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中金城 三河 主要な街道の結節点を扼する三宅氏の城郭

2023-11-18 | 歴史

中金城は愛知県豊田市中金町にあります。資料によっては、山頂部にある山城の中金古城を中金城B、中腹にある中金城Aとしている場合もあるようです。今回は中金城Aにあたる城郭を見学します。中金城は三宅氏が築いたとされ、山頂の中金古城の方が古く、中金城は後に居館として築かれた可能性があるとされます。今回の資料は(1)「豊田の中世城館」愛知中世城郭研究会1993  (2)「愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ」愛知県教育委員会1994  (3)「忘れられた街道 上」中根洋治著2006 (4)「愛知の歴史街道」中根洋治著1997 などです。

中金城 主要な街道AとBの結節点を見下ろす位置に築かれている
 東西に走る国道153号線Aは古い飯田街道とほぼ同じルートを通り、矢作川の土場(川湊)のあった古鼡(ふっそ)から中金へ抜ける物流の道Bが中金で合流して足助から飯田方面に向っていました。西三河山間部には飯田街道と地元で呼ばれる道が幾本もありますが、飯田街道の本道へ結びついている道を飯田街道といったようですね。

中金城 153号線の北側の地道はかつての飯田街道だったか
 西中金駅跡は廃線となった鉄道の終着駅でした。ここから東に延伸して足助までの鉄道敷設の計画があったようですが、実行されずに廃線となりました。

中金城 戦後耕作地として改変の可能性があるのでその点も考慮して見学
 資料によるとⅠ郭に居館があった可能性が記されていました。耕作地としての改変があったとすると、Ⅰ郭を取り巻く平場や犬走地形a、bは後世の改変を受けている可能性があるかもしれません。

中金城 Ⅰ郭 小規模な削平地で土塁は無い
 Ⅰ郭も改変があるようですが、平面図的な地形はおおむね原形を留めている様に思いました。土塁は見当たりませんでしたが南辺に犬走状の段が在りました。

中金城 Ⅰ郭南辺の犬走状地形 東から
 Ⅰ郭南辺には犬走状の地形が在りました。耕作地化された曲輪の周辺に、同様の地形を時々見かけますので城郭遺構の犬走と断定は難しかったです。

中金城 平場① 南から
 中金城の南斜面は平場①の下にも幾つかの平場が在りました。資料では描かれていませんでしたので、山畑跡と見たのでしょうね。

中金城 平場② 幅の狭い平場が竹林になっている
 南斜面の平場②は幅が狭いもので、写真のように切岸も少し崩れていました。曲輪が耕作地になった跡が竹林になっている山城は多いので、ここもそうかもしれないと思いながら見学しました。 
中金城 平場③ 東から 右上にⅠ郭
 平場③は平場②よりもさらに幅の狭い平場でした。曲輪の機能はほとんどなさそうですのでⅠ郭の切岸を削り出すが主な目的だったのかもしれないと想像しましたがどうでしょう。

中金城 Ⅰ郭 東下の犬走地形a 南から 左上にⅠ郭
 平場①からⅠ郭の東下を巻く犬走地形aが在りました。往時からあった地形かどうか不明で、後世の道の可能性もありそうでした。

中金城 Ⅰ郭 東下の犬走地形a 北から 右上にⅠ郭
 aを北側から見ると、犬走というよりも道ですね。往時もⅠ郭を迂回する道だったのを後世に耕作地の農道又は山仕事の道とし利用した可能性もありそうでした。

中金城 Ⅰ郭西側下の犬走地形b 南から 右上にⅠ郭
 Ⅰ郭の西下にも犬走状の地形が在りました。aと同様、城郭遺構の地形かどうか不明でしたが、Ⅰ郭の入口が北側だったとすれば、城郭遺構の通路だったのかもしれないと想像してみました。

中金城 細尾根⑤ 左に平場④ 中央奥にⅠ郭  北から
 資料によると細尾根⑤は掘り切られていたかもしれないと記されていましたが現況からは判断できませんでした。犬走地形bが平場④の南側につながっていました。Ⅰ郭の入口が北側にあったとすればこの辺りに虎口地形があったのかもしれません。

中金城 細尾根⑤ 南から 左手下段に平場④  奥に中金古城への道が延びる
 Ⅰ郭から細尾根を見ると、尾根の両側を削って細くしている様に見えました。

中金城は耕作地化による改変と城郭遺構の区別が難しい状態でしたが、勝手な想像を交えて楽しく見学することが出来て良かったです。山頂部の中金古城も見学しましたので、別途アップしたいと思います。