小林美希の取材日記(つぶやき)

取材を通して思う素朴な疑問や、日々の出来事を紹介します。 

健康第一

2008-11-29 00:06:58 | Weblog
 今、特に体調に問題はないのだが、やはり健康第一だと思った。
 疲れすぎた時、今日やらなくていいことは明日にしてもいいのかもしれない。
 とはいえ、いろいろ仕事が山積みになっていると、そうもいかないのだが。

 しかし、偉業を達成している人は、効率よく量をこなす。
 見習いたいものだ。能力をフルに活かす努力を意識していないと、できないだろうなぁと思う。

 最近、自分のブログがピリッとこないのは、ちょっと、ここのところ飛ばしすぎだったからもしれない。が、しばし、走ってみようと思う。
 つまらないブログが多くて、いつも見てくれる方には申し訳ないです。

 取材に集中しよう。

 お、ちょっと待て。
 今日、面白い取材をしたではないか!
 12時間前のことが、もう1~2週間も前のようで、意識が遠のいていた!

 そうそう、毎年恒例の「元気とやま!」に行ってきて、また、現役大学生の良い感じの若者とであった。
 私を企業関係者と思って、積極的に声をかけて質問してくる学生もいて、「おおー、私が人事部だったら絶対に採用!」と思う子が何人もいた。
 人がかもし出す雰囲気というのは、意外と当たるのだ。

 なかにはフリーランスの私をちょっと怪しんでいた子もいたが、ほとんどの学生が、きちんと話をしてくれて、なかなか感動した。そうなんだ。私の基本姿勢には、「看板」で人を見ないというものがあり、逆に「看板」で人を判断する人にたいした人物はいないと思わせる多くの経験があったことを改めて思い出し、自分が何をするか、というところで勝負する努力を忘れず、これからもやっていこうと思った。

 幸運にも、話の分かる人との出会いが多いため、おかげさまで、なんとかやれているのだから、感謝の心を忘れてはいけない。



 
 

29歳のクリスマス

2008-11-28 01:10:57 | Weblog
 そうそう、ふと新聞のテレビ欄に目をやると、「29歳のクリスマス」の再放送をしているではないか!
 とはいえ実は、ライブの放送を私は見ていなかった。
 1994年当時、高校を卒業して私は浪人生。面白そうだと思えば、きっと見ていたのだろうが、たぶん、当時10代の私は「29歳の」というフレーズに興味を持たなかったのだと思う。
 そう。10代とか二十歳くらいの学生時代は、29歳なんて遠い遠いお話で、そのくらいの年齢になれば、当然、結婚して子どももいると思っていた。23歳とか24歳で立派な大人になっているはずで、30代なんて未知の世界だったはず。
 が・・・・。
 時間が過ぎるのは早い、早すぎる!
 三十路を超えはや数年。信じられない気がしてしまう。
 このペースでいくと、あっという間に40代になってしまいそうだ。
 おかしい、昔の予定では、大学卒業と同時に結婚して出産しているはずだったのに・・・(笑)

 19歳から20歳へ、29歳から30歳へ・・・代変わりの年は人間、なぜかブルーになることが多いが、なんとなく39歳から40歳ってのは、忙しすぎて意識しないような気がしてならない。というか、そうありたい。
 私は今、10年後は分からないが、5年後はどうありたいか意識しながら生きたいと思う。
 年齢によって自分の能力に限界を作るべきではないが、年齢によって出来ることと出来ないことは確実に存在する。
 代わりの人ができることは後回しでもいいのではないか。
 今、自分にしかできないことをしたい。

 友人で子どもを産んだ子は、学生時代からは考えられないほど、いい母になっていたりする。人って、なにがどう変わるか分からないなと思いつつ、自然の流れや輪廻のようなものも大事にできればいいなと思う。

麻生発言

2008-11-27 23:03:43 | Weblog
 今度は医療費の発言。
 いろいろと麻生首相の発言は話題になっているが、なぜだろう。なぜか違和感がない気がしないだろうか?もちろん、麻生首相の発言は、いわゆる「勝ち組」からの目線によるところが大きいような感じなのだが、これって、日常生活でも聞かないだろうか?けっこう、身近なところで聞こえてくる声と麻生発言は重なってくるのだ。

