ある女性の話である。
このほど、結婚を決めた女性がいる。私生活も仕事でもハッピーなのだが、結婚をキッカケに、かなり、素朴な疑問と制度への憤りを感じたことがある。
それは、彼女本人もごくごく当たり前のように思っていた、彼の姓を名乗ること。
「結婚=男性の姓になる」当たり前のように彼女もそうなると思っていたし、彼もそう思っていたから、なんの話合いも持たずにいた。
彼女もバリバリ働いていて、業界では名も通ってきた。社内の既婚の女性の先輩たちは皆、旧制を名刺にしていたので、そうすることが当たり前。仕事にも別に支障はない。仕事も「デキル」ほう。旧制のまま仕事をすることも誰もなんら疑問も持たずにいた。
しかし、彼女はふっと思ったのだ。
「ん?ちょっと、待て。なんで私が女だからって、姓が変わらなきゃならないの?なんか、おかしくない?」
男女雇用機会均等法が成立・施行された頃、彼女はまだ小学生。男女差別って何?ということができる幸運な世代だ。
はっきり言って、高校受験だって大学受験だって学生生活だって仕事だって、やる気と努力で、なんの問題もなく活躍してきた。
男だ、女だ、なんていってるほうがナンセンスな世代なのだ。
なのに、いざ、結婚するとなって初めて味わう、姓が変わることの不条理というべきか、非合理的というべきか、意味が分からない制度に巻き込まれた気分。社会人としての成績も、男女で比べることなんてレベルが低いくらい、ベテランの先輩をも数字で明確に抜いている彼女にとっては、「女だから」ということで何かが強制されることに屈辱さえ感じる。
別に、彼が私の姓を名乗ったっていいじゃない。
話をすると、彼も別にこだわらないという。しかし、よくよく話をすると、彼は「親がなんというか」「社内でも婿入りした人はいるけど、相当、好奇な目で見られる。その覚悟を俺にしろっていうのか」という。
その時、彼女は一瞬、「そんなこと言う奴と結婚なんてできない」と思った。
最終的には、彼女はどちらの姓を名乗るなんてこだわってはいなかったのだ。
ただ、自分の素朴な疑問と、彼の反応に、なんとなく嫌気がさした。
彼女は彼に「女にしてみれば、きっと嫌なことなんだろうね。いいよ、そんなの。俺が違う姓になったって」と言って欲しかっただけなのかもしれない。
結果がどうあれ、そういってもらって自分の姓が変わるのと、そうでないのとでは、気持ちのうえで、相当、違うものだ。
その後、彼とは話合い、わだかまりはなくなったという。
しかし、なんなんだ。女って面倒くさい
ふつーに、やってたいんだけど。。。。
こんなこと、結婚に直面しなければ気づかないことだ。
晩婚化が進み、キャリアも積めば、自分の名前は学生時代とはまた違った意味で大きな意味を持つ固有名詞。
30年近くもの間、名乗った姓名は、アイデンティティそのものだ。
それを法律で強制的に捨てろだなんて、個人の尊厳を剥奪しているのと同じだ。
夫婦別姓に一票!
日本よ、早く、普通の国になれ!