@「歎異抄」五木寛之の私訳書籍を年初に読む。「親鸞」=「阿弥陀仏」でありそれに「南無阿弥陀仏」となると「礼儀、お辞儀、挨拶」となる。元は「阿弥陀如来」とある。だから阿弥陀にお礼をするにはこの「南無阿弥陀仏」と唱えることが正しいと言う。
『私訳「歎異抄」』五木寛之
親鸞の言行をまとめ,その思想を知る上で極めて重要な宗教書として読まれている『歎異抄』。戦中戦後の絶望的な著者の人生を救った永遠の名著を,氏自身が渾身の新訳で挑む
- 「親鸞の歎異抄」五木寛之
- 「阿弥陀仏」の念仏を唱えること、それだけである
- 阿弥陀とは永遠の時間、限りなき光明を意味し、その誓いを本願、その名を呼ぶ事を念仏と言う
- 「信心」全ての人々を苦しみから救う、ひたすら信じる心こそ大事
- 特別の秘法はなく念仏を称える以外他の行はない
- 「慈悲」自力では思うままに救済することができない、だからこそ念仏することが大切
- 師弟関係・弟子はいない、誰もが念仏を称えることで救われ、同じである
- 念仏を妨げるものはない、一筋の道を行く事、念仏でやがて真実の浄土に往生できる
- 念仏と言うものはあれこれ理屈をつけて論じるものではない、深く学ばないでも良い
- 学問をして理論を備え、人の避難に対抗し、論破してはいけない
- 学問で仏の慈悲深さを理解し、その近いの意味を知るようにしなさい
- 良い結果も悪い結果もその業の結果であると認識し、ただ仏の慈悲にすがることが他力の道
- 阿弥陀仏は決して見捨てることはない、だからこを迷いの世界を流転することなく往生できる
- 念仏で自分の心を改め、仏に任せて他力の信心に帰することで回心となる
- 寄進する金品の多いか少ないかではなく念仏を唱え仏を深く信じること
- 「歎異抄」は親鸞滅後約25年、公安10(1287年)から正応3(1290年)までに東国出身の弟子唯円によって著されたものとされる。
- 「親鸞」」皇太后宮大進で日野有範の子して1173年誕生、1262年90歳没。9歳で叔父の藤原範綱により青蓮院の慈円に入室、比叡山で修行し、幾たびか歴史的な飢餓にあい生き抜いてきた。1207年に「念仏停止」により法然・行空・幸西・親鸞らが流罪となり、親鸞は越後国府にて浄土真宗を開祖した。「教行信証」「唯信抄」「「浄土和讃」「高層和讃」「正像末和讃」を書く