので、山下の鹿熊の城下町には居館があり、非常時には松倉城に入ったのかもしれません。

松倉城 山上の曲輪群と北西の平場群が城域で規模の大きな山城
 石の門を通る道が大手道と考えられ大見城平などの面積の広い曲輪や北西尾根上の平場群などの脇を通って本丸に向っていました。本丸から四の丸にかけては4条の大きな堀切を設けて尾根を断ち切っていました。本丸背後の八幡堂との間も堀切で断ち切って、厳重な備えとなっていました。見学会では二の丸下の駐車場までバスで登りました。

松倉城 本丸と二の丸間の大きな堀切3 北西から
 本丸のある尾根を断ち切る堀切は合計5条あり、それぞれの規模も大きく残存状態もよくて、見ごたえありでした。

松倉城 本丸(主郭) 南から   奥に櫓台1
 本丸は丁寧に削平された曲輪でした。南端部には櫓台と思われる高所がありましたが曲輪の周囲に土塁は見当りませんでした。

松倉城 本丸北部の一段高い櫓台1 南から
 本丸は尾根を削平して平場を造り出したようですが、櫓台部分は尾根の削り残しを利用しているようでした。

松倉城 堀切2と八幡堂曲輪への道 東から
 松倉城の南端部には八幡堂を祀る小さな曲輪がありますが、本丸との間に大きな堀切2があって遮断されていました。
 
松倉城 南端部の小曲輪 八幡堂が祀られている、現役か?
 松倉城南端部には八幡堂が祀られている小さな曲輪がありました。この曲輪に役割があったというよりも本丸の南の守りの堀切2を掘り切った際に残った地山のようにも見えました。八幡堂は現役かどうか不明でした。 

松倉城 二の丸 南東から 土塁は無い
 二の丸は地山に沿って段のある地形の頂上部が平らな曲輪でした。本丸に次ぐ面積のようでしたが、ここも土塁は見当たりませんでした。

松倉城 二の丸と三の間の堀切4 北西から
 堀切4は他の堀切と比べると輪郭はゆるやかのようでした。掘られた時期が古くて風化があるからかな?などと想像しながら見学しました。 

松倉城 三の丸 東から 土塁の開口部7は虎口かも
 三の丸は周囲の一部に土塁が残る曲輪でした。通路部分にあたる土塁には開口部7がありました。往時からの地形だとすれば虎口だったのではないかと思いました。

松倉城 三の丸と四の丸間の堀切5と四の丸(西の丸)への通路 西から
 四の丸とした曲輪の名称は現地の表示板に西の丸とありましたが資料⑵には表記がありませんでした。本丸のある尾根の一連の曲輪群の北端部にあたるのが四の丸と見ました。資料⑵を見ると、その先の尾根上にも多少の遺構地形があるようでしたが今回は見学していません。
 
松倉城 四の丸 南から 北辺の土塁8が残る
 本丸のある尾根の北端部の尾根を削平し、北辺に土塁を設けた曲輪でした。土塁は明確で、築かれた時期が一番新しいのではないかと思いました。写真のように曲輪内はきれいに削平されていました。

松倉城 堀切6 北端部の堀切6 左側切岸が急になっている
 四の曲輪の北側の堀切は写真のように、切岸が急になっていました。この点からも四の曲輪の築かれた時期の新しさが感じられるように思いましたがどうでしょう。  次は大手道を登ります。  

松倉城 石の門 西下から 木戸があったかも
 松倉城の大手道の入口の両側には大きな石の石積があり、いわゆる鏡石のような役割だったのではないかと思いました。往時はここに木戸があったのではないでしょうか。

松倉城 大見城平 大手道11沿いには多数の平場がある
 大手道のある北西尾根には大手道沿いに大見城平など多数の大きな平場が階段状に築かれていました。資料(1)によると、戦時における城主以下の常居の場所だったとされます。
松倉城 大手道と土塁10の開口部 西下から
 大手道の途中には、土塁10があり虎口状の開口部を大手道が通っていました。地形的に屋敷地と城郭部の境目にあたるように見えましたので開口部は虎口と見てもよさそうに思いました。

松倉城 大手道に立つ水飲場の標柱 南東上から
 大手道の途中には水飮場の標柱が立っていました、右下に谷筋が在りましたので、谷に降りて水を汲んだのではないかと想像しました。大手道を登りきると、道は駐車場付近に出ました。

駐車場から石の門までの大手道の下り登りは少々きつかったですが、戦いの長い歴史の中で改修・補強が繰り返された規模の大きな松倉城は見どころが豊富で大満足の見学ができ良かったです。