5月28日の夕方。
沖縄は梅雨のまっただ中。
普天間基地の移設先として「辺野古」が明記された「日米共同表 明」に抗議すべく、
名護市では「『辺野古合意』をみとめない緊急 集会」が開かれました。
雨にも負けることなく名護市役所の中庭に集まった市民の数は12 00人。
傘の波と「怒」の文字は、
「共同声明」と鳩山政権に対する市民の失望と怒り、
そして基地建設反対への新たな決意を表していました。
稲嶺市長は、市民の頭越しで行われた「日米共同声明」を批判し、
「名護市は、この基地問題にいつまで翻弄され続けられなければな らないのか」と、
市長としての苦悩を語りました。
そして「自分は基地建設反対の公約を掲げ選挙に勝利した」
「だか ら辺野古には勿論、名護市の海にも陸にも基地は作らせない」
「日 米合意は絶対に受け入れない」
と市民にしっかりと約束してくれました。
市長はまた、「『地方分権』『民主主義』『平和』のもと、
基地に 頼らない街作りをしていこう」と訴えました。
稲嶺市長の言葉ひとつひとつに、集まった市民はうなづいていました。
その中でも「嘉陽のオジー」こと嘉陽宗義さんと
渡具知武清さんの 家族の姿は、
名護の住民運動を象徴するものでした。
この14年の間に広がってきた基地建設反対の運動と、
人々の暮ら しとジュゴンの棲む豊かな環境守る運動が、
「日米共同声明」より もはるかに強いものであると
確信した日でもありました。
H(名護発)