 非正規雇用も、やり始めた当初は、「若者が甘いんだ」「仕事は選ばなければあるはずだ」だった。これと麻生発言がどう違うのか疑問を感じた。

 もちろん、本人の自己責任的な要素は、雇用問題にも医療問題にも事実としてあるが、大きな構造の変化による現場の問題というのが、背景にあることを忘れてはいけない。
 しかし、現場を離れた人の意識が研ぎ澄まされていないと、どうしても現場から遠くなっているがゆえに、他人事な発言をしてしまうのか。本来、マスコミも政治家も、炭鉱で先頭にたつカナリアのような存在であるべきなのだが、現実はそうとも限らない。麻生首相と似た感じの人は大手マスコミに多いのは否定できず、だから、なんとなく、意外感がないのだ。
 
 で、大事なのは、何かが起こっている時に、自分は違うと思っても、ちょっと、どうしてそうなっているのか想像してみることだと思う。
 

 例えば高齢者が話し相手が欲しくて病院に行ってしまうことでかさむ医療費の問題や、重症でないのに安易に病院にいく(もちろん、不安を取り除くには必要)ことなどの問題を一度、医療という枠組みだけではない次元で議論したほうがいい気がする。
 高齢者が病院でない場所で人と話ができるような社会にするにはどうしたらいいのか、健康不安を抱きながら働く労働環境をどうしたら改善できるかなど、どんな問題も複合的に考えなければ解は見えない。
 
 
 そして、石原都知事発言。
 「都は国の家来じゃない」
 ちょっと、待って。そうなんだけど、都は都内の自治体を家来だと思ってないか?都内の自治体職員が「都からの締め付けがきつい」と言っていたことを思い出した。委託費や補助金がらみの管理・監督の責任は十分に果たして欲しいが、全く柔軟性がないのも意味がなくなるため、バランスが大事だ。

 いろいろと難しい問題が多いが、透明性が重要で、政治と行政が何をしているのかに透明性があれば市場(市民)が判断できるため、良きも悪きも、きっちり情報公開して欲しいと感じた。
 市民はバカではない。一生懸命にやりくりして頑張ってくれたことは見ているものだし、失敗したって批判ばかりするわけではない。批判を恐れて失敗を隠す、政治や行政の決定過程や実績を隠す、曖昧にするということが、かえって批判されるのだ。

 麻生発言から、いろいろ考えてしまった。
 首相を反面教師にして、自分や周囲のことを見直してみようと思う。
 

必需品

2008-11-27 01:01:34 | Weblog

 最近の必需品。それは、マスクだったりする。
 電車でも駅ビルでも、風邪をひいているような人が多い。
 うつるとマズイので、元気でもマスクをして電車に乗っている私。
 最近、座席が空いていても、明らかに風邪っぽい人が隣になる場合は座らないで立っていたりする。
 とりあえず、あと2週間は風邪をひけないので、防衛しなければ。。。
 ちょっとでも喉が痛かったりしたら、とりあえず、害が少なそうな葛根湯を飲んでしまう。引き始めが肝心だ。
 インフルエンザの予防接種も必要かしら・・・?

 

記事一覧

2008-11-26 01:17:12 | Weblog
 リクエストがあったので、今までの主な記事一覧を掲載します。


(株式新聞~エコノミスト時代)

