故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.562 「演劇鑑賞」のお話。

2015年07月16日 | 日記

先日、私は新潟県県民会館大ホールで開催された「演劇」を久しぶりに鑑賞してきた。今回の「演劇」は劇団文化座が公演する「獅子」という作品。時代は戦時中、鉄道沿線にある農家が舞台。物語は、父“吉春”と母“紋”の娘の“雪”の「嫁見の日」から始まった。母“紋”は貧乏してきた自分のような苦労を娘にはさせまいと、裕福な家に“雪”を嫁がせようとしていた。

 

母による段取りも整い、この日は成金の婚約者が“雪”の家を訪ねてくる日になっていた。そこに“雪”にひそかに思いを寄せる馬場圭太郎が満州から一時帰国し、挨拶に姿を見せた。満州開拓に全力を注ぎ、そこで骨を埋める覚悟で、間もなく日本を再出発するという。圭太郎が駅へ向かった後、父“吉春”が“雪”にしみじみと次のように語った。

 

「人間、一生の一大事の時には、思い切って、崖から飛び降りる気で、自分が本当にしたいようにすること。」“雪”は熟慮の末、結局“圭太郎のいる駅へと向かった。家の外で越後獅子を舞いながら汽車に乗って故郷を離れる“圭太郎と雪”を見送る父の姿と、膝をガックリと落とす母の姿がこの物語のクライマックスであった。

 

出演者の中に新潟県出身者が2人おられた。公演終了後、恒例の新潟の有名な地酒「越の寒梅」が父母役と2人の新潟県出身者に贈呈され、多くの観客から大きな拍手を浴びていた。

 

当日、会場で配布されたパンフから掲載。

新潟県民会館の入り口。


No.561 「雨天中止」のお話。

2015年07月15日 | 日記

「雨天中止」とは、私の所属している早起き野球チーム「豆九クラブ」の出来事である。先日、我チームのメンバーは早朝5時に新潟市の西海岸公園にある「少年野球場」に集合した。昨日の大会事務局の電話案内で「明日の試合は予定どおり行います。」とのテープが流れていたからだ。

 

確かに天気予報は「曇り」であったが、夜半から早朝にかけて断続的に「小雨」が降り続いていた。いつもであれば、私は自転車に乗り、20数分走って野球場に到着する。しかし自宅を出る時には、自転車では無理なほどの雨が降っていた。結局、車で出かけることにした。

 

野球場では既に相手チームも集まってきており、主審の到着を待っていた。しばらくして主審がバックネット裏に姿を見せ、雨とグランドの状態を確認して「雨天中止」を決定した。バックネット裏に植えられている植物が久しぶりの恵みの雨を受けて元気づいていた。

 

特に3か所に植えられている「アジサイ(紫陽花)」は雨に濡れて美しい紫色の花を咲かせており、私の目を楽しませてくれた。再試合のため、別の日にもう一回、早起きをしなければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 


No.560 「勝つと思った」のお話。

2015年07月14日 | 日記

「勝つと思った」とは私が応援しているサッカーJ1リーグに所属している「アルビレックス新潟」のことである。第1ステージは18チーム中、17位。この日は第2ステージの初戦で対戦相手は「鹿島アントラーズ」。病気欠場していた攻守の要であるレオ・シルバ選手もこの試合から復帰した。

 

新潟は勝たなければならない試合であった。試合時間の90分が終わり、この時点で「2対1」で勝っていたゲームである。アディショナルタイムは「5分」と表示された。私はこの試合に勝利して「勝点3」を期待した。しかし試合終了の笛がなり、結果は「勝利」や「引き分け」ではなく、ショックの大きな「敗戦」であった。

 

アディショナルタイムの「4分」で1点を返され同点となった。ここで踏ん張りきれなかった。「6分」で痛恨の逆転ゴールを許してしまった。「勝点1」ももらえず、逆に「勝点0」に終わってしまった。ここ数年間の試合の中では悔しさの残る最悪の試合であった。

 

旗を振り、手を上げて歓喜の渦に包まれた「鹿島アントラーズ」のサポーターの姿を見ながら「アルビレックス新潟」のサポーターの大きな“ため息”があちこちから聞こえてきた。次の試合は集中してガンバレ!!!「アルビレックス新潟」!!!

