テレビの特番等で、「あの人は今」とか、過去の音楽史とか出てきますが。
そういうものに出てこないものでも、時代を彩るものってあったよね。
と、My☆Room「宝物☆」を読みながら思い出しました。
以下、ついてこられない若造、いやお若い方には申し訳ないですが、暴走します。
わたしはジャニーズ系には全く興味を示さない方でした。
しかし、『JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)』は、おおおおお、と言いたくなるくらい懐かしい。
当然、出てきてよくないですか?
アイドル商戦として、失敗してたんですか? 彼らは。
メンバーの「としちゃん」が、その後アイドルとしてジャニーズ事務所が出した「田原俊彦」の「としちゃん」と呼び名がかぶったからですか?
アイドルというものは、時代が人間をおもちゃにするものかもしれない。
アイドルらしい明るい笑顔に人は飽き足らなくなるのか、アイドル量産時代に「不幸を売りにした」、いや「させられた」人がいた。
「伝説」ともてはやされている山口百恵だって、内縁関係の子ども、非嫡出子の立場をずいぶんネタにされたものだった。
正妻が乗り込んできて文句を言ったという場にいたという彼女の生育歴の話は、ずいぶんと明星だの平凡だのといった芸能誌にゴシップではなく、ストーリーとして掲載された記憶がある。
「まるやま~、花街~、かあさんの~」と、「丸山花街母の街」という歌を歌ったのか歌わされたのかの「芸者の子」の三善英史もしかり。
そしてジャニーズ事務所といえば、孤児院育ちを売りにさせられた「かわいそうな星めぐり~」と、歌ったのか歌わされたのかの豊川誕。
豊川誕に関しては、特に検索で見つけたこの文章など読みながら、その哀愁を思う。
同じ時代に「よろしく哀愁」という郷ひろみの歌があったけれど、体育座りで冷えた視線で撮られる写真で「哀愁」を売りにさせられた当時の豊川誕の本当の哀愁なんてものは、ただ時代におもちゃにされただけだったんだろうかと思う。
そんなことを思いつつ、My☆Room「宝物☆」のような文章を読むのは、わたしはやっぱりかなりうれしい。
ジャニーズの歴史に出てこようが出てこまいが、彼らは確実に「時代にいた」し、ファンであることを忘れずにいる人が存在するのはなんかうれしい。
ファンというほどでもなかったけれど、わたしは「としちゃん」が好きでしたよ。
あの、なんか、ジャニーズ系というにはちょっと大人の顔を持った彼が出てくると、妙に視線がはずせないような、そんな感じでテレビ見てたなあと。
自分にとっての「時代の思い出」を彩る、存在した彼ら全てに感謝をこめて。
そして思い出を続々とよみがえらせてくれたMy☆Room「宝物☆」に感謝を込めてトラックバックです。
そういうものに出てこないものでも、時代を彩るものってあったよね。
と、My☆Room「宝物☆」を読みながら思い出しました。
以下、ついてこられない若造、いやお若い方には申し訳ないですが、暴走します。
わたしはジャニーズ系には全く興味を示さない方でした。
しかし、『JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)』は、おおおおお、と言いたくなるくらい懐かしい。
でも、なぜかジャニーズの歴史には出ない彼等。激しく同意。
なんでだー!!?
当然、出てきてよくないですか?
アイドル商戦として、失敗してたんですか? 彼らは。
メンバーの「としちゃん」が、その後アイドルとしてジャニーズ事務所が出した「田原俊彦」の「としちゃん」と呼び名がかぶったからですか?
