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S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

ご注意、ご注意

2005年09月30日 | つぶやき
「こちら宅配便の配送センターですが」という電話。
「ご近所の○○さんが、いつ配送してもお留守なので、ちょっと○○さんのことについてお聞きしたいのですが」
「○○さんは、こちらにお住みでしょうか」

丁寧な、いかにも電話営業が板に付いた女性の声。

「どんなお名前を名乗られても、突然かかってきた電話で個人情報に関わることをお答えできません」

「こちら、宅配便の配送センターなんですよ、疑われましても、困ります。
 では他のご近所の方にお聞きしますのでけっこうです、失礼します」

なんなんでしょう、いったい。
すぐに該当の○○さんちにお電話。
このお宅、数日前に高齢のおじいちゃんの葬儀が終わったばかりなんですが、それでも宅配便が迷子になるような長期の不在は無いし、宅配便の不在通知など一件も来ていないと。
「他の方に聞く」と言っているし、とても巧妙な感じだったので、注意してくださいとお伝えしました。

最近、巧妙な言い方で個人情報を聞き出そうとする電話が子どもがらみで増えていて、「どんな言い方をされても絶対に答えないでください」と、学校からお便りが何度も出る。
教育サービス関連なのだそうだけれど、数年前にうちにかかってきたことがあるのはこんな感じ。
「役所のなんとか」と名乗り、自分のミスでわからなくなったのだけれど、お宅のお子さんの○年生のときの同じクラスだった○○さんや××さんの電話番号がわかりますか?」と、なんだかとても困ってしまった風を装う。
「学校に聞いてください」と言って、電話を切ったのですけれどね。
「役所のなんとか」なら、当然学校名や連絡先がわかるはずだろ?と。
翌日校長に言うと、いわゆるお決まりの手口だと。
低学年の名簿が入手しやすく、それを頼りに中学年以降の情報を入手するためのものだそうだ。

今回の「ご近所の○○さん」のお宅は、お子さんは成人されていて、子どもがらみなんぞ、全く関係ない。
今度は何が目的なんだ、と、とても不気味。
生き馬の目を抜く世の中だ。

再会

2005年09月28日 | つぶやき
今日は娘の心臓検診でした。
生後3ヶ月時の手術・退院後、最初は数日後から始まった検診が2週間に一度になり、数ヶ月に一度になり、一年に一度になり、そして二年に一度になったもの。
心電図とレントゲンを撮り、そして診察。
心電図にもレントゲンにも異常は見られないけれど、心雑音は残っていると。
ただし、運動制限も無く、日常生活にも問題ナシ。

検診に関して必要性を質問。
通常の心室中核欠損症の手術は「根治手術」であり、術後は「治った」と解釈。
検診を必要としない例の方が多い。
ただしあなたのお子さんの例に関しては、肺動脈による気管の狭窄があり、手術を受けた病院の○○先生から「丁寧な検診を」との申し送りが紹介状に明記されている例。
今後、18歳以降は、小児専門病院であるこの病院からは卒業してもらうが、心臓に関してや健康全般に関しての記録を残していく「かかりつけ病院」を持った方がいい。
今後どんな治療をしていく時でも、心臓の病歴があると、そのことにこだわる医療従事者もいるので「問題無い」という所見がすぐにとれる態勢でいた方がいいと思う。
ダウン症の仲間内で心室中核欠損症の術後にこんなに丁寧に心臓検診を受けている例は少ないので、この話になんか納得。
前住地の手術を受けた病院の循環器内科の主治医の紹介状は、その内容に力のあったものらしいと勝手に解釈。
今は健康に問題は無いけれど、心臓に関してかかりつけ病院を持っている安心感は確かに大きい。
術前の検査で、異常のある心臓が血管に異常をきたし、その血管の異常で片側の気管がぺったんこにつぶれていると、ペンで紙に図示しながら教えてくださった日が今は懐かしい。