 

アディショナルタイムで痛恨の逆転ゴールを許し、ショックの大きな「敗戦」であった。

1点を入れ、同点に追いつく。

2点目を入れ、逆転に成功。

アディショナルタイムの「4分」で1点を返され、同点とされる。

アディショナルタイム「6分」で痛恨の逆転ゴールを許してしまった。

旗を振り、手を上げて歓喜の渦に包まれた「鹿島アントラーズ」のサポーター。

「アルビレックス新潟」のサポーターの大きな“ため息”があちこちから聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


No.559 「新潟クラフトビールの陣」のお話。

2015年07月13日 | 日記

先日、新潟市中央区古町5番町から6番町の間で「新潟クラフトビールの陣2015」が開催された。このイベントのコンセプトは日本各地にある人気のクラフトビールを地元・新潟のクラフトビールが迎え撃つというもの。会場にはコップを片手にビール好きの人々が集まっていた。

 

「クラフトビール(Craft Beer)」は、私の持っている国語辞書の「大辞泉」には掲載されていない。英和大辞書にも「Craft Beer」は「地ビール」との説明しかなかった。しかし、インターネットで調べると「小規模なビール醸造所でビール職人が精魂込めて造っているビールをいう。

 

ビール職人が造り出す高品質なビールを「手工芸品(Craft)」に例えて、クラフトビールと呼ぶ。」との説明があった。私が訪れたのは土曜日の午後3時頃であったが、全国の有名な「クラフトビール」が同一会場で飲めるとあって、ここには外国人を含め、多くの人々の熱気とビールの香りが漂っていた。

 

前売券を3.500円で購入すると200ミリリットルのビールが飲めるチケットが「8枚」付いてくる。私が過去に飲んだことのある新潟県産の「エチゴビール」「スワンレイクビール」「胎内高原ビール」などのブースにも長い列ができていた。年々、盛んになっていくようで、地ビールファンにとっては堪らないイベントのようである。

 

チケット売り場は長蛇の列。

 

 

 

 

 

 

 


No.558 「七夕まつり」のお話。

2015年07月12日 | 日記

毎年6月下旬になると新潟市中央区古町通7番町商店街のオーバーアーケードの天井から大きな「七夕まつり」の“吹流し”が吊り下げられる。見た目では直径が約1m、長さが4m程の“吹流し”が一列に5個並んでいる。更に店の前の看板の下には商店の奥様方が自分で作られた長さが1m程の“吹流し”が2個吊り下げられている。

 

約150mはある古町通7番町商店街を覆い尽くすような色とりどりの“吹流し”の列は、道行く人々の目を楽しませてくれる。先日、この“吹流し”の下で「星に願いを書こう」というイベントが開催されていた。幅が90Cm、長さが15mの巨大な紙を3枚使い、1人が畳1枚分のスペースの中に、好きな言葉を書くもの。

 

小・中学生が書くだけあって夢があって面白い言葉が多い。例えば「バレエが上手になりたい」「歌手になりたい」「はきはき しゃべられるようになりたい」「父の会社をつげるよう努力する」「サッカーが上手になりたい」「小学校の先生になりたい」など。

 

また、私の言葉を代弁するような「ガンバレ アルビレックス新潟」とか「野球の試合に出られますように」などの言葉もあり、楽しく拝見させてもらった。子供たちの願いが星に届くといいのだか………。 

 

 

具体的な願いも多かった。

 

 

 

 


No.557 「大敗」のお話。

2015年07月11日 | 日記

「大敗」とは私の所属している早起き野球チームの「豆九クラブ」と還暦野球チームの「新潟エージレス野球クラブ」のことである。「豆九クラブ」の対戦相手は昨年の準優勝チームの強豪「KBクラブ」。下の写真(スコア表)を見ていただきたい。試合結果は「1対0」ではなく「10対0」である。

