ジュゴン掲示板

ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)は日本では沖縄にのみ生息しているジュゴンを守るために活動をしています。

2018じゅごんの里ツアー  集落散策&貝と言葉のミュージアム

2018年07月07日 | 活動報告
第13回じゅごんの里ツアー(6/29~7/1)は
なんと台風の影響で、大幅にスケジュールが変更になり
2日目の船で大浦湾めぐりはできず、、、残念でした

けれど、3日目の「ジュゴンの古里=大浦湾沿岸の歴史をたどるツアー」を繰り上げて決行
名護市東海岸在住の浦島悦子さんのガイドで
琉球王朝時代からの古い集落(汀間)と
廃藩置県以降に首里士族が入植した新しい集落(三原)を散策


まずは浦島さんからレクチャー




御嶽(ウタキ)の近くには、守護神を招いて祭祀を行う「神アサギ」と称する広場があります
神女達が御嶽へ遙拝したり、神歌を謡ったり、神酒のふるまいを受けたりする場所です







神話的な名残をもつ暮らしが続いていることを感じ
祈りが失われていないのだなぁと思いました

そして「貝と言葉のミュージアム」へ




じゅごんの里の敷地内に今年の3月にオープンした私設資料室です
目の前に瀬嵩浜が広がっています
大浦湾の奥に位置する瀬嵩浜には700種もの貝がゆりあがるそうです
瀬嵩浜でしか拾えない貝もあるそうです
そのゆりあげ貝(打ち上げ貝)が所狭しと展示してありました




貝の専門家の名和さんのお話を聴いています







6億年前から進化せずそのままの形で生き続けている貝
進化しながら生きている貝
今、同じように大浦湾にいるなんて
なんてすごいんでしょう
6億年ですよー



トウカムリのつぶやき…
大浦湾の奥に広がる砂底は、私たちの世界だ
ここでは、私たちが一番大きな殻をもっているからだ
私たちが海草のあいだにすわっているとき
大きなからだの太った動物がゆったりと横切ることもある
彼らのすがたを最近見かけなくなった
わたしたちも、いつのまにか十数個だけになった
それでも、わたしたちは、この入り江を統べていく
そうして、殻になると、大波に乗って瀬嵩浜におもむくこともある
それを抱えたニンゲンが、かつてのように
海に祈りを捧げるときを待っている

はるかかなたの昔から はるかかなたの未来へと
幾百種類の貝殻を 揺り上げ続ける瀬嵩浜

            (冊子 渚の言づて 瀬嵩浜より)

名和さんが言われた
子どもの頃、ふつうに貝拾いをして
貝の名前をおぼえた
今は貝拾いができる浜がほとんどなくなってしまった
その文化も途絶えてしまう
なんとか継いでいきたい…と

大浦湾を自然のままで残したい


2018じゅごんの里ツアー 番外編~チビチリガマと野仏

2018年07月07日 | 活動報告
じゅごんの里ツアーの前日に読谷村へ行ってきました

2018年2月26日の朝日新聞の記事
「野仏と、泡盛のヨーグルト割り」を読んで
野仏を見に行こうと心に決めていました

関連記事
毎日新聞 4月3日
チビチリガマ損壊、少年ら鎮魂の野仏 7日に慰霊祭

チビチリガマ
遺族の方々には大事な慰霊の場
73年前の沖縄戦で集団強制死が起こった場所
沖縄県読谷村にある
今は、二度と戦争をしないための平和学習の場でもある

その場所が去年の9月に荒らされた
故意の破壊行為かとぞっとした
けれど、無知であるが故の少年4人による行為だった
とまどった

保護観察処分を受けた少年4人の保護観察担当を金城実さんが引き受けられた
金城実さんは4人に課題を与える
1つ、このチビチリガマはどういう場所なのか各自で調べてレポートを提出すること
2つ、この像が共同制作されるまでの遺族の苦しい心の内はなんだったのかを
   ドキュメントや映画に収録されている資料で学習すること
3つ目は、もう一度遺族とともに私のもとで新しい作品を作る
                      (大獅子通信第25号より抜粋)
そうして、遺族の方々と一緒に野仏はつくられた

それらの野仏がチビチリガマの周りに安置されている















私は野仏を一通り眺めながら
なんとも言えない空気に包まれました
そこは優しく癒しの場になっているように思え
祈りの場になったように思いました







金城実さんのアトリエにお邪魔すると
ご本人がいらして、お話しを聴くことが出来ました
金城さんは、4人の青年とこれからも向き合っていくといわれた

不正やうそやごまかしが蔓延し
誰も責任をとろうとしない日本の社会

野仏は大人の責任ということを教えてくれる

訪れてほんとうに良かった