この前新宿駅の駅なか書店で「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村 仁一著 幻冬舎新書)を買った。前から読みたいと思っていた本ではないが、題名に刺激されて買ってしまった次第だ。
この本の表現はかなり極端で刺激的だ。まず「はじめに」の中で著者は「繁殖を終えた年寄りには、『ガン死』が一番のお勧めです。ただし、『手遅れの幸せ』を満喫するためには、『がん検診』や『人間ドック』などは受けてはいけません」と述べる。
著者は20年以上も前から「死ぬのはがんがいい」とあちこちで言ったり、本に書いてきたりしているという。そしてなぜ死ぬのはがんがいいかについては2つの理由があるという。一つは「周囲に死にゆく姿を見せるのが、生まれた人間の最後の務めと考えている。しかもじわじわ弱るのが趣味ですからがんは最適だ」ということ。もう一つは「比較的最後まで意識清明で意思表示可能ながんであれば、身辺整理ができ、お世話になった人たちにちゃんとお礼やお別れがいえる」ということだ。
著者は1940年生まれの医師で、現在は老人ホームの附属診療所の所長を勤める。若い時から健康に恵まれていた様で「救急車は呼ばない、乗らない、入院しない」をモットーにしているという。羨ましい限りで私は30過ぎの時「腎臓結石」で、真夜中に救急車を呼び、緊急入院した経験があるし、つい1ヶ月ほど前も急性前立腺炎で入院していた。だから著者に「ちょっと具合が悪くなるとすぐ医者にかかる」とか「薬を飲まないことには病気はよくならない」などという現代人の悪癖を指摘されると考え込んでしまうのである。
もっともこれは著者の一つの極論で、正確にいうと「生活習慣病のように体のうちから起こり、すぐには死なないけれど治らない病気の場合はちょっと具合が悪くなってもすぐに医者にかかるな」というべきなのだろう。このことについは著者もこの本の後ろの方で「肺炎とか赤痢なのの感染症は完治する可能性がある」と述べている。つまり丁寧にいうと医者にかかれば完治する(かからないと死に至る)ような病気の場合は、医者にかかるべきだが、生活習慣病のように「治せない」病気の場合は、安易に医者にかかるなというのが、著者の主張なのである。
著者は生活習慣病のように「治らない」病気の「治せない」ものに専門医がいるため、話がややこしくなる、なぜなら専門医なら「治せる」のではないかと誤解をするからだと述べる。卓見というべきだろう。
私見を述べるならば、自分が病になった時「医者にかかって治る病」か「医者にかかっても治らない病」を見分ける力は患者にも求められているということだ。
なおこの本は「死」について多くのことを語っているが、著者が本当に述べたいことは、自分の死を考えることで死ぬまでの生き方を考えようということである。
参考になったのは「自分の死を考える」ための具体的な行動15か条だった。この15か条の中には「遺言を認める」「別れの手紙、録音、録画を準備する」「事前指示書を完成する」などかなり大変な準備がある。事前指示書というのは、病気や事故で意識がなくなったり、正常な判断力が消失した場合に、どのような医療サービスを受けたいかを判断力が正常な時に表明しておくものだが、指示は「心肺蘇生」「強制人工栄養」等について具体的に記述する必要があるということだ。頭がハッキリしているうちによく勉強しておく必要がありそうだ。