それでは、連載第14回目は、碓氷峠区間アプト式の最後を飾る形式、ED42を取り上げていきたいと思います。
昭和に入り、輸入機ED41に引き続き国内で製造された、ED42。最終期には同形式のみで運用され、昭和38年の粘着新線の完成で引退しました。写真のED42 1は、引退後横川機関区で保存され、後に動態復活し、車掌車に電圧変換装置を装備し本線走行も可能なまでになりましたが、現在は「碓氷峠鉄道文化村」にて、再び静態保存となっています(写真)。機構的にも麓の横川方のみの片運転台、従来形式の伝統は踏襲されています。
後にキハ57形急行、キハ82系特急「白鳥」の前後にも立ちましたが、元々登山鉄道用のアプト式は東京~信州~北陸方面の輸送量に対しあまりに輸送力が不足するため、EF62、EF63が開発され、ラックレール無しでも運転可能となったため、結果引退しました。準鉄道記念物、技術的に見ても貴重な遺産であると思います。
それでは、次回をお楽しみに。