今までに何度もやっている検索。
手術を受けた病院の、この紹介状を書いてくださった主治医の名前での検索。
わあ、すごい、こんなことがあったのね。
主治医とこの病院の院長の責任編集で、新しい小児外来の教科書を作ったそうだ。
●清瀬小児病院の総力で教科書刊行
写真だ、写真だ、写真だ、写真だと、大コーフン。
8年ぶりのお顔拝見だ。
愛しの恩人は左です、左。
死の危険すれすれをけして「死の危険」とは言わず、「低空飛行」という言葉を使った主治医。
「深刻な状態」とは言わずに、「まだ、会わせたい方に早急に連絡をという状態には達していません」という言葉を使った主治医。
こんな小さなことって、実はとても大きい。
ていねいな説明の繰り返しを受けたわたしは、今でも心臓の図が書ける。
小児科医が減少していく中で、存在価値のある教科書を作った主治医に、勝手に誇りを持つわたし。
しかしこんな高額な専門書を、わたしが「ちょっと読んでみる」こともできないのだが、ありがたいことにネット上でこの「教科書」の序文が読める。
実践で役立つ小児外来診療指針

主治医の功績が、小児医療の明日を支えていけますように。

「嘘」

2005年09月24日 | つぶやき
もう、数年前のこと。
夜、電話が鳴りまして。
深刻そうな声で、「わたし嘘をついていたんです」と。
「んん?」

いや、その日の日中、何人かで彼女の結婚のなれそめなど聞きつつ、ノロケがかわいらしくてからかいまくっていたんですが。
「嘘」とは、知り合ったのが「バイト先」ではなく、「就職先」だったと。
「バイト」ではなく「正社員」だったと。
この彼女、中卒だったんですね、要するに。
そのこと自体は自分では納得していることなのだけれど、そのことで他者の余計な関心を引くのが面倒で、ついそれがわからないように嘘をついてしまう、と。
でも「お世話になっている」ので、嘘をついたという思いに耐えられなくなったのだと。

笑止。
語りたくないことは語らなくていいという自由が人間にはあるのだよ。
それを語らなくちゃならなくなるきっかけが出ることを避ける「嘘」なんてものは、自分に許してやってもいいのだよ。

と返答しつつ、「思いつめた声での電話」という部分をありがたくありがたくいただいたのだけれど。
わたしは、この彼女の「10代の経験」の話が好きなので、その背景になる「学歴」自体はそのことを解釈する情報でしかないということが、相互で確認できたという要素もあったなあと。

娘がまだ小さい頃、連れて歩くときに話しかけられる言葉。
「何ヶ月?」
いや、頻繁にこう言われる時点で、「何ヶ月」ではなく「歳」なんです、「歳」。
言えば、相手、固まります。
大きさとしても発達としても「歳」とはとうてい思えない現状でしたから。
言えば、障害に関して語らなきゃ、その場はおさまらなくなります。

最初はいちいちまともに答えて、驚きのどん引きに丁寧に対処し、娘の状況なんぞを答えたりしていたんですが。
だんだんめんどくさくなった。
「7ヶ月くらい?」と聞かれりゃ、そうですと答える。
「10ヶ月?」と聞かれりゃ、そうですと答える。
「まあやっぱり」なんていううれしそうな顔を見ながら、まあよろしいんじゃないかそれで、なんて思ったり。
そう、「7ヶ月」とか「10ヶ月?」って言葉が妙に記憶に強く残っているので、多分、1歳半から2歳くらいの頃のことだと思います。

3歳下の息子が生まれたら、今度は「あら、双子ちゃんよ」と言う声かけが多くなる。
(双子じゃね~よ)
でも、そう言えば結局、展開は同じ。
「3歳ちがい」と答えれば、相手の驚きのどん引きは簡単に推測できた。
もうこの頃は、どーでもいいよの心境だったんで、相手が言うままで放置。
「双子ちゃんですか?」と聞かれれば、曖昧な笑みで返す。
相手は「勝手に」肯定と取り、それだけのこと。