1回の裏に集中打を浴び、一挙に「10点」を取られた。これまで我がチームのエースがこんなにメッタ打ちされた姿を見たことがなかった。2回以降は「0点」に抑えたが、打者も相手投手を打ち崩すことができず「大敗」してしまった。走・攻・守・気迫において相手が一枚上であった。

 

次の「大敗」は還暦野球チームの「新潟エージレス野球クラブ」の試合である。まずはスコア表を見て欲しい。今年から新しく開催された“下山スポセン杯”古希・還暦合同野球大会での「大敗」である。「17対8」と「9対5」と連敗した。いずれもエラーが絡み、走者を塁上にためては投手が打たれ、大量得点を許した試合であった。

 

強いチームはどこにでもいるものである。私を含め、気の緩みを戒め、基本に忠実なプレーを常に心がけていく必要があることを痛感した試合でもあった。

  

「豆九クラブ」の対戦相手は昨年の準優勝チームの強豪「KBクラブ」。

今年から新しく開催された“下山スポセン杯”古希・還暦合同野球大会。

 

 

 

 

 

 


No.556 「懐かしい人」のお話。

2015年07月10日 | 日記

今日の「懐かしい人」とは、私のブログで今年の2月9日付けNo.405号に掲載した田龍さんである。私が中国・黒龍江省ハルビン市で生活をしていた時、田さんからはいろいろな面でたいへんお世話になった。その田さんから32人のグループで再度日本を訪問することが決定したとのメールが入った。

 

2月に来県された時と同じように新潟で1泊すると思っていたが、当てが外れた。日程をお聞きするとハルビン空港を出発し、新潟空港に到着した後、そのまま新潟駅を午後2時過ぎに出発する新幹線に乗り、東京駅へ向かう。翌日「東京ディズニーランド」を中心に見物し、その後「名古屋」⇒「京都」⇒「大阪」を観光するという。

 

私は新潟駅の新幹線ホームで元気な田さんと再会することができた。ホームの待合室で田さんから中国人観光客の皆さんに私を紹介してもらった。私は新潟の観光パンフを持参し、次回、日本に来られる時は、温泉、お米、お酒、新鮮な日本海の魚などで有名な私の故郷「新潟」を是非、観光してほしいとお願いした。

 

嬉しいことに「新潟空港⇔ハルビン空港線」は今年の秋から現在の“週4便”から“週7便”へと増便されるという。多くの中国人観光客がこの便を利用して新潟県を訪れることを期待したい。

 

中国人観光客と一緒に記念写真。(右端が田さん、その隣りが筆者。)

今回のツアーには、小学校就学前の子供さんも3人参加されていた。

新幹線をバックに記念写真を撮る観光客。

田さんが持参された添乗員の旗。

 


No.555 「温泉」のお話。

2015年07月09日 | 日記

先日、中国・黒龍江大学の先生が新潟県を訪問された時、私は先生に「何処に行ってみたいですか?」とお聞きした。先生は「温泉に行きたい」という。中国・黒龍江省でも温泉はあるが、中国人にとって日本の温泉は格別らしい。そこで案内したのが、弥彦・桜井郷温泉「さくらの湯」。先生はゆっくりと温泉を楽しんでくれた。

 

私も温泉で温まり、汗をストレスとともに流し、リラックスするのが大好きである。その機会が先日訪れた。今回、訪れた場所は新潟県新発田市にある月岡温泉「清風苑」。ここには4つの大浴場、3つの貸切風呂、9つの浴槽、6つの露天風呂がある。そして24時間温泉が楽しめる。温泉好きにとっては魅力たっぷりのホテルである。

 

平日のお昼休み時間のためか、ほかのお客さんは少なかった。大型バス1台とマイクロバス2台、約90人のグルーブで参加したツアーであったが、数多くの風呂があったため、私はゆっくりと肩まで温泉につかることができた。入浴後は、ホテル内の生け花や芸術作品などを鑑賞した。

