つむじ風

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日本の歴史をよみなおす

2020年05月13日 21時31分29秒 | Review

網野善彦/ちくま学芸文庫

 2005年7月10日初版、2012年3月10日第22刷。この著作は当初の「日本の歴史をよみなおす」からその後の「続・日本の歴史をよみなおす」を合わせて1冊にしている。続編は更に豊富な資料で裏打ちされた「日本の歴史」の見直しである。

 ポルトガルの宣教師(ルイス・フロイス)の「日欧文化比較」1562~1579の日本での生活から。おおらかと言うか、野蛮と言うか、現代では考えられないような生活習慣があったようだ。双系的な社会から律令国家になって、父系制に移行を建前とする社会、室町末から江戸初期、あらゆる社会的機会から女性が排除され地位が低下、賤視の対象となって定着したことも歴史の流れとして頷ける。

 224pから後半(続)、上時国、下時国両家の話し(百姓は農民か)は実に面白かった。豪農、時国家は四艘の北前船を持ち、一航海で1000両の取引、300両の利潤を得ていた。実は大規模な廻船交易業者、実業家、大企業家であったことの証明は、確かに「よみなおす」に値する。学校で教える教科書の「薄さ」が判るというもの。極めつけは、北前船の船頭(友之助)の話しである。時国家から小田地を借りて耕している。彼は貧しい下人、小作人、水呑百姓なのか。しかし、実は千両の取引を自分の判断で仕切る大船頭なのだ。

 律令国家は「農業中心主義」で税も石高を基準にして課税している。「農」以外の区別がない。学問(儒学、経済史、封建制、、、)自体が農業中心主義である。
 「天皇」が確立したのは7世紀後半、天武、持統の頃、律令体制の確立と一致する。この頃「日本」も定まった。それ以前は未開で原始的、アニミズムや呪術の力が支配する社会(古墳はその典型)だった。畿内の首長たちの間では対抗する勢力もあり、その地位が安定的に維持される条件が無かった。
律令制の骨格は儒教に基づく、天命思想、易姓革命の思想が背景にある制度である。

 日本が律令制を取り込む時、それは注意深く排除された。天智天皇も神武天皇も後日の付け足しである。
 祖、庸、調の税制についても、元は水稲耕作の習俗、「初穂の貢納」であり、首長の所へ貢ぐ服属儀礼、平民の生活習慣であった。中世の律令によって制度化され、年貢、公事、夫役が近世の年貢、小物成、課役になる。公(公家、公方、公儀、公)への奉仕と考えられていた。

 平 将門と言えば首が飛ぶ話ばかりが思い浮かぶが、「新皇」の具体的な話しは初めてであった。比較的平穏に見える日本の歴史の中にも、クーデター的な大きな分岐点があったことに、今更ながら納得する。

 後半の西園寺家の系譜も実に面白い。「これまで「常識」とされて、今も広く通用している日本史像、日本社会のイメージが大きな偏り、あるいは明白な誤りの「根」はまことに深いものがあり、・・・」「これを正すことは我々が現代を誤りなく生きるためには急務」と著者は痛感しているが、歴史は権力者の下で造られる見本のような話である。既存の日本史とは異なる面を見せつけられたように思う。

 世の中が発展しても、それに人々の意識が追いついていかないという現象が見られる。皮相的に発展しても、核心ではなかなか変化が起こらない。これが人間の歴史というものの実態なのかもしれない。



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