今日は娘の学校の修了式、明日から春休みです。
なんか、とても清々しい気分で、修了式の日を迎えています。
清々しい気分で迎えているのは、やはり娘の自力通学が完成した形で、年度最後の日を迎えられたこと。
娘が生まれた13年前、ダウン症の告知を受け、この記事であげたように、わたしはずっと彼女の「生きる力」と「生きる楽しさ」について考えてきたように思います。
目先の「何ができる」ということではなく、「生を満喫する大人」になって欲しいということ。
目標がとても長期的なものだったので、すぐに自分の目標のために積み上げるものの効果というフィードバックが得られるものではなかった。
でも、ここに来て、13歳という年齢、そして「ひとりで電車に乗って乗り換えをし、学校に行く」ということが習慣化された今、本人がつけていく自信・自尊心を感じると、ものすごく大きなご褒美をもらっているような感じがします。
そして、自分が当初考えていたよりはるかに、この自力通学の完成が、本人にとって果てしない可能性をもたらしていることも感じます。
娘にルートをそばについて教え、1人で行動する経路を少しずつ増やし、隠れて見守る。
娘を送り出し、別ルートで先回りをするために時には坂道を全力疾走でかけのぼり、電信柱や塀の陰に隠れながら。
他家の生垣のすみに身を隠すためにかがみこみ、不審者と通報されたらどうしようなどと思ったり、犬に吠えられたり、まるで未熟な探偵のような行動を重ねました。
娘の入学準備をする中で、自分のための入学準備はナイキのシューズとたくさんの音楽。
そしてN505i と P-doco?mini。
新品だったナイキのシューズは、底も減り、ずいぶんと使い込まれた印象の靴になりました。
隠れて歩きながら聞いた音楽の数々は、「この曲を聴くとイメージで出てくるのはあそこの交差点、ここの道」というものになっているのも、ちょっと笑える副産物。
耳に流れる音楽のための機器も、MP3が聴けるポータブルのCDプレイヤーからV602SHに変わったりしつつ、プレイやんの登場に大喜びしたり、ヘッドホンを新調したり。
こんなことも楽しい副産物。
とっても満足。
「よくやったぞ、自分」
と、いう、自画自賛。
なんか、とても清々しい気分で、修了式の日を迎えています。
清々しい気分で迎えているのは、やはり娘の自力通学が完成した形で、年度最後の日を迎えられたこと。
娘が生まれた13年前、ダウン症の告知を受け、この記事であげたように、わたしはずっと彼女の「生きる力」と「生きる楽しさ」について考えてきたように思います。
目先の「何ができる」ということではなく、「生を満喫する大人」になって欲しいということ。
目標がとても長期的なものだったので、すぐに自分の目標のために積み上げるものの効果というフィードバックが得られるものではなかった。
でも、ここに来て、13歳という年齢、そして「ひとりで電車に乗って乗り換えをし、学校に行く」ということが習慣化された今、本人がつけていく自信・自尊心を感じると、ものすごく大きなご褒美をもらっているような感じがします。
そして、自分が当初考えていたよりはるかに、この自力通学の完成が、本人にとって果てしない可能性をもたらしていることも感じます。
娘にルートをそばについて教え、1人で行動する経路を少しずつ増やし、隠れて見守る。
娘を送り出し、別ルートで先回りをするために時には坂道を全力疾走でかけのぼり、電信柱や塀の陰に隠れながら。
他家の生垣のすみに身を隠すためにかがみこみ、不審者と通報されたらどうしようなどと思ったり、犬に吠えられたり、まるで未熟な探偵のような行動を重ねました。
娘の入学準備をする中で、自分のための入学準備はナイキのシューズとたくさんの音楽。
そしてN505i と P-doco?mini。
新品だったナイキのシューズは、底も減り、ずいぶんと使い込まれた印象の靴になりました。
隠れて歩きながら聞いた音楽の数々は、「この曲を聴くとイメージで出てくるのはあそこの交差点、ここの道」というものになっているのも、ちょっと笑える副産物。
耳に流れる音楽のための機器も、MP3が聴けるポータブルのCDプレイヤーからV602SHに変わったりしつつ、プレイやんの登場に大喜びしたり、ヘッドホンを新調したり。
こんなことも楽しい副産物。
とっても満足。
「よくやったぞ、自分」
と、いう、自画自賛。