小林美希の取材日記(つぶやき)

取材を通して思う素朴な疑問や、日々の出来事を紹介します。 

港町

2008-11-17 00:09:07 | Weblog
 まだ東北地方にいる。少し、思うことを書いてしまおう。
 昨日から今日にかけて、震災の被害にあった温泉街にて、某集会合宿に参加した。いろんな出会いや再会に、たまにはこうした合宿に参加するのもいいなと思った。

 その後、港町に戻り、某市議会議員に取材。
 私が今までに出会った地方議員は、例外はいるが、総じてあまり好印象な人がいなかった。特に、自分のよく知る土地の若手には、国会議員になりがいがためのパフォーマンスが多く、政治家としての人格は伴わず、最年少を唯一のPRにして国政を狙うような感じだったり、国会議員の席をローテーションで既得権益化する現象がある。そうした土地では、国会議員も何やってるのか疑問なのだが、一転。ここで出会った市議会議員は御年70代なのだが、とってもパワフル。かつ、現場をきちんと見ている。おとといまで案内してもらった地方議員浪人中の某氏もすごい現場を見ていて、政策もきちんと見ている。地方議員への見方が変わった。いずれも、少数野党。私は政党に対してニュートラルな立場を貫くが、気持ちだけでも惜しみなく応援したくなった。

 今日、その70代の議員と話していたら、私たちの世代を「子どもたちが」と言っていて、最初、自分が子どもたちの世代とは思わず、「ん?」と思ったが、あー、70代から見たら、私たちなんて、子どもとか孫だなぁと思いつつ、その世代に心配されていることは嬉しいのだが、もっともっと、自分たちがしっかりとやらないといけないと痛感。いつまでも、先輩方に心配されていてはいけない。自分のことは自分でなんとかせねばと改めて思った。本来、30歳にもなれば、親孝行を考え、今まで親や社会から投資してもらった分を社会に還元しなければいけないのだ。60代以降の人が引退できないのは、いけないと思った。元気な人にはいつまでも頑張って欲しいが、後輩世代が育ってない証拠でもある。世代交代しなければいけない。

 就職氷河期世代は不運だが、それに甘えてはいけない。できうる限り、頑張ってみなきゃいけないのだ。私がうったえたかったことは今、ワーキングプアと言葉をかえて流行になってしまった。冗談じゃない。ことの本質をすりかえてはいけない。問題は提起しても、それで甘えていいわけではないのだ。売れればいい的なメディアになんだか怒りがこみ上げてきた。

 恩返しする世代から世話されてしまうのでは情けない。冷静な目で、態度で、私たちは、あがいてみなければ。あがけることは幸せなのだ。夢も希望もなくせば、あがくこともできなくなる。30代でどんなに苦境にいても、諦めるのは早い。まだ、あがけるのだ。もがき続けることをやめなければ、なんとか脱出できると信じている。それなのに、甘えを助長する変なムーブメントが巻き起こってはいないか。ロストジェネレーションは、本当に自分が失ったものは何か、自分に本当に甘えがないか一度、立ち止まって冷静に考えなければ解はない。私は構造問題を訴えてきたが、それを利用して本来救われるべきではない人まで乗っかってきたことに危機感をもっている。

 この東北地方の港町は不思議なパワーをくれている。
 港だけを見ていると私の第2の故郷ともいえる神戸に似た感じもあり、港があってその空気が包んでくれることはなんだか共通している。なんか、漁港を眺めているとしびれてくるのだ。

 ここでは、辛い仕事をこなしているはずの病院関係者が、とても明るくて優しいことに、すっごい驚いたというか、新鮮さを感じてしまったのが、自分っておかしいのかと思った。
 普段、そういう普通の優しさを感じないで過ごしているからかもしれない。仲間がいると、肉体的にしんどい仕事でも乗り切れる。けれど、そういう場面って、少ないなと思う。労働問題って、本当に、たいていのことは大きな変革を求めなくても解決するのだ。身近な人を思いあう気持ちさえあれば。

 なんだか、港を見ていろいろ考えていたら、目頭が熱くなってしまった。