2000年11月 株式新聞社にて「雪印乳業のそれから 食中毒事件後の株価の推移」の企画で、雪印乳業が会社側として買収される認識を持っていること、金融機関からコミットメントラインの設定を受けていたことなどをスクープ。
2002年1月 「エコノミスト」(2002年1月1・8日合併号)の「NTT資金のカラクリを暴く…」の中で、静岡県相良町の問題第三セクターを取材。
     3月 「エコノミスト」(2002年3月5日号)で、闇金融の実態を直撃取材。掲載記事「風俗店に飛ばされる」は保身のために匿名で執筆。
8月 ナスダック・ジャパンの撤退について6月頃から取り組む。状況証拠が固まったものの、お盆の休刊にぶつかりスクープは打てなかった。「エコノミスト」(2002年9月3日号)で、撤退の経緯についてまとめた。
12月 ゲーム業界の再編についてスクープを狙い、セガ、ナムコ、京セラ(タイトーの大株主)、CSK(セガの大株主)などの取材を本格的に始めた。
2003年2月~ セガを巡る経営統合問題について集中的に記事化。関連記事を「エコノミスト」(2002年2月25日号、4月8日号、5月6日号、5月20日号、5月27日号)に掲載。
2004年5月 エコノミストで初めて非正社員の悲惨な雇用実態を特集。
『お父さんお母さんは知っているか 息子と娘の“悲惨”な雇用』(2004年5月4・11日合併号)
この特集が、朝日新聞や日本経済新聞で学者に引用された。
11月 特集『子供を産めない職場の現実』を企画し、読者からの反響を受けた。
12月 伊藤忠商事・丹羽宇一郎会長インタビュー「中間層の崩壊」について。
朝日新聞・夕刊・論壇時評、「2004年私の3点」で慶応大学の金子勝教授に、特集『息子と娘の“悲惨”な雇用』が選ばれた。
27日、朝日新聞・夕刊・論壇時評、私が選んだ3点で、東京大学の児玉龍彦教授から、伊藤忠商事・丹羽宇一郎氏へのインタビューが選ばれた。
2005年2月 特集「結婚できない」男の現実(2月15日号)で、若者が雇用の不安定から結婚できない現実を指摘。
3月 第1特集で「娘、息子の悲惨な職場」(3月22日号)を企画・担当。第1特集の頭の原稿を初めて単独執筆。29日、朝日新聞・夕刊・論壇時評に取り上げられた。
5月 特集「娘・息子の悲惨な職場 PART 2」(5月31日号)を担当。就職活動中の大学生や、若者の雇用の実態について約9ページに渡り単独ルポ。
8月 夫婦の「2007年問題」・「離婚と年金」を巡る男と女の大戦争  
9月 特集「娘・息子の悲惨な職場 PART 3」(9月20日号)を担当。非正社員から正社員へ脱出する姿をルポ。
12月 特集「娘・息子の悲惨な“結婚適齢期”」(12月6日号)を担当。忙しすぎて出会いがない20~30代。結婚相手情報サービス業のニーズについて。
2006年2月 特集「少子化対策~政府はやる気があるのか~」(2月21日号)を担当。育児休業中に職場復帰が破棄された派遣社員をルポ。
3月 特集「娘・息子の悲惨な職場 PART 4」(3月28日号)を担当。景気回復や雇用改善を受け、それでも残る問題として超就職氷河期の30歳前後世代の問題をルポ。特集について、日経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読者のブログなどに取り上げられた。
7月 7月25日号にて、単発記事、出生率1.25ショック「働く女性が子どもを産まない本当の理由」
9月 9月12号にて「ホワイトカラーエグゼンプションに反対の声」、「男が育児休業を取れない理由」
  特集「女と男が働きやすい職場」(10月3日号)で、資生堂の男性社員が育児休業取得後に職場で上手くいかないもようをルポ。
11月 特集「娘、息子の悲惨な職場 PART5」(11月7日号)を担当。正社員になっても果てしなき低賃金にあえぐ超就職氷河期世代に焦点を当てた。


 (以下、フリーになってからの主な執筆活動)
2007年1月 月刊「人材ビジネス」で、「先進的派遣先企業」の連載スタート。
3月 週刊エコノミスト(3月6日号)で、「障害者自立支援法に意義あり 切り捨てられる知的障害者たち」を執筆。