まあ、このくらいの「でまかせ」なんぞ、罪も無いことよ、と思いつつ、どこかに引っかかっていく部分というものは、多分「正直に言えないようなことなのか」っていう自問自答が関わってくるからなんでしょうね。
でも、関わる相手によって「嘘」も含めて、対応を変えてもいいんではないかと思うのが結局の結論だった。
相手の反応に、いちいちいちいちつき合わなきゃならんことから解放される自由だって、あるよねって思う。

まあ、こんな「通りすがり的相手」に対しての嘘っぱちなんぞは、自分が割り切ってしまえば楽なんですが、難しいのは「中途半端な仲の人間関係」だと思う。
自分が「ちゃんと言いたい」と思う相手には、迷わずに「言う」っていう展開もあるし、迷ってから「言う」というケースもあるだろうと思う。
ただ、そんなときに「視点」として持つ部分。
「嘘」をまぜるときに、問われているのは「自分」というケースももちろんあるのだけれど、問われているのが「相手」って場合だってあって、実はこっちの方が多いんじゃないかとも思う。
まあ、そういうときは、「正直な展開」じゃなくたって、別に罪もあるまいと思う。
どこまで相手に理解されるのか不透明と思いつつ、言葉を尽くしていくのも面倒なときは非常に面倒だ。
話すことを「迷う」部分を抱えているってこと、相手が全て引き取って救ってくれるわけでもないのだし、相手の解釈に誤解があれば、それを解く努力もまた、しなくちゃならなくなっていく。
現実的なとこで言えば、「嘘をつく」か「つかない」かは、現実的な対処として相手に「情報」を与えることが必要不可欠かどうかって、そういうポイントが分かれ目になってくるのではないかと思うのが、個人的な見解。

*トラックバック
 嘘をついた/明けぬ夜の夢

フィクションとメッセージと

2005年09月11日 | つぶやき
現実では起こりえないこと、起きるという可能性が少ないこと、現実で起きる可能性を含めたことを意図的にふくらませたこと。
そういう設定というもので、フィクションというものは現実の中の真実、または制作者が真実ととらえるものを表現する。

ドラマ「女王の教室」では、教師の「女王」の態度や主人公に起きてくる出来事に震撼とするが、それはフィクションであるということを知っているために、衝撃の疑似体験をしても、それは疑似体験を超えるわけではない。
しかし疑似体験をしているからこそ、その体験の先に見えるメッセージを受け取ることができるのだと思う。

フィクションとしての設定が刺激的なら刺激的なほど、「その先のメッセージ性」はしっかりしていなければならないし、逆にその刺激的な設定は刺激的なら刺激的なほど、作り手側の「その先のメッセージ性」を投げる欲が強いとも言えると思う。

「女王の教室」を見ていると、1993年放送のドラマ「高校教師」を思い出す。
「高校教師」は、「人を愛する」ということ、そのことについてのメッセージを提供するために、いくつもの刺激的な設定をその世界に存在させた。
その設定に観衆が震撼とすればするほど、メッセージはとぎすまされていく。

それがフィクションの持つ「力」なのだと思う。
観衆を震撼とさせる「設定」、それは手法のひとつなのである。
「実話を元にしたフィクションです」
これも「その先のメッセージ性」を手渡す手法のひとつなのだけれど、実話に頼りすぎるフィクションの方が、ずっとあざとい。

*関連リンク*
 女王の教室
 高校教師(1993TBS金曜ドラマ)

*関連記事*
 話題のドラマ

「読書」と「本」と

2005年09月10日 | つぶやき
本というものをよく買う人を見ると、(それ読んだらどうするんだろう)などと思う。
本ってものは、とにかく置き場所を食う。
それでいて、なんというか、処分に困る。
捨てられないぬいぐるみのようなものとちょっと似てるかな。
とらえ方ひとつなんだけれど、魂が存在していると思っちゃえば思っちゃえるものなので、ゴミにできにくいというか。
そして「読書」というものに余計な地位を与えようとすると、これまた本というものは処分できなくなる。