 

参加者による日本舞踊やカラオケなどを楽しみながら、おいしい昼食をいただき、懐かしい友人との会話に花が咲いた。

 

ここには4つの大浴場、3つの貸切風呂、9つの浴槽、6つの露天風呂がある。

 

入浴後は、ホテル内の生け花や芸術作品などを鑑賞した。

参加者による日本舞踊やカラオケなどを楽しんだ。

 

 

 

 


No.554 「ホタル」のお話。

2015年07月08日 | 日記

昨日のブログに掲載した野球会場は、山と緑に囲まれた新潟県新発田市にある「大天城公園野球場」である。球場脇のトイレに入ると、窓にはベニヤ板が打ち付けられ、その上の「貼り紙」が私の目に止まった。そこには「園内での蛍(ほたる)鑑賞のため、窓からの照明の光を遮断しています。」と書かれていた。

 

近くに流れる小川の水は澄んでおり、川底が見えた。小さな青カエルも飛び跳ねていた。野球場の係員の方にお聞きすると、「この周辺には毒蛇の“マムシ”が出るから注意してください。」と言われた。「ホタルが飛び交う美しい川~育もう、地域のたからもの~」とか「大天城のホタルは保護しています。捕まえてはいけません」といった大きな看板も設置されていた。

 

地元の方のお話によると、この時期、ホタルを観察することはできるが、その数は少ない。もう少し日が経つと、ここにはホタルを鑑賞するために多くの人々が訪れるという。この日は小川の近くにあるステージで「第16回ほたるの夕べコンサート」が開催されていた。エレキギターを持った中高年のグループが懐かしいベンチャーズの曲を繰り返し演奏していた。

 

周囲が暗くなった夕方以降、ホタルの淡い光を鑑賞しながら、音楽を聴くという風情のあるイベントに私も参加したくなった。

 

野球場脇のトイレに入ると、窓にはベニヤ板が打ち付けられていた。

 

 


No.553 「懐かしい人」のお話。

2015年07月07日 | 日記

今日登場する「懐かしい人」とは、私のブログの6月17日付けNo.533号「懐かしい人」から7月4日付けNo.550号「山本五十六記念館」までに登場した荒張さん、日下部さん、笹原さん、吉原さん、私などと東京で一緒に仕事をした太田さんのことである。再会した場所は新潟県新発田市にある「大天城公園野球場」。

 

この日は「第16回新潟日報杯争奪《 新潟県還暦軟式野球大会 》」の決勝戦が行われた。私の所属する「新潟エージレス野球クラブ」と太田さんの所属している新潟県上越市にある「上越ライフロング野球クラブ」がリーグ戦とトーナメント戦を勝ち抜き、決勝戦に進出した。

 

太田さんはキャッチー、打順2番の強打者として登場した。試合は太田さんの2塁打などの活躍もあり、4回まで《2対2》の同点と緊迫した試合が続いた。私は3塁のコーチャースボックスで試合に参加した。3度も我がチームの走者がホームでタッチアウトとなるなど、コーチャーの難しさも実感した試合であった。

 

試合後、お互いの健闘をたたえ、太田さんと記念写真に収まった。嬉しいことに太田さんは私のブログの愛読者であることが分かった。「先日、荒張さんにお会いしましたね。」とか「古希野球にも出ていましたね。」など私の近況をブログを見た太田さんの口からお聞きした。

 

今後とも野球を通じて何度となく「懐かしい人」である太田さんと再会できそうである。

 

 試合後、お互いの健闘をたたえ、太田さん(右)と記念写真に収まった。

太田さんの打撃フォーム。

優勝した「新潟エージレス野球クラブ」。 

 

新潟日報に掲載された新聞記事と写真。

 


No.552 「プレミアム付き商品券」のお話。

2015年07月06日 | 日記

先日、新潟市で「プレミアム付き商品券」が発売された。この券の正式名称は「新潟市元気創生プレミアム付き商品券」といい、総額で55億円の商品券が発行された。これは国の地域活性化・地域住民生活等緊急支援のための交付金を活用し、新潟市内の消費を喚起するために実施される事業である。

