S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「長文、すみません」

2004年10月17日 | ○○さんにトラックバック!
HPの掲示板や、ブログのコメント欄といった、
投稿の場においての「長文」の扱いに関しては、
自分の管理する場と、他者が管理する場と、
違ってくる部分があると思います。

HPの掲示板でも、ブログのコメント欄でも、
それは、その管理人の「家」と、わたしは考えます。
家の応接間で誰と話していても、
それは「二人だけ」ということではなく、
第三者の目にふれるものです。
管理者の投稿、管理者のレスポンスは、
その家の「色」のひとつでもある。

だから、自分の「家」の場合は、
自分のレスポンスに関しては、
常にその場での「自分のコンテンツのひとつなのだ」と、
わたしはずっと意識してきました。
両者の会話であって、実は両者だけの会話では、無い。
直接レスポンスをする相手に不快感を与えても失敗なんだろうし、
そのレスポンスを閲覧する人に不快感を与えても失敗なんだろうと。
これが見えた場合は、早めにあやまるしかないだろうなと。
ただ、「家」のポリシーに沿った結果の場合は、
いたしかたないと割り切るしかないこともある。

人の「家」に訪問する場合、
管理者と訪問者の「会話」を閲覧するだけで終わることは
よくあります。
その管理者のレスポンスは、閲覧する場合においても
その場で会話してる人間とだけの会話だとは思っていません。
自分が登場しなくても、
すでに書かれていることで、
「自分の思いの代弁」と感じるケースもあるだろうと思う。
「そうそう」と思えば、
それで、参加しないで終わるというケースもあるはずです。
それでも、形として出ている会話は、
それなりの興味を持って読むことも多い。
「訪問」というのは、けして「参加」だけではなく、
むしろ「閲覧」の方が数は多いものだと思いますし。

他者の「家」で、長文を残す場合、
その「家」の主が、
「自分の意に沿わないことを長々と書かれた」と思うかどうかは
その「家の主」ではないと、実はわからない。
また、「その家の主」を見るために、閲覧している人が
「コイツ迷惑だな」と思ってるかどうかも、
表面上ではわかりません。

「長い」と、家の管理者が思った場合、
「長いよ」と相手に言えるかどうかは、
両者の関係というものが関わってくる。
ただ、その両者の関係というのは、
両者において、意識の誤差が出てくるのはよくあること。
管理者の口を手でふさぎ、管理者が言いたいことが言えない状態で、
訪問者が「人の家で長々と歌う」ということも、
またはその逆も、ケースとしては存在するわけで。

ネット上で「いい人」ばかりが目立つのも、
相手に対して迷惑を感じたときに、
「それをはっきりと口に出すのは難しい」、
ということも関わってると思います。
ネット上でこじれた場合というのは、修復が大変です。
修復回避は、相手に対しての好意という場合もありますが、
イコール好意ではないこともある。
耳に優しいコメントでも、
どこか相手の口をふさいだのではないかと、
考えた方がいいケースもある。
また、はっきりと口に出す人に対して、
そこに悪意を安易に感じることも、
それは軽率な判断だったり、時期尚早だったりすることも
ネット上では多いと思う。

最後は、「見えない相手」に対しての信頼を持つかどうか、
そういうことが関わってくるのかもしれない。
自分としては、基本的なとこで、
相手に対しての信頼は持ちたいと思う。
そうでなければ、ネット上の出会いと会話というのは
難しいよね、ってとこもありますしね。

人の「家」に訪問して、
長い文を残す場合に
「長文ごめんなさい」と言うこと、
これは、わたしは「アリ」です。
少なくとも、わたしの場合においては
「ごめんなさい」は、
管理者と、その「家」の見えない訪問者の両者に対して、
「ごめんなさい」と言っているつもりです。
「ごめんなさい」を言わなくてはいけない線なのかどうかは
管理者でなくては、本当のところはわからない。
だから、とにもかくにも、
相手に対して謙虚な気持ちはあるのだと、
もしも意に沿わなかったら、申し訳ない、と。
そんな気持ちで「長文ごめんなさい」と言うのは、
自分の中ではありますね。

また一般的に、
長文傾向のある人の「家」では、長文は問題なく許可され、
長文を避ける人の「家」では、長文には配慮が必要ということは
あるかもしれないと思います。

えっけんさん「こんなコメント、ちょっとビミョー」
トラックバックです。
ちなみに、えっけんさんのところで
「長文すいません」と言うのは、
彼のところに訪問しながら、彼の要素が見えていない、
そんな意味合いが入ってくるような気がして、
逆に失礼かな、と思うケースでもあります。

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ごめんねぇ (えっけん)
2004-10-17 00:13:54
あの記事、いずれ書き直しますから。

そのときにこの記事がちょっと的外れになったらスイマセン。



でもいいこと書かれていると思うので、引用するかも。
返信する
はえ~よ~~ (S嬢)
2004-10-17 00:21:47
反応、早くてびっくり。

あのね、あの記事読んだ時に、

「一部」で爆笑こいてしまったのだけど。

その後で、わたしが爆笑こいてしまっていいものか

ちょっと考え込んでしまった。

と、コレは、ちょっとした「つぶやき」。

「つぶやき」なので、まあ、さらっと流しておいてちょうだい。



記事、書き直しで、こっちのTBが的はずれになったら、

TB削除してもかまわないよ。

「TB入れました」ってとこだけ

修正すればそれでいいことだから。
返信する
短文すみません。 (Ken)
2004-10-17 03:16:32
短文にもなにとぞご配慮くださいまし。
返信する
Unknown (S嬢)
2004-10-17 09:54:33
かしこまりました。
返信する
Unknown (π氏)
2004-10-18 02:16:42
こんばんは。



なにげに ここのカテゴリー名面白いですね。

>○○さんにトラックバック!