わたしは本というものの「処分する必要性」というものに最初にぶち当たったときに、「読書というものはひとつの娯楽であり、書籍購入にお金を使うというのはひとつの道楽である」という結論に達したのだと思う。
娯楽のひとつに余計なステータスを与えようとすると、まあろくなもんでもなくなるしなあとも思う。
小説なんぞひとつも読まなくたって、その生き方考え方が「文学」している人だっていっぱいいるし、哲学書なんぞこれっぽちも見たことがない人が、個人としてすばらしい「哲学」を持っているなんてことだってそれこそ腐るほど例がある。

読んだ本を「返してしまえる」図書館は好きですね。
新しい町に住むときに、近くに図書館があると、なんというか落ち着くというか。
近くに図書館があると、再読したいときに気軽に「出しに」行ける。
現在の町に転居してきたときに、わたしはかなり早いタイミングで最寄りの図書館の「本棚」を確かめに行った、今までの町の最寄りの図書館に「置いてある」という感覚で存在していた図書が存在してるかどうかを。
今はインターネットで家にいながらにして、図書館の蔵書確認なんぞができる、とても便利。

それと、古本屋も好きです。
古本屋で買った本は、すでに最低でも二人の所有者を持った歴史を持ち、「商品」としても複数回の価値を持ったといえる「物」。
処分しようと思うときに、一冊の本に対して「あなたの役割は充分終えたよね、もう」と思えるというか。
わたしは古本屋で買った文庫本を読了後「捨てた」のが、書籍を「捨てた」という経験の始まりだった。
また、古本屋の書棚というものを「信頼している」ところもある。
ただ売れただけの本は別棚かワゴンにほうり出され、その書店主によってなんらかの「商品価値」をつけられるものが奧の書棚に並ぶ。
一般書店に並ぶ本よりも「誰かが一度買い」、そして「古本屋の店主のフィルターを通して」商品として存在する。
そういう感覚を持って眺めるのもまた、古本屋が好きなところでもあります。
出先で古本屋を見つけると、どうしても入ってしまう。

困るのは、障害系の書籍。
初版本で絶版になるものが多く、図書館でもそうした本を網羅して購入するわけではない。
本屋で中身を確認しながら、「ここで逃すと二度と読めないものになるかどうか」丹念に確認する。
「賭け」みたいなとこ、あるんですよね。
「負けた」ことも数知れず。
たいがい、こうした本は高いんですよね、だから負けると口惜しい。
ただし、障害系の書籍に関しては、ぶどう社の本はかなりの確率で、はずれない。
こうした「意志のある出版社」の存在というものは、書籍文化の中で存在の意義が大きいなあなどと素朴な感想。
もちろん初版本で絶版になるものもあるけれど、図書館に並ぶ確率が大きいので、それもまた、ありがたいです。
ぶどう社の本は、購入すると中にハガキが入っていて、そのハガキを使って書籍を注文すると、送料無料で配達してくれるので、なんというか「貴重な金券」が入っているようなものだったのですが、現在はネットや電話・FAX等での直接注文で送料・振込手数料無料で配達してくれる、非常にありがたい出版社になっています。

最近噂の「白いヤツ」

2005年09月04日 | つぶやき
先日、ポケモンフェスタ横浜に出かけたときに、クィーンズ・スクェアについでに立ち寄り。
このクィーンズスクェアでは、中央の通路にいろいろなワゴンが並んでいるところがあって、そこには革製品だのガラス製品だのシルバーアクセサリーだの携帯アクセだのといった類のちょっとした、そしてリーズナブル価格の個性的な雑貨やアクセサリーの販売がされていて、実に楽しいところ。
その出店の中に「チャリティー・ブレスのワゴン」を発見。
赤だの青だの黄色だのピンクだのといったラバー製のブレスレットで、ひとつひとつにどういったことに支援する意思表示をするものなのかという簡単な説明が書いてあった。
うろ覚えなのだけれど、ピンクが乳ガン支援で、赤が自閉症児支援というように書いてあった。
あと、色は忘れたけれど、癌患者支援というようなものもあったと思う。
赤にはちょっと興味を持ったけれど、支援される団体が外国のもので、外国の団体なんだから当たり前かもしれないが聞いたこともないものだったので、ふーんと。
(後でネットで検索すれば、正確なとこはわかるだろう)と思ったものの、調べても結局のところ、よくわからなかった。

