小林美希の取材日記(つぶやき)

取材を通して思う素朴な疑問や、日々の出来事を紹介します。 

「まなぶ」11月号

2007-10-31 13:49:32 | Weblog

「まなぶ」11月号(労働大学出版センター)に、先月書いたネットカフェ難民報道について書いたところ質問がきており、それに対する答えのようなものを書いています。
 質問内容は、福祉行政と労働行政が混同されるというのはどういうことか、というものでした。

 最近、書く媒体も広がってきて、掲載誌を読んでいると、いろんなところが、いろんな取り組みをして雑誌を作ってるなー、と、改めて思う今日この頃。ポリシーや熱意がある雑誌は、やはり「へー、そうなんだー」と思うところがあって、読んでいて参考になる。


元気とやま!

2007-10-28 21:46:55 | Weblog
 昨日、東京で富山県のUターンセミナー「元気とやま!」があった。行きたかったのだが、朝から激しい腹痛で、本当にのたうちまわっていたので、行けなかった。うー、残念・・・・・ 

 なんだか、ただの腹痛って感じではなく、ちょっと、病院いったほうがいいのかなぁと思ったりして。。。

 ちょっとリラックスするのに、録画していたドラマの再放送「HERO」を見ていた。やっぱ、ああいうドラマって、ぐっとくる。やはり、心のどこかで、誰もが正義の味方っていてほしいと思っているんじゃないかなぁ。自分じゃ言えないけど、誰かに言って欲しい、と思うことって、いろんな場面であると思う。(私は「歌姫」も、かなり気に入って見ている)

 ちょっと脈絡がないが、私は、もしも自分の余命がわずかと分かったら、命がけで、絶対に書きたい記事が2つある。(夕方、C型肝炎の報道特集を見て、ふと思った。人間、いつ何で命を落とすか分からないなと)

 だいぶ前に、エコノミストの編集後記で、ある大手一般紙の大阪編集局長の言葉を引用したが、その人は新人記者の頃、森永ヒ素ミルク事件を追っていて、担当医に「被害者は何%だったか」と聞いたところ「一人でも被害にあって苦しむ人がいれば、それは等しく同じ問題だ。人の痛みを数字で聞くような記者には教えない」と言われた。その時、その人ははっとして、私憤を公憤へ導くような報道を心がけたという。当時は、毎日新聞の雑誌にいたからその人の名を書かなかったが、朝日新聞にいた方で、今でも、私の仲間とは、当時の教えを胸にして、各社で記者活動をしている。その人は、「論説委員になるよりも現役の記者でいることが誇りだ」とも言っていた。もがくカエルも、その人の教えだった。

 教えは、私の心のなかにずっと生き続けている。

 数字ではない。

 問題は、規模の大小ではないのだ。

 黒川紀章さんがなくなり、妻の若尾文子さんが、黒川氏のことを「自分を使い切った人生だった」と言った。その言葉にも私はぐっときた。

 私たちは、使い捨てされている場合ではない。人生を使い切ろう。
 


 

熊本日日新聞

2007-10-26 20:01:36 | Weblog

 少し前のものですが、

熊本日日新聞9月3日夕刊 2面コラムで 九州ルーテル学院大学の濱田教授が著書について触れていれくれました。

 この問題は、都市部とは限らず、地方ではより深刻なのだと思う。

現代農業11月増刊号

2007-10-26 19:36:13 | Weblog

 いつもと少し色気の違う媒体ですが、実は、私は農政ジャーナリストの会にも入っていたのでした。。。農業はなかなか難しくて勉強が全然追いつきません

「現代農業」11月増刊号 脱グローバリゼーション

 地域からはじまる脱グローバリゼーションというテーマで、農村地域で働く若者の原稿を書いています。富山の話を書きました。

 こう、編集をやめて書き手に集中してからは、ゲラは見るものの、自分の手から離れれば、また次の取材や原稿に頭が切り替わるので、掲載されるのを見ると、あー、書いた、書いた!と人事のように思えるのが不思議です。なんか、随分前のことのような気がして。
 さっき掲載誌を見ていて、写真をたくさん使っているので、あぁ、こういうのも、見やすくて楽しいなぁと思ったりして。ルポで字ばっかりも、読むほうが大変だもんな、と、そんなことを考えたりも