4月 週刊AERA(4月30日-5月7日合併増大号)で「できたら婚という選択」、「ワーキングプアにしない子育て」を執筆。
5月 初めての書籍「ルポ 正社員になりたい~娘、息子の悲惨な職場」刊行。
        「女性としごと」(労働大学出版センター)で、若者の雇用の実態をルポ。
6月 週刊エコノミスト(6月19日号)で特集「娘、息子の悲惨な職場PART6 HIKSカップル」を企画から担当、執筆。
        「まなぶ」6月号(労働大学出版センター)の論壇に執筆。
7月 週刊AERA(7月30日号)で、子育て両立支援について「使えるのか目玉制度」を執筆。
8月 「経済セミナー」8月号(日本評論社)の特集=経済は現場で動いている!で、「取材の方法――社会で起こっている問題を見つけるには」を執筆。
        日本インターネット新聞JanJanに著者インタビューが掲載された(動画付)
「しんぶん赤旗」(8月23日)人欄に、インタビューが掲載された。
 月刊「ZAITEN」9月号に著者インタビューが掲載された。
9月 週刊「エコノミスト」(9月18日号)の問答有用で、多摩大学名誉学長の野田一夫氏をインタビュー。
        週刊「エコノミスト」(9月25日号)で、中国で働く若者の労働現場をルポ「チャイナドリームの現実は甘くない」。
        「社会新報」(社民党の機関紙)9月19日号に著書「ルポ 正社員になりたい」が紹介された。
     10月 「まなぶ」10月号(労働大学出版センター)の、うしお、というコーナーでネットカフェ難民の問題について。
        「女性のひろば」11月号(共産党)で受けたインタビュー記事が掲載。
        月刊「人材ビジネス」10月号で、中国雇用リポート。
        週刊「東洋経済」(10月6日号)非正規雇用-経験積んでもマイナス評価、 社民党の福島瑞穂党首のインタビュー。
        週刊エコノミスト(10月30日号)で「日本企業よ!優秀な中国人を欧米企業に取られるな」にて、日系企業の人事戦略の課題を指摘。
     11月 週刊エコノミスト(11月13日号)経営者インタビュー(JT社長)。
 朝日新聞(11月29日)論壇時評で、「日本企業よ!優秀な中国人を欧米企業に取られるな」(エコノミスト10月30日号)が、「今月の注目論文」で紹介された。
 「現代農業」(11月増刊号)の特集・脱グローバリゼーションにて、農村地域で働く若者についてルポ。
 情報労連「REPORT」(11月号)の進言インタビューVol.1で派遣社員の組織化についてインタビュー記事が掲載された。
     12月 週刊AERA(12月3日号、12月10日号)で2週に渡り、政府のジョブカフェ事業での税金無駄遣いを独占スクープ。「日給12万円の『異常』委託費」、「追及第2弾 時給2万900円のジョブカフェSE」。この問題が12月25日の国会(参議院厚生労働委員会)で、社民党の福島瑞穂党首、民主党の櫻井充議員に取り上げられた。
        著書「ルポ 正社員になりたい」(影書房)が、2007年度の日本労働ペンクラブ賞に選ばれた。
2008年1月 日本青年館「the Seinen 秋号」にて、富山県で地域や学校が取り組む若者を育てる現場をルポ
     2月 週刊エコノミスト(2月12日号)「人件費削減で儲ける企業に未来はない」ハブ社長・金鹿研一インタビュー。
週刊AERA(2月11日号)バリキャリもワープアも「20万円バッグ」

     5月 週刊エコノミスト(5月20日号)「娘、息子の悲惨な職場 PART7」大量採用・大量離職の時代。みずほ銀行、ユニクロ、証券、就職支援会社など新卒大量採用の裏側をルポ。
     6月 岩波書店から単行本「ルポ“正社員”の若者たち~就職氷河期世代を追う」が発刊された。
     7月 週刊AERAで「医療貧困」を連載。第1回「薬剤師『10年後3割失業』(7月21日号)、第2回「歯科医師『月収20万以下』急増」(7月28日号)、第3回看護師「『燃え尽き離職』相次ぐ」(8月4日号)
        インターネット新聞JanJanで「ルポ“正社員の若者たち」の著者インタビューがアップされる。
        7月16日の日経新聞・夕刊の書評で取り上げられる。
        7月25日の週刊読書人で金子勝氏に取り上げられる。
     8月 日経ビジネス(8月4・11日合併号)著者に聞く
東京新聞・夕刊(7日付)の「自著を語る」
朝日新聞・朝刊(31日付)の読書欄で紹介される。
週刊ダイヤモンド(8月30日号)「再チャレンジ支援策のウソ」
     9月 ダイヤモンド・オンライン「派遣会社の『名ばかり正社員』悪環境に苦しむ特定派遣が急増中」
月刊「世界」(10月号)「誰のための再チャレンジだったのか」
朝日新聞(9月11日朝刊)オピニオン「ワーク・ライフ・バランス 非正社員を忘れるな」
10月 週刊AERAで「『働く』が壊れる」連載スタート。第1回「名ばかり正社員<不安利用しワープア並み>」(9月29日号)、第2回「名ばかり管理職」(10月6日号)、第3回「雇い止めスパイラル・非正規は細切れ 3年目が怖い」(10月13日号)、第4回「やりがい漂流時代」(10月20日号)
   週刊東洋経済の大学特集中「大学教員もワーキングプア」(10月18日号)
   週刊東洋経済の特集「家族崩壊」中で総論以外の頭の原稿「就職氷河期の『中流崩壊』」(10月25日号)
   ダイヤモンド・オンライン「アルバイト以下の待遇に喘ぐ若手社員の悲惨な職場事情」(10月16日)