わかったことは、チャリティーブレスだのチャリティーバンドだのなんだのと、いろいろな言葉がネット上で存在していることと、どうやら、こういったある種の活動に対して支援という意思表示を目的としたラバー製のカラーブレスを身につけることが流行り始めているのかな、ということだった。

また、検索でこんな販売サイトを見つけてふむふむと。

そういった数々のラバー製のカラーブレスの中で、最近の「白いヤツ」の扱いは、なんというかネット上で異常な突出ぶりだなあとも思う。
これは「9月10日」ということを前にしての盛り上がりなのかもしれないけれど、ちょっと解せんというところも。

思い出すのは「レッドリボン」。
これが初めて日本に紹介されたときに「『赤いリボン』は、どんなものでもいいんです。わざわざ買わなくても自宅にあるもので充分可。サイズは不問、ただ端っこが交差するように折ったものを体のどこにでもいいから見えるように身につければいいだけ」という説明のインフォメーションがあったことを記憶していて、その簡単な意思表示を12月1日の世界エイズデーに向けてということだったと思う。
ひとつの姿勢に対しての意思表示ということを、個人が自由にできる範囲で形として身につけるということの自然な運動に、なんというか納得させられる要素があったなあと思う。
そして「ピンクリボン」。
これも少しずつその運動が認知されて来始めていて、ピンクのチャリティーブレスを見たときに、一番最初に納得したものだったなあと思う。

最近のネット上の話題の「白いヤツ」は、なんというか、よくわからない。
公式サイトを見ても、わたしの頭が悪いのかなんなのか、よくわからない。
ただひとつ、はっきりとわかっていることは、わたしはラバー製のブレスは、アクセサリーとして嫌いなのでしないだろうということ。
アクセサリーに金をかけるほど金持ちではないけれど、指も腕も首も自分の好きなものを身につけたいという意味では自分にとっては重要な体の部位であって、自分が好きじゃないものを身につけるというのは指も腕も首もイヤってのだけは、とってもはっきりしていることで。
意思表示を形に表すということは、レッドリボン運動の紹介で知ったような、個人が自然に自由な形で身につけるというやり方の方が、自分にとっては価値観に近いというか、理解しやすいものであるということ。

そんなとこ、かな。

*参考リンク*
【NGO】日本版ホワイトバンドの問題点/Badlands 〜映画と芝居と音楽と〜

「叱る」と「怒る」と「生活」と

2005年09月02日 | つぶやき
子どもに対して「叱る」と「怒る」
なんというか、マニュアル的な育児書が喜びそうなテーマだと思う。
頭で考えれば、「怒る」より「叱る」方がいいに決まっている。
「怒る」というのは、感情に任せて叫ぶといった、子どもに対して「軽い虐待」のようなイメージを持つところも無きにしもあらずだし、だいたい親というものにならない立場で見てみれば、公共の場で見苦しく「怒る」親を光景として見過ぎていると思う。
そういう光景を見ると、たいがいの人は思う。
ああ、見苦しい。自分が親になった暁には「叱る」親になりたいものだ。

しかし。
子どもと、特に幼児期の子どもと日々対して、「怒る」ということをセーブできる「人格者」はどのくらいいるだろうかと思う。
幼児と日常の生活の中で一緒に暮らし、見えてくることは非常に単純なことだ。
「あの人は子どもだ」という表現は「人間が未熟だ」という意味で使う言葉だということ。
つまり人間性が未熟のカタマリといっしょに暮らすということは、「叱ると怒ると」なんてことを考えるような余裕をぶっ飛ばしてくれるということだと思う。
「なんで一回で言うことを聞いてくれないんだ」なんてことは当たり前中の当たり前、全くもって日常茶飯事だ。
余裕があれば、「あらあら」なんてことで済んだりもするけれど、日常生活なんてものは、「あらあら(にっこり)」なんかで済みやしない。
「ぎゃ~~~」というときに、こっちの虫の居所ってものだってある。
それが「生活」というものなんだと思う。

