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戦国時代の忍者への信頼『忍者群像』

2020-02-19 07:45:51 | 歴史から学ぶ
@「人を裏切る」、戦国時代には勝者に加担するのは世の常であり、その背後にいた忍者もそうであったと言う小説だ。だた、忍者同士での助けあい、生き延びる糧(他の主を探す)を得るなど歴史には残らない忍者の活躍は戦国時代、相当信頼し重要な役割を背負っていたと感じる。 現代で言う信頼がおける部下に必要なのは、情報収集力、分析力、提案力だろうか。 特に上司が判断やすくするための「3つの選択」を提案することだ。多くもなく少なくもない選択で間違い・誤解を排除する提案だ。 3つで上司の返事は格段に早まることは間違いない。

『忍者群像』池波正太郎
戦国から江戸にかけての忍者を主人公にした7つの短篇集。忍者同士でさえ裏切り殺しあう時代、人の心を捨てた者たちの浮沈を描く 「光秀が生きていたぞよ」。山崎の合戦で明智光秀の首を取り、甲賀から離れた小五郎に、かつて命を救った仲間の助七がささやく。驚愕と執念に翻弄される小五郎。だがその背後には幾重もの陰謀があった―。戦国から江戸へ、世情とともに移り変わる忍者たちの葛藤と悲哀を、乾いた筆致で描き出す七つの短編。
  • 忍者はこの時代に欠かせない敵の情報を知る上での貴重な人材であり、味方同士への緊急性を持った伝達屋でもあった。また、主を守る役割から様々な家臣を視る役割もあった。この小説では敵味方に分かれた忍者同士の助け合いから、裏切り(寝返り)、毒殺、殺戮などを繰り返し有名無実のまま自害、もしくは姿を眩ませた者も多い
  • 明智光秀陣に潜り込んだ忍者、それは信長の輩下の忍者であったが「本能寺の変」を察知できなかった。ところが光秀が毛利に送った密書忍者を途中で待ち伏せ襲撃する事で秀吉を助ける役割を果たした。だが、襲撃され生き延びた忍者は数年後、その恨みを果たすことになる。「光秀が生きていた」と言う情報(光秀の親類で光秀に瓜二つの男が居た)を流し待ち伏せする。
  • 豊臣秀吉、徳川家康も多くの忍者を利用し、特に小田原城攻め、信州上田城攻め、関ヶ原の戦い、夏の陣、敵味方の動きを素早く察知し、戦略に変えた。豊臣の家臣加藤清正などは家康と相互に信頼を寄せていたが、裏では双方の忍者(芸者、料理人など)の諜報者がおり清正は奇しくも毒殺される。
  • 由比正雪(軍学師)が登場する一説は、槍の名手が由比の信頼する道場に忍び込み、由比の反乱を事前に察知し、一味の浪人60余名を一網打尽に処した。その裏にはこの忍び込んだ忍者の主は松平伊豆守信綱であった。この由比の謀反背景には江戸幕府の厳しい大名の改易が行われ、総計1千万石余りの取りつぶしなどから20万人を超える浪人が巷に溢れかえったことが幕府への不満につながっていた。
  • 忍者の秘法・毒の製法:コメを腐らせておき数種の草根を混ぜ合わせたものなどを持っていた。忍者は歴史的に伊賀と甲賀があったが、甲賀は信長側にいたとある。