 

代打はいない

2007-10-25 14:19:20 | Weblog
 昨日は、明け方まで原稿を書いていた(というのも、締め切りギリギリの私がいけないのだが)ため、さっきは、ちょっと呆然としてしまっていた。

 ところへ、ブログのコメントいただき、ありがとうございました。
 やはり、常にいろいろ勉強されている人は、いろんな情報をもっていて、すごいなー、と関心して、目が覚めてきました。

 実は、深夜に書いた直前のブログの一部をさっき、少し編集してカットしてしまった。昨日はハイテンションで書きすぎて、きちんと記事にするまで、なんとか我慢しようと・・・。

 そして、思った。

 ややもすると、以前いた経済誌などだと、よほど独自のネタを追いかけたり、深く深く取材していかない限り、ある意味、名刺があれば誰にでもできる取材や原稿になってしまう。名刺に名前があるのであって、本人の名前で仕事をしていないことになる。それは、よくよく注意して意識していたところだ。

 だが、ある1点、何かの問題を追いかけ始めると、それは、他の誰にもできなくなる。代打をうてる人はいないのだ。

 だからこそ、ジャーナリスト魂を燃やして頑張らなければならないのだ。

 ハートのある人と付き合いたい。

 この仕事に、本来、代打はいないはずなのだから。

ドキッ

2007-10-25 03:36:32 | Weblog
 いやはや、コメントがあると、ドキッとしてしまいます。
 どうもありがとうございます。

 御用学者、御用記者が何故できていくか・・・。

 今まで、気づいたこと。

 学者などに取材に行く前に、過去の記事や論文などを見てみる。おっ、いいこと言うなー(法制度の欠陥などについての批判)と、思っていざ出陣。すると、「あー、あれ、前は確かに言っていたんだけど、今はいえないんだよね。○○委員会に入っちゃったから」。これは、座長に多い。東大教授のがっかりした例。その人は、人材派遣会社にも取り込まれている。座長や委員長を経験すると迫がつくだけではなく、いろんな講演に呼ばれたり、という周辺の事業でたくさんお金が入るメリットがあるらしい。そして、国も批判的な学者をとりこむことで、法制度を作る・変える時に都合よくなる。ということを、取り込まれてはいない真面目な座長クラスの学者に聞いたことがある。
 誰かに言われた。
 そういう御用なんとかが生まれるまでの変化を記事にしたらと。
 おー、いいアイディアだ!
 でも、学者を相手にしたら簡単に訴えられそう・・・。


 世間的に有名だったり人気があることと、実際に真面目に本当に考えているかはまったく違う。人間、よくも、表と裏で言葉を巧みに使い分けることができるものだと、変に関心してしまう。それは、学者に限った話ではない。
 若年者就労支援というとても良い響きのなかで、ヤクザのように稼いでいる小さい業界のなかでの有名人は多い。いや、そんなんじゃヤクザに失礼かもしれない。


 さて、御用記者ができるわけ。
 格差ブーム、ワーキングプアブーム=各社が取り上げる=上から企画をやれといわれる=そんなこと急に言われても一般労働者の取材の根がない=手っ取り早く労組に頼って紹介してもらう=労組に頭が上がらなくなる=そのうち御用聞きのようになる

 という仕組み。
 
 だから、よくよくいろんな記事や番組を見ると、あれ、この人、他でも見た、ということになる。それは、特定の労組にみんなが頼るから、同じ人を取材しているからだ。

 ドキッとすること書かないとね、たまには。

 こういうことも、気づかないでいると、書き手として恥をかくことになる。
 社会人だからって、誰とでも仲良くなんてあり得ない。
 社会人だからこそ、見識のある人を見分る眼力を養い、表面上の言葉や態度に騙されないように、注意深くしていないといけないのだ。