人間とまみれて暮らすということは、相手の行動に影響を受けながら暮らすということで、それは大人同士が一緒に生活しても起きうることであって、しかも相手が「人間が未熟」なら、すこぶる当たり前のことだと思う。

子どもとの生活の中で「怒る」という感情的な部分があったとしても、それは「叱る」という教育的な態度を放棄するということとイコールじゃない。
子どもを愛し、慈しみ、わかりやすく教育的に諭すということ、それと併行して、「子ども」というヤツらに対して「ぶち切れる」ということが存在する可能性があるのが、育児というものなのだと思う。

冷静に「正しい優しいおかあさん」になりたいと思ったって、そうした「感情」は発生してしまう。
つまり「止めようとしたって止まらん」ってことがあるのが「生活」なんだと思う。
そしてそれと同じように「止めようとしたって止まらん」のが「愛情」でもある。
その「止めようとしたって止まらん」愛情が、子どものことを考えて「教え諭す」ことを上手にできたり、上手になるように熟達していったりするものだと思う。
子どもを生んで育ててみて、わかったことは、町中で見る「子どもを怒り散らす母親」を見ても、それはその人達の生活の「一部」なのだということ。
「一部」ではあるけれど、「一部」でしかなく、その「一部」で全てを安易に想像しても、実はそう簡単には全てを想像しきれるものではないということだと思う。
「親業」というものは、そんなに簡単に「一部」で査定されてしまうほどには、底は浅くない。

子どもは「預ける」と、かわいい。
保育園や幼稚園といった場に初めて日中の時間を託したとき、迎えたときの「ああかわいい」という湧き上がる実感を経験したことがある母親は多いだろうと思う。
父親よりも母親に対して、感情的に怒るというマイナスイメージが一般的に持たれるのは、実はここに秘密があるのではないかと思う。
当たり前のことなのだが、母親は一定期間、子どもに全てを奪われる。
密接過ぎて、余裕が無い。
このあたりの感覚は、同じ子の親としての「父親」よりも、他の家庭の「母親」が「育児を共感する同士」として選ばれることにもつながっている要素だと思う。
就園前の子どもに対して「かわいい」と思うならば、極端なことを言えば「父親は子どものゴキゲンを取るよりもニョーボのゴキゲンを取る」方が、子どもの育児環境は向上する場合すらあると思う。

そしてこうした「未熟のカタマリだぞぉ」という過程を通り、親の感情を揺らしまくって育つのが「子どもの発達」ということで言えば、実に不利なのが「ダウン症児のきょうだい児」だと思う。
なんつったって、ダウン症の子はかわいい。
どこがかわいいって、彼らはすこぶる「親に甘い」。
親が子どもに甘いのではなく、ダウン症の子が親甘いのである。
ダウン症といっても、その個性は個々いろいろではあるけれど、一般的に大きく言って、彼らは平和主義者である。
生活の中で「怒る」というような感情が発生しても、こっちの気持ちの核心をついてくる笑顔を、すばらしいタイミングで投げかけてくる。
そのそばに、ぐずぐずとオノレの感情と不機嫌の終結をできない子どもがいたら、もうこれは不利以外の何物でもない。
ダウン症のきょうだい児のハンディというものを考えるならば、そのハンディはまず家庭から発生しているという自覚が親に必要だと思う。

*トラックバック*
怒る事、叱る事 / ひとりごと

*追記*
なぜか、トラックバック送信ができません。
ってことで↑の「トラックバック」は「トラックバック」ではなく「トラックバックしようと思った記事リンク」ということで、よろしくです。

