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宮崎城 越中 海岸線と山街道を扼す越中越後境目の城 東海古城研究会の見学会で訪れました

2023-11-01 | 歴史

宮崎城は富山県下新川郡朝日町にあります。越中と越後の境目の城として奪いあいが繰り返されたようです。日本海が間近に迫る尾根上に築かれ、狭い海岸線を通る街道と城の南側を通る山街道を扼する山城であったとされます。今回は東海古城研究会の1泊2日の特別見学会に参加して二日間で七城を訪れました。参考資料は見学会資料と現地案内板、現地パンフレットなどです。



宮崎城 中型バスで細い山道aを登る 
 城址への道aは細く、見学会の中型バスでは対向車が来たらアウト! 道に覆いかぶさる木の枝をものともせずバスは進みましたが、参加者は緊張感で息をのみました。※乗用車でもすれ違いは不可の部分が多そうでした。
 

宮崎城 戦時中、陸軍によって改変が行われている部分が多い
 資料と現地案内板によると城山公園、矢倉台、本丸の辺りは戦時中、軍用電波施設が建設された時に、大きく改変されたとありました。


宮崎城 現地案内看板の図を抜粋
 本丸と矢倉台の位置関係が逆ではかと思いますが、当ブログでは遺構名称として現地案内板の名称をそのまま用いましたがどうでしょう。
 

宮崎城 城山公園元は曲輪だったが旧陸軍によって大きく削平された
 資料によると曲輪は旧陸軍によって削平されて原形は失われ、今は城山公園として整備され遊歩道bが通っていました。


宮崎城 旧陸軍によって堀が埋められ車の道Cが造成された 北から
 現地案内板と資料によると、堀切があったと思われる道Cの部分は旧陸軍によって埋められ、車が通れる道が造成されたとありました。


宮崎城 矢倉台部と本丸 南から 見どころですが・・・
 資料によると、矢倉台の平場も旧陸軍による改変が行われているようでした。原形は確かめられませんが、本丸とされる最高所とそれを取り巻く曲輪の形を想像をしながら見学しました。本丸を取り巻く腰巻石垣は見事ですが往時のままではないかもしれないと思いました。


宮崎城 本丸への石段と石垣
 本丸へ登る階段の左右の石垣は一部に積み直しが見られるようですが、往時の姿を留めているのではないかと思いました。


宮崎城 本丸 ここからの眺望は素晴らしい!
 公園化に伴う整備がどこまで行われたのか判りませんが、概ねこのような平場が在ったと思われます。ここからは日本海や富山湾迄まで見通せました。
 

宮崎城 二の丸 東から
 本丸と三の丸を結ぶ尾根を削平した曲輪ですが、防御性は感じられませんでした。


宮崎城 三の丸 南辺の石塁 北から 見どころです
 三の丸は城郭遺構らしい地形がみられました。特に南辺に築かれた石積で固められた土塁は見どころでした。石塁の外側の南辺切岸は急角度なのに厳重な石塁を築いたということは、幾たびかの戦いの中でこちら側からの侵入があったのかもしれませんね。三の丸には、北陸宮墳墓と称する土壇と表示がありましたが北陸宮の存在や墳墓の地には諸説があるようで、墳墓は現代の築造だそうです。


宮崎城 大堀切への道
 三の丸から北に下る道があり大堀切へ行けそうでしたので、夕闇迫る中でしたが急いで行ってみました。途中の道dは遊歩道として整備された道らしく、写真の様に石畳になっていました。地図では曲がりくねった旧道と思える道eがあるようです。


宮崎城 七曲橋 左右に大堀切 北から
 道dを下ると大堀切にかけられた七曲橋に出ました。遊歩道に新設された橋ですので、往時の状況はわかりませんでした。肝心の大堀切の存在は確認できましたが、ブッシュと樹木で覆われていて地形の確認は残念ながら困難でした。


宮崎城 上ノ山園地 南から
 遊歩道dの出発点は上ノ山園地の様で、公園として整備され駐車場などが設けられていました。こちら側から宮崎城へ登ると、より一層山城見学の醍醐味が味わえそうだなと思いながら引き返しました。
 見学が終わって、下山する道aはスッカリ暗くなって、バスの車内は行きよりも緊張感が一層高まりました。バスが国道8号線に出ると、ホッとして全員で運転手さんに拍手を送りました。

宮崎城は旧陸軍による城郭遺構の改変が大きい場所が多かったですが、地形としてはおおよそ残っている様で、資料を参照して旧状を想定しながら見学することが出来て良かったです。