金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

65%のアメリカ人は医療保険改革を支持しているが・・・・

2012年03月29日 | 国際・政治

米連邦最高裁は3月26日から2年前の3月に成立した医療保険改革法案を巡る違憲訴訟の審理を開始した。6月にでる判決の結果は11月の大統領選挙に影響を与えそうだ。医療改革法案自体を米国民が支持しているかどうかというと、ロイターが23日から28日にかけて行なった世論調査では、65%の国民が法案を支持し、35%が反対している。

ところでロイターに「米国の医療問題に関する計数」が出ていた。これはOECDの調査によるものだ。米国が一番なのは「医療費の高さ」「健康に対する自己評価の高さ」「肥満度」である。

悪い方では30番目が病院のベット数で人口1千人につき3.1。また民間または政府の健康保険によるカバー率は81%でOECDの中で31番目の悪さだ。因みにOECDの内25カ国は国民の99%以上が保険でカバーされている。最後に米国が悪いのは「時期尚早の死」だ。米国より時期尚早の死が多いのは、ハンガリー、メキシコ、ロシアだけである。米国の時期尚早の死の主な原因は「事故・暴力・ガン・循環器系疾患」である。

世界で一番医療費を払い(2.6兆ドル、GDPの18%、一人当たり8402ドル)、9割の米国人が自ら健康と考えながら、大人の3分の1以上が肥満と言う米国。

国民皆保険が米国の医療問題を解決する決め手だろうか?と言われると中々難しい問題のような気もする。

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リアルな世界を求めておじさん達は山に向かいはじめた

2012年03月29日 | 

3月29日、今年の春は遅くまだ東京では桜の開花情報は聞かない。だが僕の周りでは幾つかのサークルで山の話が花盛りになっている。

まず会社の山の仲間では、今週末奥武蔵の武川岳に行く予定だ。天気次第だが、その次の週末かまたは次の次の週末には、独りで山スキーを担いで吾妻山に行こうと考えている。今年は雪が多そうなので、まだ雪のモンスターを楽しむことができるかもしれない。

4月の21日には筑波山登山。これは東京の中小不動産オーナーの会のトレッキングで、オーナー会の会長さんに頼まれてプランニングしているものだ。翌日の22日は某ロータリークラブのお供で箱根外輪山に行く予定だ。その次の週かGWには八ヶ岳連峰の天狗岳あたりを縦走する予定・・・・という具合に山のスケジュールが結構詰まっている。

不動産オーナー会やロータリークラブもそうだが、60歳を過ぎた人々の間で山に登ろうという動きが活発になっているが、その理由は何だろうとか?と考えてみた。

冒険家にして作家の角幡 唯介氏は「私たちが山に登り、荒野を旅するのは、生きることの本当の理由をそこでしか感じることができないと知っているからである」と述べる。

60歳・・・・ビジネスの世界でやるべきことはやった(やれなかったことも沢山あるけれどそれはそれまでの世界)。パソコンやテレビを付けると珍しい世界の旅行や山登りもバーチャルに体験することができる。だが何だかもの足りない。自分の足で登りたい。荷物を担いで汗をかいて山を歩きたい・・・・と考える人が増えているようだ。

ビジネスの社会は閉塞している。いや本当はその閉塞を打ち破るべく、世界に飛び出せば良いのだが、そこまでのバイタリティと時間の余裕はない。でも何かをしたい・・・・という人たちの間で山に登ろうという気持ちが高まっている。

我々はバーチャルな世界に疲れた。生きるということは汗をかきながら自分の足で一歩づつ高みを目指すこと以外の何ものでもないということに回帰が始まっている。

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久しぶりに人形町・笹新で飲んだ

2012年03月29日 | 酒・ワイン

久しぶりにサナちゃんと人形町の笹新に飲みに行った。笹新に行くのも久しぶりだが、そもそも外で飲むのも久しぶりである。「笹新に行こう」と発案したのはサナちゃん。会社の後輩のサナちゃんは笹新が大好きだが、僕は幾つかの理由があると踏んでいる。一つは笹新は居酒屋らしい居酒屋だ。甘酒横丁を明治座に向かって数分歩いた角の右側にある笹新は室内一杯にカウンターと寄り合いテーブルがある。カウンターには総菜感覚の料理が並んで庶民感覚に溢れている。この「庶民感覚」が笹新の良さだ。庶民感覚だけれど料理の素材は良い。特に「ねぎま」と豆腐、ねぎの煮込みは絶品だ。

次に値段が手頃なことも足を運びやすい理由だ。昨日はお酒は控えたが料理を1人3,4つ取って一人4千円だった。サナちゃんが笹新が好きな最後の理由は、彼が南町田に住んでいることだ。笹新からの帰りに半蔵門線・人形町駅から地下鉄に乗ると、座って南町田まで行くことができるからだ。私の場合は九段下で東西線に乗り換えて高田馬場に向かうが、こちらも便利である。

酒の最後は漢詩の話になった。サナちゃんは携帯電話に「ひとりよがりの漢詩紀行」というウエッブサイトhttp://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/KanshiNo2/kanshi34.htmlを取り込んでいて杜甫の詩などを教えてくれた。

その一つが杜甫の「登高」。登高とは旧暦9月9日に高台に登って酒宴を開くことであるが、病気(糖尿病)のため医者から酒を禁じられている杜甫はうれいを払うを酒を飲むこともできない。

杜甫は「潦倒 新たに停む濁酒の杯」と結ぶ。潦倒とは「ひとりよがりの漢詩紀行」によると、「絶望の結果おこる投げやりな生活態度」ということ。長年の多病と流浪を嘆き、秋のめでたい日に酒で祝うこともできない悲しさが古今の絶唱となっている。

酒が飲めないということでは、私も急性前立腺炎で入院して以来、すっかり酒量が落ちた。一つは口内炎の影響だと思うのだが、酒やワインの味をあまり美味いと感じなくなっている(カクテルのような甘い酒だと美味しいと感じるが)。口内炎の方はほぼ収まったが、酒の味覚の回復は遅れている。昨日笹新ではもっぱら焼酎のお湯割りを飲んでいた。

早く以前のようにすっきりと酒を楽しみたいと思うが、年齢を考えると酒量を抑えるべき時期にさしかかっているのかもしれない。淡々と変化を受け入れてその中で楽しみを見いだすべき・・・ということだろうか?

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