「感動ドラマ」に仕込まれる「犠牲」

2005年08月31日 | つぶやき
「小さな運転士 最後の夢」
このワード検索でこの記事に訪れる方が多い。
これは予想していたことではあったのだけれど、意外だったのは「押し寄せる共通ワードのみのトラックバック」が無いこと。
半ば覚悟し、どう対処するかなど考えていたのだけれど、「たったひとつのたからもの」のときのような「大量トラックバック」の餌食にはならなかった。
ドラマの話題性の違いなのか、去年の秋とはトラックバックの扱い方に変化があるのか。

さて、この記事に受信したトラックバック、24時間テレビスペシャルドラマ「小さな運転士 最後の夢」 (atelier F.F.)
この記事には、このドラマの、ドラマをドラマとして成立させるために犠牲にされたものが書かれている。
ドラマをドラマとして成立させるために犠牲にされるもの。
そのことが存在していることを、この手のドラマを見るときに、わたしはすでに「了承」して観るという意識ができてしまったのだなあと。
そんなことを今回のドラマを観ながら思っていた。
「ツッコミどころがあっても、主旨が流れていれば目をつぶる」という姿勢の定着化、というか。
自分があげたこの記事には、意識してそれを省いた。
その理由は、当事者ではない、という意識が働いたからだという部分もある。
自分が言いたいことと、「ドラマをドラマとして成立させるために犠牲にされるもの」という、主旨の二本立てにしたくなかったこともある。
でもこのトラックバックを受信して、「やっぱりなあ」というのが、なんというか、実感だった。
ドラマを観ながら、(彼女が観たら各所で口をへの字にするだろな)ってのは、実は思ってた。

拡張型心筋症。
このドラマの主人公の疾患であるこれは、主人公の母親のもつ疾患でもある。
医療的支援を必要とする出産は、世の中には山ほどあるわけで。
そうした人が存在し、そうした人に対しての「周囲の人間」は存在する。
こうした方々が「あれぇ」と思った部分があっただろうなという中で、トラックバック記事でもふれられているが「最大の?」は以下の部分。

心疾患を持つことで出産の危険を言われる中で、出産を選んだ女性。
予定より早く陣痛が起き、自家用車は無く、タクシーはつかまらない。
ドラマの中の「母親」は「救急車を呼ぼうという父親」に「救急車は使っちゃいけない」と制止して、陣痛中に電車に乗って病院に向かう。
「主人公の子どもを生むときに江ノ電に乗って病院に行った」というエピソードは、これで成立する。

「主人公の子どもを生むときに江ノ電に乗って病院に行った」
これ、そんなに大事なこと、なんですか?
これを出すときに、「救急車を使っちゃいけないんだ」という記憶をドラマを観た人に残させる危険って、考えないんですか?
そうした緊急時に危険な目に遭わなくてはいけないのは、自分の体をわきまえずに無理な出産を希望した人の「自業自得」と取る人を生み出す可能性というものを考えないんですか?

別に「都合の悪い事実を隠せ」と言っているわけではない。
でも、当事者、もしくは当事者に近い人間、出産に関わる医療従事者の方々が、果たしてどこまでこの「エピソード」を「事実」と信じるか、かなり疑問です。
また「実話を題材にしたフィクションです」というテロップを見ても、視聴者はどこがその「フィクション」なのか、判断する材料を持ちません。
事実、なんでしょうかねえ。
事実だとしたら、なぜ、「救急車を使わなかったことを叱責する人間」が、医療従事者として登場しないのでしょうかねえ。

人の命というものを題材に扱う「感動ドラマ」には、感動を盛り上げるための犠牲が、演出として入る。

これが、ドラマを観る人の「共通認識」として、常識化される必要というものがあるかもしれない。
そんな共通認識を持たせなくても、充分「感動ドラマ」は作れると思うんですけどねえ。
残念です。