アイドルというものは、時代が人間をおもちゃにするものかもしれない。
アイドルらしい明るい笑顔に人は飽き足らなくなるのか、アイドル量産時代に「不幸を売りにした」、いや「させられた」人がいた。
「伝説」ともてはやされている山口百恵だって、内縁関係の子ども、非嫡出子の立場をずいぶんネタにされたものだった。
正妻が乗り込んできて文句を言ったという場にいたという彼女の生育歴の話は、ずいぶんと明星だの平凡だのといった芸能誌にゴシップではなく、ストーリーとして掲載された記憶がある。
「まるやま~、花街~、かあさんの~」と、「丸山花街母の街」という歌を歌ったのか歌わされたのかの「芸者の子」の三善英史もしかり。
そしてジャニーズ事務所といえば、孤児院育ちを売りにさせられた「かわいそうな星めぐり~」と、歌ったのか歌わされたのかの豊川誕。
豊川誕に関しては、特に検索で見つけたこの文章など読みながら、その哀愁を思う。
同じ時代に「よろしく哀愁」という郷ひろみの歌があったけれど、体育座りで冷えた視線で撮られる写真で「哀愁」を売りにさせられた当時の豊川誕の本当の哀愁なんてものは、ただ時代におもちゃにされただけだったんだろうかと思う。
そんなことを思いつつ、My☆Room「宝物☆」のような文章を読むのは、わたしはやっぱりかなりうれしい。
ジャニーズの歴史に出てこようが出てこまいが、彼らは確実に「時代にいた」し、ファンであることを忘れずにいる人が存在するのはなんかうれしい。
ファンというほどでもなかったけれど、わたしは「としちゃん」が好きでしたよ。
あの、なんか、ジャニーズ系というにはちょっと大人の顔を持った彼が出てくると、妙に視線がはずせないような、そんな感じでテレビ見てたなあと。
自分にとっての「時代の思い出」を彩る、存在した彼ら全てに感謝をこめて。
そして思い出を続々とよみがえらせてくれたMy☆Room「宝物☆」に感謝を込めてトラックバックです。
誰かの記憶に残ってるってわかるだけでうれしくて(親戚でもないのに♪)。
大好きだったメンバーが実は2年前に亡くなっていて、傷心でファンサイトを見つけたのをきっかけにファン熱が再燃したんです。そこからインターネットの世界が広がって、サイトでの交流や、いろんなHPに行ったり、自分でブログ参加するようにもなって。そういう縁をもたらしてくれた彼等はわたしにとっては
今でも大事なアイドルです。
こんな書き方じゃ引いてしまったかしら…?
仕事や家庭で行き詰ったときの、ココロの逃げ場かな?
すてきなトラックバックをありがとうございました。
また、おじゃまします。
どうぞ、よろしく。
追記:としちゃんは今、ダンススクールの師匠です。
それでは、タイトルにびっくりされたんではないかな、なんかはまりすぎで。
わたしは甲斐バンドファンだったんですよ。
去年の7月に甲斐バンドのギタリストだった大森さんが亡くなられて。
そのちょっと後に追悼記事入れたんだけど、いまだにgooのアクセス解析の検索ワードのトップ20に「大森信和」入ってますね、毎日。
毎日、毎日、ネット上のどこかで検索入れてる「誰か」がいるわけですよ。
「わたしはあなたを忘れない」ってことなんだろうな。
そういう意味でも、やっぱりネットってすごい。
インターネットが無い時代は、「知らない、わからない」で終わりですものね。
でも今は、誰かがネット上にぽんと情報や思いを入れてくれる。
その情報や思いを見つけて、また思いをはせる。
そういうのって、素敵だと、わたしは思います。
「あなたのために書いた記事をトラックバック」って、渡した人に嫌がられるものを出したら、もう大失敗なわけで。
喜んでいただいて、ほっとしてます、ありがとう。
としちゃんのダンススクール、ちょっとのぞいてみたいです。
アイドルとして出た人が、時代におもちゃにされた「残骸」として「余生」を生きていくのか、その時代の「収穫」を自分で生かして生きていくのか。
その辺、難しいとこもあるんだろうなと思う中で、ダンススクールの師匠というのはうれしいですね。
ドキッとするくらい。
>時代におもちゃにされた「残骸」として「余生」を生きていくのか、その時代の「収穫」を自分で生かして生きていくのか
うなずいて読みました。
としちゃんは、まさに後者ですね。ほかのメンバーも自分の道を歩んだのでそうだと思ってます。
参考までに
としちゃんのダンススクール「リズミックス」のHPです。
http://www.hpmix.com/home/rhythmix/
プロフ見て、そうそうそうと思ったこと。
記事文中に書こうと思って、記憶が不確かで事実と違ったらヤバイのでやめたこと。
いや書いて消した。
「としちゃん」って「としちゃん」のバックダンサーやったんですよね。
これ、やっぱり記憶正確だったんだなあって思った。
彼、ダンスうまかったですよね。
なんというか「アイドルダンス」じゃなかった。
少年隊の「ヒガシ」も、ダンスうまかったですよね。
わたしは歌番組で少年隊が出てくると「ダンサーとしてのヒガシ」を目が追いまくってましたね。
リズムの裏でおさえる振りがいつも完璧だった。
あとの二人はアイドルのステージングでこういうとこ、見事に誤魔化してたんですよね。
「リズミックス」のクラス、
自前のスタジオじゃなく、公的施設を使ってて。
この辺見て、ああ彼も苦労したんだろうなあ、なんて思いました。
しあわせでいて欲しい。
たくさんの女の子をしあわせにしたんだからね。