なかなか考えられてあると思います。





で、話変わりますが



長文の件

思ったことだけ軽く。



私は短文しかかけないタイプっていうか 長文かいてると、おばかさんなので文章がめちゃめちゃになるんですよ。

長文コメント、大歓迎ですが、その長文コメントいただいた場合、レスを短文で返すと失礼じゃないかと思ったりするんです。

で、長文すみませんが入ってると、レス短くても許してくれそうな気がするんです。



ま、私は、そう思いつつ、自由にレスつけてますがね。





職場では、落ち着かないので、romのみで

自宅に帰ってから じっくりコメントや、レスつけてます。



やっぱし、長い文章を書いてると、内容があさっての方向を向いて歩き出す・・・。危険だ。
返信する
Unknown (S嬢)
2004-10-18 11:11:19
>なにげに ここのカテゴリー名面白いですね。



「フォルダ」の感覚です(笑)



さて、「長文・短文」の件ですが。

わたしは短文が常態のπさんの「時々長文」、

すごく好きですよ。

リアルの感覚で言えば、

表情で相づちを打ちつつ、じっと聞いてる、

って感じになる、というかね。

で、本人が困ってきた?時点で、合いの手になる言葉を

差し出す会話、というか。

そんな感じ。

味ですわね、味。



>で、長文すみませんが入ってると、レス短くても許してくれそうな気がするんです。



なるほど~~~。

当たり前のことなんだけど、

人間、個性、いろいろ。。。
返信する
Unknown (persempre)
2004-10-19 16:32:21
口触りのよい言葉で、あちこちに短文を残して、あるくより、ここなら、私もコメント残したい、といったときに、じっくり残すほうがいいのか。



それこそ、いつも、ここぞという時の、コメントありがとうございます。



長文歓迎派です。
返信する
Unknown (S嬢)
2004-10-19 17:11:45
自分がしっくりくる選択が、

一番、自分に似合う「服」なんだと思いますよ。



それと、「対話をする相手」というか、

「対話をしたい相手」というのは、

特にあせらなくても、

ちゃんと好機ってのが、回ってくると思ってるんですよ。

好機ってのは、

窮屈な服も、大きすぎる服も着なくていいからラクですよね。



あと、いらしていただいたついでで恐縮なんだけれど。

persempreさん、

おつかれさまでした、

思考はコレだと思っても、

ずいぶん、心が疲れたんではないかと。

暖かいお茶でも、入れましょうかねえ。
返信する
Unknown (persempre)
2004-10-20 08:40:05
ありがとう。 いまでも、あまりスッキリした気分ではないんですよ。



そのうち、忘れるんでしょうけどね。
返信する
Unknown (S嬢)
2004-10-20 18:05:34
persempreさん、

「ショー」が終わったんですよ。

要するに、そういうことかと。



あの方の作っていたもの、

他者の利も、含んでいたかもしれない、

でも、あの方の、あの行為というのは、

あれがそもそも「できる」ということは、

彼にとって、「ショー」的要素があったんでしょう。

本人が、そう、はっきりと意識していたかどうか、

わかりませんが。

意識していたとしたら、逆にできない行為かとも

思いますし。



転用がどうのとか、出どこを書けとか、

そういうことではなくて、

まるでそんなことを誰も疑わないような

そんな状態で、ああいうことをなさるっていうのは、

要するに、「ショー」なんでしょう。



でもね、

観客をなめてはいけませんよね。



persempreさんは、カードを持たされてしまった。

って、そういうことだし、

その持たされたカードに対して、

やっぱり納得のいく、「カードの引き方」をしたと思う。

だから、あれでいいんですよ、

と、わたしは思う。



あとは、彼が再度、persempreさんに手渡したカードに

負けないだけ、かな、と。

persempreさんがすっきりしなければ、

persempreさんの中で、彼はまだ踊ることができる。



観客の大半に向かって、再度「歌って」、

そうやって、「消える」ことは、

あの方なら、できたことでしょう。

でも、そうするよりも、今回のやり方の方が、

ずっと、persempreさんの中で「踊れる」時間は長い。

persempreさんのTB表示、短時間ですからね、

突然消えれば、そのTBを見てない人の中でも、

疑問符と共に、まだまだ「踊れる」しね。



もう、観客になる必要はないかな、と思う。

心の中に、きっぱりと、

幕を下ろしてしまって、いいと、わたしは思いますよ。

あの方、

あの行為からみれば、

「観客を持ちたい」という業が、とても深い。

それにつき合わなくてもいいんですよ、多分ね。
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