城と歴史歩きを楽しむ

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増山城 越中 規模の大きい城域に興味深い城郭遺構がてんこ盛りで見ごたえあり!

2023-11-23 | 歴史

増山城は富山県砺波市増山にあります。築城は南北朝期にさかのぼるとされ、その後幾多の武将の名が城主として登場するようです。その間に度々改修が行われ、居館を含めた今見る規模の大きな城塞群となったと考えられ慶長年間頃に廃城になり、その後耕作地としての利用があったようです。今回は東海古城研究会の一泊二日の特別見学会で訪れました。参考資料は(1)見学会当日資料 (2)パンフレット「増山城跡」砺波市教育委員会2023  (3)現地案内板 などです。

増山城 和田川に造られたダムによって一部が水没した
 増山城の直下を流れる和田川にダム(昭和44年竣工)が作られたことにより城域西側の屋敷地や対岸の城下町などが一部水没したようですが、ほとんどの城郭遺構は現存し、資料⑵では「山城の教科書」と呼ぶにふさわしい山城と謳っていました。

増山城 城郭遺構は良く残り見どころも多く見ごたえがある
 北側の亀山城が増山城の前身だったのではないかという説がありましたが、最近の発掘調査によって16世紀後半に利用された山城と判明し、増山城の北側を守る役割として後に築かれたと考えられるようになったようです。城内を巡る道は整備され、見学路となっていますが、往時の城道に重なる部分も多そうでした。
※規模の大きな増山城でしたので、見学会では一部見学することが出来ない城郭遺構があり、図2では資料に載っている遺構の一部は割愛しています。

増山城 大堀切 西から  
 かつての大手道は一部遊歩道になっていましたが、大手道を挟む二つの尾根を断ち切る両側の長大な堀切も見どころの一つでした。

増山城 馬之背ゴ 西側に備えた土塁囲みの曲輪
 かつては西側山下に侍屋敷があり、和田川を挟んで対岸には城下町が開けていたようで、馬之背ゴはその方面の備えとしての役割があったように見えました。

増山城 一ノ丸 南東から 西と北を高い切岸で守られた曲輪
 増山城の守りは西と北が意識されているように見え、一ノ丸も西側と北側は高くて急な切岸が設けられていました。二ノ丸よりも低い位置で面積も狭いので、現況では二ノ丸が主郭のようでした。

増山城 又兵衛清水
 増山城は規模が大きいので、複数の井戸や水場が在りました。この又兵衛清水は「とやまの名水」というだけあって今も清らかの水が涌いていました。

増山城 二ノ丸 虎口 西下から 
 二の丸は主郭として重要な場所で、居館があったと思われ、土塁、虎口、櫓台などの遺構が残っていました。土塁は主郭を取り巻いていた可能性がありそうですが、現況は分厚い土塁を一部に見ることが出来ました。虎口の両サイドの土塁も分厚く見どころでした。

増山城 二ノ丸  鐘楼堂 南から
 二ノ丸北東隅には鐘楼堂と呼ばれる写真のような土壇が在りました。案内板(3)の絵図で角櫓とされる場所のようですので、増山城が稼働していたときには櫓台でその上に櫓が建っていたのかもしれません。古い寺院の跡地に増山城が築かれたたとすれば、鐘楼堂があったのかもしれませんね。木製の階段は見学路整備の一環のようでした。

増山城 二ノ丸と安室屋敷間の堀切 西から 右に二ノ丸 ここも見どころ!
 元の地形は一体だったと思われる尾根を大きく掘り割って二ノ丸と安室屋敷を分割したように見えました。現況の道だと、かなりの距離を歩かないと行き来が出来ませんのでヒョットすると往時はここに木橋がかかっていて行き来が出来たのかもしれないと妄想してみましたがどうでしょう。

増山城 安室屋敷 北から 左に土塁   奥に堀切を挟んで二ノ丸の鐘楼堂が見える
 安室屋敷も重要な場所だったと思われ、北辺と東辺には土塁が残っていました。(3)の絵図によれば、ここも後世の耕作地化によっての改変が加えられていると思われますので土塁は現況よりも規模が大きかったのではないかと思いながら見学しました。

増山城 馬洗池 北から
 馬洗池は谷筋に堤を築いて、湧き出す水を溜める池のようでした。馬洗池はあちこちの城址で見かけますが、本当に馬を洗ったのか?ですね。

増山城 三ノ丸 北側の守りが意識された構造か
 三ノ丸の北辺の切岸は急角度で高低差が大きいものでした。増山城は他の曲輪も北への備えが目立ちました。

増山城 三ノ丸北辺の切岸と堀 西から 見どころです!
 三ノ丸北辺下には堀が掘られ、急角度の切岸と高低差を造り出し厳重な防御地形を構築していました。

増山城 池之平等屋敷 案内板が立つ
 近くに伝神保夫人入水の井戸があり、井戸のことを池と呼び池ノ平等と名付けたとされる屋敷跡でした。神保氏の支配は長期間で、御所屋敷以北の場所は、戦国期の戦い以前の場所だったように感じました。

増山城 伝神保夫人入水の井戸
 城主夫人やお姫様の入水伝説のある井戸、金の茶釜などを投げ込んだ井戸の伝承は各所で見かけますが、直径1m程度のこの井戸に入水したとするのはちょっときびしいなと思いましたがどうでしょう。

増山城 法花坊峠の小判清水 今も水が見える
 増山城の見学路から北側の道路に出た所が法花坊峠で、付近に小判清水と名付けられた清水があり、今も水が涌き出ていました。かつては峠越えの旅人が喉を潤したのではないかと想像してみました。道路の北側には亀山城が在りましたが今回は見学していません。
 
増山城は規模が大きい城郭ですので、一日かけてでも隅々まで見学したい山城でした。今回は見学出来なかった部分も一部ありましたが、時間が限られた中での見学で見どころの多い増山城を十分に堪能できて大満足の見学となりました。