もう明日でもかまわない

日々の雑記です。
艦これにはまっていたけどやめました。
愚痴が多いのでご注意ください。

弟のこと

2024年01月24日 13時58分51秒 | 日記
20日の土曜は私は安心していたのと疲れていたので二度寝して昼過ぎに起きた。
一応その日も向かったら、弟の様子は前日と同じように見えたので少し安心した。お水も飲んでる。
でもあまり起きてると、呼吸が苦しいことも実感するし、疲れるから寝かせた方が良いと兄が言うので起こさないようにしていた。
その日も兄が泊まるというし、弟の容態も落ち着いていたので15時から17時ぐらいまでしか居なかった。その日は家で夕飯もちゃんと支度した。

次の日の21日は、兄がさすがに疲れたので家に帰りたいから私と交代。でもバイクで来てて天気が悪いと帰れないから来るのは昼でいいと言われた。
11時頃に行って、21時半まで居た。
弟は前日よりも意識が戻らなくなっていた。血圧をはかりに来たり熱をはかりに来たりすると嫌がるけど、基本朦朧としている。モルヒネは打ってないのに。
呼吸は相変わらず苦しそうに見える。朦朧としいれば見た目ほど苦しくないと言われたけれど。
兄はしきりに「起こすなよ」と言ってたからそっとしておいた。
熱が高い。でも手の指先は冷たかった。
兄も母も弟にあまり触らないけど私はベタベタと触り、手もよく握っていた。
夕方を過ぎたあたりから、黒目が戻ったと思うとばんざいしてマスクを嫌がって外そうとするようになった。そのたびに手を握って甲をトントンすると落ち着いた。
兄はその前の晩、弟がそれをやるから眠れなかったと言ってた。
「一度やりだすとずっとやるかもな」
昼前から夜まで居るつもりはなかったし、兄はいつ帰っても良い、夕方でも良いと言ってくれたけど弟を一人にしないようできるだけ長く居ると決めた。そこでの食事は禁止されてるので、途中外に出てコンビニで買ったサンドイッチを道端で食べた。
時間を持て余すと思ってたけどずっと見てたり、小さな声で話しかけたり、酸素マスクの番をしてるとあっという間に過ぎていった。
弟がマスクを嫌がる時、私の手を握る指には力がこもっていた。痛くはなかった。弟は優しいから。
兄が次に来るのは夜中らしい。バスの最終を考えると私は21時半頃までしか居られない。3時間ほど弟を一人にしてしまう。
普通の病院と違ってホスピスには医者が常駐していない(医者が来るのは週1または2週に1度らしいけど、弟は緊急事態なので3日連続できてくれていた)
24時間面会できる。基本、器具があまり充実していない。でもナースコールで看護士が駆けつけるのは早い。でも弟は10分おきぐらいにバンザイしてしまう。
私が帰る時、近くに看護士さん、職員の人が誰も見当たらなかったので、私が帰ったこと、弟がマスクを外したことにすぐ気づいてもらえるようにドアを全開にして帰った。

22日月曜は私はパートだったので、帰りに寄るつもりだったが昼から母がくるというので、私は母と交代で、また夜中の兄とのつなぎになった。
パートからそのまま電車で昼頃行くのが楽だったけど、弟を一人にする時間を少なくしたい。私はまた9時過ぎまでしか居られないし。前の日は家に帰って風呂に入ると寝るのが0時過ぎたので、パートから一度家に帰って風呂に入り、飯の支度をして夕方出直すことにした。
準備していると兄からLINEで「今先生が来てた。今日を含めてあと3日ぐらいらしい」とあったので、そんなに早いのかと愕然とした。わずかでもここから持ち直してくれる可能性を信じていた。全快して欲しいとか、歩けるようになって欲しいとかじゃない。少し回復して欲しい、また持ち直して、長くて春までと言われてたんだから春まで待って欲しい、一日数時間でも話せるぐらいに、たまにお水を飲むぐらいに戻ってほしい、慎ましい希望しか持ってないのになんでこんなにむごいのか。
ホスピスに移ったら、緩和ケアがうまく行けば車椅子ぐらい乗れるかも。
泊まりは無理でも数時間外出はできるかも、と言われてたのに。病院にいれば肺気腫も対処できたかもしれないのに。
移ったばかりの時には兄が言うにはベッドの縁に座れたと言ってた。車椅子も間近だと思ってた。なのに結局あと3日と言われてむかむかした。
着くとモルヒネも投与されてて弟はもうバンザイもしなかった。
交代する前に母と少し話したけど、弟は母にもお別れの挨拶をしていた。
「産んでくれてありがとう」と言ったらしい。素晴らしい弟だと思う。
兄にもなにか言っただろうと思う。本当にあの時が最後のまともな会話だった。
母が帰ったあと私はずっと弟の手を握っていた。子供の頃によく嫌がられたけどほっぺにキスをしてたからそれを数回やった。
大好きだよ、意地悪したのに仲良くしてくれてありがとう、一番の仲良しだよね、また私の弟に産まれてきてね、と言い続けた。
あと、昔元夫の祖母の葬式で数日留守にする時に、猫の世話をしに千葉まで泊まりに来てくれてありがとう、龍が如くの喧嘩やってくれてありがとう、セキロ上手だったねとか言った。弟は抗がん剤をやめて毛が生え始めた頭と、首に汗をかいてたからちょこちょこ拭いた。その時に涙も流れていたので拭いた。どちらも何度も拭いたんだけど、涙は目が乾いたかなにかした事からの反応だと思っていた。
猫の最期の方でもあったけど、時々カフー、カフー、という呼吸のリズムが乱れ、カ・・・と、呼吸を忘れたようにぼーっとなるからそうすると握った手の甲をぺちぺちして促した。

21時過ぎに兄が到着して、交代した。「また明日もこんな感じで頼む」と言われた。兄はまた夜中に来る予定だったけど繰り上げてきてくれた。
私は21時25分の電車に乗るために15分頃に出て、ピクミンブルームの青カトレア花植えをして、最近のいつものようにザ・スミスを聴きながら駅に向かい、MにLINEしてから来た電車に乗ったら兄から「逝っちゃったよ。先生を呼ぶ」と来た。
電車に乗る前だったら私は戻ったと思う。弟は私が帰るまで、電車に乗るまで堪えてくれた。優しいから。私を家に帰してくれたのだと思う。
兄が「戻らなくていいだろう、今まで会ってたんだし」
「全然苦しまなかったよ」と、
「これは本当のことなんだけど、涙を流してた」と送ってきた。
ずっと弟を見てきた兄が言うのだから珍しいことなのだ。そう思うと、弟は夕方からずっと泣いていたんだな。かわいそうに。
でも、カフー、カフーの呼吸が休む、あの感じでそのまま止まったのなら、苦しまなかったのなら良かった。
もう弟に会えないなんて、本当に信じられない。でも、いい子だから家族全員から見送ってもらえたんだと思う。私はこの分で行くと全員見送る立場になる。こんな思いをこれから何度もするの嫌だな、長生きしたくない。
この先の人生、弟が居ないなんて半身無いような気持ちだ。
去年の初秋から弟とまともに会話を出来ていなくて、ストレスが溜まっていた。
私から一方的に話し、弟が二言三言返してくれる。会話が展開していかない。
その不満が今の時点で胸に溜まってる。これをこの先抱えていく、この先話したくても一言も返ってこない、と思うと窒息しそうになる。
この家に、人生の最後には弟と二人で住むと思ってきた。それもいいなと楽しみにしてた。
葬式は金曜になった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 葬式から以降 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事