岩波書店「ルポ“正社員”の若者たち」の案内
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/tan/

先生②

2008-11-20 23:03:20 | Weblog
 取材が早めに終わって帰宅してから眠気に耐え切れず1時間ほど爆睡してしまった。
 このブログで特定の人を褒めたり批判したりということはしないのが自分で決めた原則なのだが、特別に書きたいことは例外で書きたい。
 で、野田先生の話に少し戻る。

 先生は社会学者を信用しないといっていた。
 私もちょっと同感している。
 今、この雇用問題の急場に解決策が提言されないのは、社会学者が一番大事な時に自分の名誉欲を先行して地道な実態調査を行わず、安易な海外の政策を視察したにすぎない提言に留まったからだと見ている。
 おかげで、当局が法改正をしようにも実態を掴まず、労組頼みの状態。その労組も、本当の現場の声を吸い上げず、役所との話し合いが滞った。
 だからこそ、現場の取材を地道に重ねていかなければならないと思った。

 先生の言葉を聴いていて、私は心底、その言葉ひとつひとつをノートしながら噛み締め、ああ、私はこの話を活字にして残したい。現在、後世に遺したい。そう思った。そうした思いは、ルポも同じなのだ。この現場の声を今、伝え、残さなければいけないと思うのだ。それが、活字媒体に関わる者の心意気なんじゃないかと思い返し、胸が熱くなった。

 伊藤忠商事の丹羽会長の言葉をなぜか思い出した。
 人は仕事によって磨かれる。
 
 私は論文を書いているのではなく、記事を書いているのだが、市場にさらされれば、いろいろな見方をされる。応援してくれる人、批判してくれる人、善意もあれば悪意もあるが、その両方に感謝しなければならない。両方があってはじめて、自分の仕事がよりよいものになるからだ。

 野田先生の受け売りだが、「ハッキリものを言うと敵も作るが、同時に強烈な味方ができた」という生き様が私は好きだ。そうした先輩たちの生き様を見て、私もいろんな覚悟ができてくる。こうした気持ちになるのは、いろんな話を聞けるからだ。それを自分だけのものにするのではなく、いろんな人に知って欲しいと思うからこそ、そうした前向きな話も是非、活字にさせてもらいたいと思ってやまないのだ。

 先生の話を聞きながら、日本がファシズムという失敗を繰り返さないよう、今の動きを冷静に見つめ、問題を訴え続けなければならないと思った。今、何かを先導する人が正義だとは限らない。しかし、それを支持してしまう大勢なのが現状なのだ。これは、極めて危険だ。だから、中立の立場を貫く第3の目が必要なのだろう。
 

 

 




先生

2008-11-20 12:50:18 | Weblog
 誰にでも、「師」と呼べる先生がいると思う。
 ジャーナリストは、少なくても私は、政治家や弁護士など一般的に「先生」と呼ばれる人を先生とは呼ばない。呼んだ時は、皮肉の意味がこもっている。
 だが、例外がある。心から尊敬する人は、やはり、先生なのだ。

