最近、大事なことを思い出した。
というのも、日本赤十字社病院に取材に行ったりするので、Japanese Red Cross Society
という文字を見ていて、あ、私ってばそういえば、高校時代にJRCという部活に入って
いたではないか!?と思い出したのだ。
高校時代、JRC、書道、空手、ESS、茶道部などいくつも入っていたが、ほとんどが
幽霊部員だった。
JRCは友人が入っていたから入ったような感じで、ボランティアなど、私には縁遠い
ような感じだった。でも、その頃、ちょっと勉強嫌いだった私は、テストの日とJRCの
合宿が重なり、誰も参加希望者がいなかったので、テストがさぼれるという理由で、高校を
代表してその合宿に参加したのだった・・・。
合宿は県の教育事務所が主催した青年ボランティア育成講座。
そこでは、県内の高校生が参加し、合宿を通して、障がい者ボランティアなどを中心とした
気づきのようなセミナーやゲームを行った。
庭で、2人ペアになって、一人は目の見えない役、一人は耳が聞こえない役となり、1周する。
そのゲームで私はハッとした。目が見えない恐怖、耳が聞こえず何か言いたくても言えない
もどかしさに気づいた。そこに来ていた牧師だったか、講師の人は、見知らぬ人を家に泊めたら
金銭を盗んで出て行った。けれど、その人を憎むのではなく、そういう人を作った社会を
変えなくてはならない、といった。
新聞社出身の人は「いろいろ取材したが社会を変えるのは最後は教育だ。教員は免許がなけ
ればなれないが、校長ならなれるから校長になりたい」と言っていた。(その後、その人は
本当に校長になった)
その時、私は福祉の道に行こうと決意して、新聞社出身の教育事務所職員に相談した。
すると、私が進学校の生徒と知って「福祉の現場に来てもらうのは大変、ありがたい。けれど
あなたは大学で法律を学び、政治家になって制度を変えて広く私たちを助けて欲しい」と
アドバイスされた。
その時、田舎育ちで無知で単純な私は、法学部にいき、官僚になって政治家になると思った
のだった。
その後、そうした芯の部分は変わらず、政治家ではないが、ジャーナリストという立場で
同じ思いを持ち続けている。