@「時は気まま」。待つことで幸せを掴むこともあれば、苦労ばかり、人生のどん底をはいまくることもある。人それぞれの人生で「時」は如何様にでも「できる」が「される」こともある。ましてや男女・夫婦関係にも「時」が経つと表裏が出てくる。 「信頼」と「言葉」は時として友の大切なものを一瞬にして得る(失う・傷つける)ことがある。 無知では済まされない「言葉の力」。
『男の縁』乙川優三郎
武家の矜持と、あるべきように生きようとする姿を清々しく描いた、単行本未収録の2篇を含む全8篇。乙川文学10年の集大成として、自ら選んだ傑作集。
- 「悪名」 17歳で継いだ家、姑が病、女手がなく、二人の男たちは野良仕事と内職、嫁の仕事は1日中家事と看病、5年後に姑が他界、二人の男たちも家を出て、夫婦二人の暮らしになると、子供ができないからと離縁される。 飲み屋で酌をする女と化した時、飲み屋に来ていた武士の一人と知り合いになり「3年待てるか」の一言で、時を待つことに幸せを掴んだ。
- 「男の縁」歴代藩主の事跡の記録を取る仕事を受けた。中には、ある武士からの自分の自史をありのままに記録して欲しいとの願いで相談に乗る。「歳を取ると振り返るばかりで行けません、まだ先があると言うのに目的がなくなる」と昔の不正を働き出世したことを告白、苦に思って生きてきた。「人にはその人の終わり方がある」と乱心した様に壮絶な死闘で覚悟の討死をした。
- 「旅の陽差し」医者でありながら余命幾ばくもない人生で思い切って妻と共に旅に出た。旅に出た先は病人がおり、死を覚悟した自分より他人を助けることを強く感じつい医師としての行動にでた。よく言った言葉に「考えられるては尽くしたのだし、あとは祈祷師でも呼ぶしかあるまい」が旅に出て新鮮な空気、食べ物を食べたことで「次はどこへ行こう」と言える様になった。
- 「9月の瓜」仕事一筋に生きて漸く隠居をする日を迎える時が迫ってきた。 時は藩の派閥から筆頭家老が代わり今まで自分の良き同心が降任、自分だけが出世した。双方の後継者、自分の息子は出世しているが良き同心の息子は低辺におり、昔の自分の行で同心の家族を奈落の底に落としてしまったことを悔いていた。ふと元同心の家を訪れると野良仕事に精を出していた元同心と会う、あの時の事情を「ワシはあれでいいと思っている、人より早く隠居したのも、妻が重い病気で面倒を見てやろうと思ったこと、おかげで2年も生き延び良い別れができた。城勤めをしていたらこうは行かなかった。」「負け惜しみで言うのではない」「お互い先に見えてくる歳になって、今更15年前の話でもなかろう」と畑で苦労して作った瓜を分けてもらった。 その時に思ったことは「負けたな・・・。」と。
- 「梅雨のなごり」貧しい家に嫁いだ妹を庇い威勢の良い武家と衝突する兄。威勢のいいぶけは不正からドン底に・・
- 「向椿山」昔許嫁として思っていた娘に、医者の修行の為5年待ってくれと残したまま故郷を離れてしまった。残された娘は最初の2年を過ぎた頃から不安を抱き、華道家の男と関係を持ち身籠る。だが親は家督を守るため娘を遠く離れた場所出す。途中流産をして実家に戻り、同じく契りを交わした医者の男も戻ったが噂話に翻弄され合うことができない。娘の勇気で出会いを作り「離れていることは何もないのと同じでしたし、これでもうお会いすることはできないと諦める方が楽なくらい、思い詰めていた」と告白、すると二人の中は急に昔を呼び起こし元に戻ろうとする。
- 「磯波」道場を営んでいた父は一番弟子を長女の婿にするべく考えていたが、ある時次女が一番弟子と関係を持つことになり、妹は「身ごもった」と告げると、家督を守るために長女は家を出ることを決意する。実は妹は妊娠もしておらず、姉を妬んで結婚を迫った、だが結婚生活が全くうまく行かず悩むことになる。その理由は「夫の姉への思い」があるからだと告白する。姉は13年も一人で暮らすことでの寂しさを隠せず、どちらも自業自得であったと思い「だが、もういい・・・」長いため息をつく。
- 「柴の家」次男の縁組が整った。それは実家より裕福な家柄、しかも何もしないでも家督を継ぐという退屈な家に継ぐことになった。 その後待望の一人息子ができると妻も姑も夫を何一つ構わずじまいだった。夫はそんな家から作陶に興味を持ち果ては家を捨てることを決意する。その時育った一人息子に「何かに夢をかけるなり古いものを壊すなり、やりたい様にやればいい」、「先は長いぞ」と。