昨日、1月22日(土)大阪府豊中市の岡町図書館で開催された
いのちの大切さを伝えたい
元ひめゆり学徒隊 新川さんが語り継ぐ沖縄戦の悲劇
に行って来ました。
関西で唯一の、ひめゆり学徒隊の生存者の新川さん。
「私は艦砲ぬ食い残し。当初は生き残ったことがつらかった。
年を経て言いにくいことも言えるようになった」と
不眠不休で兵士の看護にあたった陸軍南風原野戦病院での、
体験をお話ししてくださいました。
新川さんは、3月24日に南風原の陸軍病院壕に学徒動員され、
2か月ほどを壕の中で過ごされました。一歩壕を出れば、艦砲が
飛び交う危険な状態、壕の中もまた、傷病兵でごったがえす悲惨な状態。
私は、昨年南風原陸軍病院跡に行き、壕の中で当時のことを
伺ったので、新川さんのお話しが余計に生々しく迫ってきました。
アメリカで、沖縄戦のことを「この世のありとあらゆる地獄があった」と
報告されたそうです。そのひどい状況の中でも、「神風が吹く」とか
「海軍記念日には大規模攻勢がある」と、新川さんたちは信じていたそうです。
そういう軍国教育を受けて、沖縄戦で死と向き合った新川さんが、
今「人の命、気持ちを大切にすることが平和を広げること」と
講演を続けていらっしゃいます。
機会があれば、ぜひお話しを聞きに行ってください。
講演の後、SDCCから署名や写真展のアピールをさせていただきました。
この会を企画された、豊中の皆さま、ありがとうございました。
ZAN
いのちの大切さを伝えたい
元ひめゆり学徒隊 新川さんが語り継ぐ沖縄戦の悲劇
に行って来ました。
関西で唯一の、ひめゆり学徒隊の生存者の新川さん。
「私は艦砲ぬ食い残し。当初は生き残ったことがつらかった。
年を経て言いにくいことも言えるようになった」と
不眠不休で兵士の看護にあたった陸軍南風原野戦病院での、
体験をお話ししてくださいました。
新川さんは、3月24日に南風原の陸軍病院壕に学徒動員され、
2か月ほどを壕の中で過ごされました。一歩壕を出れば、艦砲が
飛び交う危険な状態、壕の中もまた、傷病兵でごったがえす悲惨な状態。
私は、昨年南風原陸軍病院跡に行き、壕の中で当時のことを
伺ったので、新川さんのお話しが余計に生々しく迫ってきました。
アメリカで、沖縄戦のことを「この世のありとあらゆる地獄があった」と
報告されたそうです。そのひどい状況の中でも、「神風が吹く」とか
「海軍記念日には大規模攻勢がある」と、新川さんたちは信じていたそうです。
そういう軍国教育を受けて、沖縄戦で死と向き合った新川さんが、
今「人の命、気持ちを大切にすることが平和を広げること」と
講演を続けていらっしゃいます。
機会があれば、ぜひお話しを聞きに行ってください。
講演の後、SDCCから署名や写真展のアピールをさせていただきました。
この会を企画された、豊中の皆さま、ありがとうございました。
ZAN
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