 でも、それは、信念を持っていれば自然と分かってくるし、自然に仲間になったり離れていったりするものだ。
 奇麗事だけ言って儲けたい人は、そういう人とくっつく。
 ことの本質に迫りたい人は、一見目立っている人が奇麗事と気づいた時に、そういう人からは離れ、自分と同じ意識を持つ人とくっつく。

 これが自然。

 今、そういう過渡期な気がする。

 

REPORT

2007-10-24 18:10:46 | Weblog

情報労連が出している機関誌の「REPORT」10月号で、インタビューを受けて記事が載っています。

 情報労連は、派遣社員の組合参加に積極的に動くとのことで、労組に対して厳しい意見が欲しいと言っていました。立派な姿勢です。

 最近、特にジャーナリストのなかには、なんだか労組の御用聞きみたいな人が増えているなかで、労組自らが苦言提言を欲しているというのが、私としては気に入った!

 そんな感じで、取材中も盛り上がったのであります。
 隣のページには、以前いろいろお世話になっていたワークライフバランスなどで活躍しているT女史が。

 最近、現場周りで識者への取材がご無沙汰なので、また、いろんな方面に行ってこなきゃなぁ、と思う今日この頃。

 

天下り

2007-10-24 12:47:58 | Weblog

 天下りというのは、何も、中央官庁だけの話ではない。
 意外と、身近に天下り先を確保しようと必死にもがいている人はいるものだ。

 夫婦共稼ぎ、互いに年収1000万円前後。夫は現役。妻も天下り先を作ろうと、年金支給までの数年間、給与や交通費、社会保険料を負担してくれるようなところを作ろうと画策する人と出くわした。いやー、その迫力ったら、もう談合でも癒着でも不正でもなんでもありだ。仕事の発注をしてバックマージンを要求したり。会社のなかで、ほとんど全ての人からけむたがられているのに、定年延長でしがみつく。あぁ、かわいそうな周りの人・・・・。

 その妻は、公的な事業の委託を受けて、自分の小遣いにしようというのだから、許せないことだ。実際、今までも、税金による事業で得たものを私物にしているそうだ。

 私たちが必死に働いて、やっと年収300万円いくかいかないかという一方で、先日の防衛関係の接待も含め、そういう悪い親世代がいるのだ・・・。

 なーんか、こうした定年延長・再雇用制度で、これまでだったら、目の上のたんこぶ的な人がいても、定年するまでの我慢と周囲が耐えてきたのに、法律のせいで、その期間が延長されるという悲惨な職場って増えているような気がしてなない・・・・。

眠気との戦い

2007-10-23 19:22:10 | Weblog
 なぜか、異様に眠い。ふと気がつくと、窓を開けていれば寒いくらいの涼しさになって、夏の疲れがどっと出ているのか。こないだは、12時間眠り続けたあとに、食事したあとさらに7時間くらい眠りこけ、さらに、普通に眠りについた。

 最近かなり疲労気味だが、それでも、書かなければならないことがたくさんあるから、終わりがない。

 さーて、やってやるぞ!

 ある人が自身のブログで、私の著書について「身を切り刻んで書いたような血のにおいがした」というように書いていてくれている。
 
 確かにそうなのだ。あの頃(今も)、この問題をなんとかして活字にして世に出さなければという思いで、当然それ以外の仕事もやりながらの現場回りに奔走して、本当に血を吐いたり、不正出血したり、胃潰瘍になったりしていた。血反吐を吐くという言葉、そのままだったりした。あながち、血のにおいというのは嘘ではない。
 時に、記者とは狂うのだ。1点、これと思ったら、そこから離れないのが記者というもの。執念に近いかもしれない。不条理なことに対する怒り・憤り、それを書いて欲しいと願う読者の存在が全てを支えるのだ。

 それを思い出したら、眠気もふっとび、スイッチONした。


エコノミスト(10月22日号)

2007-10-21 11:59:29 | Weblog
 明日発売の週刊エコノミストで、中国雇用リポートの第2弾が出ます。
(エコノミスト10月22日号)

「日本企業よ!優秀な中国人を欧米企業に取られるな-このままでは勝てない」

 というタイトルです。