 

現金「10.000円」で「11.000円」分の商品券を購入できる。つまり「1.000円」分のプレミアムが付く。現在、銀行の預金利息で「1.000円」を稼ごうとすると大変である。利息は「無い」と同じくらいの低利率である。最高「40.000円」まで購入できるということで、私は商品券を買いに出かけた。

 

午前8時50分に我が家を出発し、近くの商品券の販売所となっている「イトーヨーカドー丸大店」に到着した。開店時刻は10時であるが、既に10人ほどが入口に並んでいた。ここから徒歩で10分程にある「新潟信用金庫本店」は午前9時から販売していると思い、私はそちらに向かった。

 

驚いたことに「新潟信用金庫本店」前には既に100人ほどが列を作って並んでいた。私はその列の最後尾に並び、待つこと30分。ようやく「40.000円」で「44.000円」分の商品券を買うことができた。辛抱は金なりである。

 

商品券を購入する人の列。

ようやく購入した44.000円分の商品券。

 


No.551 「壮行会」のお話。

2015年07月05日 | 日記

先日、新潟市中央区の東映ホテル内にあるレストランで昔の仲間10人が集まり、友人であるWさんの「壮行会」が開催された。Wさんが参加者に配布した「挨拶状」によると、次のように書かれていた。《 新しい生活をスタートします。長年住み慣れた日本の家を処分し、今年の7月に娘と孫が住むアメリカに転居します。

 

皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。どうか健康で、楽しく、長生きしてください。》Wさんは70歳を超え、永住を決意するまでには心の葛藤や多くのご苦労があったことと推察される。「壮行会」では参加者一人ひとりが激励や送別の言葉を述べた。

 

中には《Although I'm sad that I won't be able to see you. I expect your future activity.》と英文を書面に書き、Wさんに渡した方もおられた。席上、Wさんが私達に向けた「挨拶状」で述べられた《 健康で、楽しく、長生きしてください。》という文面が、私達がWさんに向けた言葉と重なった。

 

参加者から「1年に1回くらいは新潟に戻ってきてください!!」との言葉に対し、Wさんは「1回帰ってくると飛行機代などで30万円ほどかかる。」と答えられた。アメリカへ渡航することも、故郷に戻ることも大変なようだ。アメリカ・ミネソタ州で、ご家族に囲まれ、健康で楽しい充実した生活が送れるよう心からお祈りしたい。

 

参加者から「餞別」が贈呈られた。

 

 

 

 


No.550 「山本五十六記念館」のお話。

2015年07月04日 | 日記

今回の旅行の最後の見学先は長岡市呉服町にある「山本五十六記念館」。“誠意と慈愛の人”といわれた連合艦隊司令長官・山本五十六の生涯をたどる記念館である。誕生から家系、外国でのエピソード、多くの人に愛された人間性、そして平和を求めて海軍軍縮条約の締結に努力した姿などがパネルなどで展示されていた。

 

山本長官は三国同盟に徹底的に反対し、連合艦隊司令長官としてアメリカの国力を熟知し、そしてアメリカ国民の気性を知り抜き、早期講和を望んでいたという。記念館の中央には山本長官が搭乗し、アメリカ陸軍の戦闘機の襲撃を受け撃墜された攻撃機の生々しい左翼が展示されていた。

 

山本長官を含め乗員11名全員が戦死した。この襲撃を受けた左翼の破損の状況が戦争の悲惨さを物語っていた。記念館の内部は撮影禁止のため、パンフレットの写真を掲載した。この記念館のすぐ前には山本記念公園があり、山本長官の銅像と質素な造りの生家を見学することがてきた。

 

山本長官の生家は2階建てであるが、建物の老朽化が進み、急な階段の中央部分に「2階に上がるのは、一度に3人までとしてください」との注意書きがあった。荒張さんと旧友との楽しい旅もここで全日程を終了した。懐かしい人との再会を誓い合ってお別れした。