 今日は午前中に野田一夫先生の講演を聴いた。
 人は尊敬する人から学ぶ、志とは遠大な目標のことを言う、などなど、あとで詳しく書きたいことをたくさん教えられた。

 聞いている側も、多くの人がうなずき笑いながら聞いていた。

 が、なかには、遠慮もしないで会場を出入する人もいる。
 大人気ないと思った。

 政治家の勉強会でよく見かけるのだが、全く申し訳なさそうな雰囲気もかもしださずに、メタボなのか態度が大きいのか、ドシドシと、しかも姿勢良く会場を出入りする人が目立つ。講師に対して失礼ではないか。常識がない。麻生首相は医師に常識がないとかと発言していたが、政治家はどうなのだろうか。
 労働者、経営者、学者、役人、政治家・・・いろんな人と年間1000人は会っている。それが9年目にもなると、特に政治家は会って5分もすれば、どんな人か(信用できるかできないか)が、すぐに分かる。問題意識の高い人であれば、時間を惜しんで、自分のテーマにしている問題や逆にPRしたい良いことを少しでも多くの人にわかってもらおうとするマインドが働くのだが、そうでない政治家は、大手新聞社の名刺をもつ人にだけ選挙につながるPRをする。そういう人は、顔や態度にあらわれている。

 とにかく、野田先生の話を聞いて、私は、ジャーナリストとしての遠大な目標をどう意識しながら生きてくか改めて考えさせられたのだ。
 
 そして、言いたいのは、労働者に勝ち組、負け組というものはなく、自分の現状を見て、そこからどう次の道を考えるかという気持ちの強さを自分で意識して「遠大な目標」を見つけられた人が、苦境を脱するのだと思った。
 政治・経済という構造問題もある。
 しかし、今いる自分の環境を変える努力、その努力をしても変わらないのであれば自分から違う環境に飛び出す努力。それは、日々の生活で意識しなければ達成はできないのであって、政治や経済の変革を待っていては間に合わなくなる。

 できることからやるしかない。
 人間には生き延びようとする本能があるはずだ。
 本能に訴えかければ、自分が何をするべきか分かるような気がする。

 残念ながら、政治家に若年雇用問題を真剣に考えている人はまだまだ少ない。政治家は無関心、行政は当たり障りないことばかりすることが多いとなれば、もっともっと、意識が高まる報道をしなければならない。


 
 
 

眠い、眠すぎる・・・

2008-11-19 23:50:42 | Weblog
 最近、遅寝早起きが続いていて、今日は結構、限界が来ていた。
 歩きながらでも目をつぶったら、すぐに眠れる勢いだった。
 なんだか、過労気味になると、階段の上りがうまく歩けないというか、ヒールがガクンと落ちたり、足を踏み外すので要注意だ。あぶない、あぶない。

 それなのに、帰り道に雑誌を2冊購入。しかし、いつもより、パーッと目を通せるから不思議。人間、極限にくると意外と集中力が増すのかもしれない。

 あぁ、時間が足りない。
 こういう時、本当に分身が3人くらい欲しいと思ってしまう。

港町

2008-11-17 00:09:07 | Weblog
 まだ東北地方にいる。少し、思うことを書いてしまおう。
 昨日から今日にかけて、震災の被害にあった温泉街にて、某集会合宿に参加した。いろんな出会いや再会に、たまにはこうした合宿に参加するのもいいなと思った。

 その後、港町に戻り、某市議会議員に取材。
 私が今までに出会った地方議員は、例外はいるが、総じてあまり好印象な人がいなかった。特に、自分のよく知る土地の若手には、国会議員になりがいがためのパフォーマンスが多く、政治家としての人格は伴わず、最年少を唯一のPRにして国政を狙うような感じだったり、国会議員の席をローテーションで既得権益化する現象がある。そうした土地では、国会議員も何やってるのか疑問なのだが、一転。ここで出会った市議会議員は御年70代なのだが、とってもパワフル。かつ、現場をきちんと見ている。おとといまで案内してもらった地方議員浪人中の某氏もすごい現場を見ていて、政策もきちんと見ている。地方議員への見方が変わった。いずれも、少数野党。私は政党に対してニュートラルな立場を貫くが、気持ちだけでも惜しみなく応援したくなった。