 

 

記念館の内部は撮影禁止のため、パンフレットの写真を掲載した。

この記念館のすぐ前にある山本記念公園。

山本長官の質素な造りの「生家」を見学することがてきた。

 

 

 

 


No.549 「奥只見電力館」のお話。

2015年07月03日 | 日記

奥只見湖遊覧船の乗り場から徒歩で3分ほど山道を登ると電源開発株式会社が設置した「奥只見電力館」に到着する。途中、カエルのような鳴き声が聞こえてきた。実はカエルではなく蝉(セミ)の声だという。ようやく羽根の透明な1匹の蝉を発見し、カメラに収めることができた。

 

「奥只見電力館」の1階では発電の仕組みやエネルギーについてパネルで学ぶコーナーがある。さらに只見川水系のダム、尾瀬・奥只見の風物を紹介するビデオを見ることができる。2階には休憩室があり、そこから雄大な奥只見湖を望める。ここには水力発電所の仕組みや奥只見発電所を紹介するコーナーもある。

 

入場無料のうえ、私達は入口で入場記念の「ボールペン」まで頂戴した。ここは豪雪地帯だけあって道路の側溝付近にはまだ残雪が見られた。奥只見湖を眺めたら、遊覧船の花形である「外輪船ファンタジア号」が出港するところであった。この船は18世紀のアメリカ・ミシシッピー側の貨客船をモデルにしたという。

 

船の後部に赤い水車を回転させながら前進する優雅な姿を私達に披露してくれた。また湖には長さが1mを超える巨大な魚が数匹、悠々と泳いでいた。ダムの下にも残雪が見られたが、この周辺もようやく「春」が到来したようだ。

 

「奥只見電力館」の入口。

道路の側溝付近にはまだ残雪が見られた。

羽根の透明な1匹の蝉を発見した。

奥只見ダム建設当時の新潟県知事・岡田正平氏の銅像。

遊覧船の花形である「外輪船ファンタジア号」。

奥只見湖には長さが1mを超える巨大な魚が数匹、悠々と泳いでいた。

ダムの下にも残雪が見られた。

 

 

 

 


No.548 「奥只見湖遊覧船」のお話。

2015年07月02日 | 日記

荒張さんとの旅もいよいよ最終日を迎えた。この日の目的地は雪と森の秘境「奥只見湖」。ここで遊覧船に乗って湖を周遊することになった。ホテルを出発し、22Kmのうち18Kmがトンネルという奥只見シルバーラインを走った。昔は有料道路であったが、今は無料となっている。

 

このトンネルの中は薄暗く、場所によってはゴツゴツとした岩肌が残っている。トンネルを抜けるとすぐ目の前に「奥只見ダム」が見える広い駐車場に到着した。「奥只見ダム」はあの有名な「黒部ダム」の約3倍の貯水量を誇る日本最大級のダムである。タイミングよく、私達は40分間の周遊コースに乗船することがてきた。

 

私達とは別にハイキングや登山の装備を身につけた50人ほどのグループもここに集合していた。このグループは「奥只見」から「尾瀬口」まで別の船に乗り、尾瀬⇒沼山峠でハイキングなどを楽しむ人々であった。私は心地よい風を受けながら遊覧船の最後尾の椅子に座り、観光案内のテープを聴きながら周囲の景色を楽しんだ。

 

天気にも恵まれ、残雪をいただく「荒沢岳」や「燧ケ岳(ひうちがだけ)」の美しい稜線を眺め、ボートで釣りを楽しむ人々などを見ながら、秘境「奥只見湖」の雄大な景色を十分楽しむことができた。

 

22Kmのうち18Kmがトンネルの奥只見シルバーライン。

トンネルを抜けるとすぐに「奥只見ダム」が見える。

ダムに集まる流木。

1番右側の船で奥只見湖を周遊した。

この船の乗客は「尾瀬口」まで行き、尾瀬⇒沼山峠でハイキングなどを楽しむ人々であった。

ボートで釣りを楽しむ人。