 今日、その70代の議員と話していたら、私たちの世代を「子どもたちが」と言っていて、最初、自分が子どもたちの世代とは思わず、「ん?」と思ったが、あー、70代から見たら、私たちなんて、子どもとか孫だなぁと思いつつ、その世代に心配されていることは嬉しいのだが、もっともっと、自分たちがしっかりとやらないといけないと痛感。いつまでも、先輩方に心配されていてはいけない。自分のことは自分でなんとかせねばと改めて思った。本来、30歳にもなれば、親孝行を考え、今まで親や社会から投資してもらった分を社会に還元しなければいけないのだ。60代以降の人が引退できないのは、いけないと思った。元気な人にはいつまでも頑張って欲しいが、後輩世代が育ってない証拠でもある。世代交代しなければいけない。

 就職氷河期世代は不運だが、それに甘えてはいけない。できうる限り、頑張ってみなきゃいけないのだ。私がうったえたかったことは今、ワーキングプアと言葉をかえて流行になってしまった。冗談じゃない。ことの本質をすりかえてはいけない。問題は提起しても、それで甘えていいわけではないのだ。売れればいい的なメディアになんだか怒りがこみ上げてきた。

 恩返しする世代から世話されてしまうのでは情けない。冷静な目で、態度で、私たちは、あがいてみなければ。あがけることは幸せなのだ。夢も希望もなくせば、あがくこともできなくなる。30代でどんなに苦境にいても、諦めるのは早い。まだ、あがけるのだ。もがき続けることをやめなければ、なんとか脱出できると信じている。それなのに、甘えを助長する変なムーブメントが巻き起こってはいないか。ロストジェネレーションは、本当に自分が失ったものは何か、自分に本当に甘えがないか一度、立ち止まって冷静に考えなければ解はない。私は構造問題を訴えてきたが、それを利用して本来救われるべきではない人まで乗っかってきたことに危機感をもっている。

 この東北地方の港町は不思議なパワーをくれている。
 港だけを見ていると私の第2の故郷ともいえる神戸に似た感じもあり、港があってその空気が包んでくれることはなんだか共通している。なんか、漁港を眺めているとしびれてくるのだ。

 ここでは、辛い仕事をこなしているはずの病院関係者が、とても明るくて優しいことに、すっごい驚いたというか、新鮮さを感じてしまったのが、自分っておかしいのかと思った。
 普段、そういう普通の優しさを感じないで過ごしているからかもしれない。仲間がいると、肉体的にしんどい仕事でも乗り切れる。けれど、そういう場面って、少ないなと思う。労働問題って、本当に、たいていのことは大きな変革を求めなくても解決するのだ。身近な人を思いあう気持ちさえあれば。

 なんだか、港を見ていろいろ考えていたら、目頭が熱くなってしまった。

 



in 東北

2008-11-14 00:35:00 | Weblog

 さてさて、昨日から東北地方のとある県で行脚(?)している。
 紅葉が綺麗になってきていて、ちょっと通りかかる景色にも感動してしまう。
 東北の紅葉は、なんとなく東京とは違う気がする。
 大学時代、末期の肺がんが判明した祖母を見舞う時に、ちょうど今頃のシーズン、新幹線で山形に向かった時に車窓から見えた紅葉が素晴らしく綺麗な一方で、悲しい気分でいたことを鮮明に思い出す。そんな時、旧東海銀行の都内の支店のご一行が同じ車両にいて社員旅行だったのか、一人でいた私に支店長が声をかけてくれ、仲間に入ってにぎやかに過ごし、気がまぎれたのことも思い出した。
 私はその銀行の就職試験を受けたっけなー、と、そんな思い出がよみがえった。

 ここ、某政令指定都市でも、いろんな問題に熱心な姉さんに多大な協力をしてもらった取材を進めている。

 そうそう、やはり、東北は冬と思うような寒さ。
 その空気感から、なぜか、久しぶりに富山にも行きたいなーと連想してしまった。
 そろそろ、富商高校はTOMI SHOPだ。今年もちょっと行けないのだが、今年も高校生が頑張っているんだろうなぁ。あー、「元気!とやま」もそろそろだ。