息子とピアノ

2005年08月30日 | つぶやき
娘と息子と、ピアノを習っています。
何年くらいになるんだろ、6年くらいかなあ。

習わせるきっかけになったのは、近所に知的障害児の生徒さんをたくさん持つ先生がいる、と聞いたこと。
近所にあるというのは、これは「縁」だろうな、と。
知的障害児の奇蹟の演奏者なんていう「話題性」を持つこともない程度の「習熟度」ではあるけれど、娘は非常に楽しんでいる。
すごいなと思ったのは、娘にきちんと楽譜を読むことを教えていったこと。
でかいサイズに書き写された楽譜の音符を読みながら、娘は稚拙にピアノを弾く。

息子は、はっきり言って「ついで」です。
本人が「不公平感」を持たないように習わせることにしました。
最初はやはり「ちぃちゃんばっかり」にならないことに満足していたのですが、すぐにネを上げました。
「やめたい」と。
練習嫌い、そしてお稽古のときもうまくいかないとヒスを起こして泣くことも多かったです。
本人がわかって選んだお稽古事ではなかったのにもかかわらず、わたしはやめさせませんでした。
なんでか~っつうとね、この先生が、わたしとは違う「育て方」をする人だったからです。
わたしは「本人の意志尊重タイプ」で、「がんばることはアンタが決めろ」タイプです。
急がずにゆっくり見守るとも言えるが、甘い、とも言う。
この先生は「指導者型」です、本人を泣かせても、追い込む。
人間、「育つ」というときに、いろんなタイプの人に「まみれる」必要があると、わたしは思っています。
これは、娘が障害をもつということで、その支援として早くから「チームで子育てをしてきた」ことに対してのメリットの実感でもあります。
この先生には、「育てるということに協力してくれ」と依頼し、ピアノの習熟に関してはわたしは「知らん顔」で、定期的にこの先生と過ごす時間に金を出し続けてきたわけです。
幸いなことに、「やめたい意志」はありますが、「行きたくない」は言わない。

練習嫌いですから、ちっとも練習などせず、熟達もしません。
先生の言うには、ちっとも熟達はしないが、すごいなあと思うところがあると。
「優しい音を出して」というと、すぐに「優しい音」を出す、と。
「こんな感じで降る雨のような音」というと、すぐに言った通りのニュアンスの音を出す、と。
これでピアノが好きで練習好きの子だったら、すごいのにね、ってのが結局のとこなんですが、それでいいんではないかというのが、この子を「育ててきた」先生とわたしの実感でもあります。

「なんでやめてはいけないんだ」
なんてことを言われたりもするんですが。
最初に答えたのは、この「育てる」ということに対しての「母の考え」です。
次に言ったのは、「楽譜が読める」ということの、今後に対してのメリットです。
音楽というものを自分が主体的に「楽しみ」としてとらえるようになったときに、楽譜が読めることや、音楽の音をとらえるというときに、そのことが豊かさを与えるメリットになっていくんだよ、と。
ピアノ以外の楽器を、自分が選んで自分の意志で「やりたくなる」かもしれないしね、と。

「楽器を何かやりたくなるって、なんで?」と聞くので、「女の子にモテたいから楽器始めたって人だって、たくさんいるよ」と言うと、「そんなこと言うのはおかあさんくらいしかいない」と本気にしません。
え?そうお?

この子に合うレッスンを、ということで、現在、一般的な練習曲や教科書をすすめていくのではなく、「好きな曲を選ばせて完成させていく」という形態を取ることになりました。
本人、ピアノの先生とのやり取りを、ずいぶん前から母には「秘密」にするようになっているのですが、「好きな曲」で選んだのは「ドラゴンクエスト」だそうです。
こういうレッスンって、うらやましいと思うんだけどね。

それでも、本人「やめたい意志」は変わらないようで。
「次の発表会が終わったらやめていいよ」と言ったことを覚えていて、レッスン時間に先生に、そう言ったそうです。
そしたら、あはは、「ダメだ」と言われたそうです。
「んじゃ、先生と相談して決めてね」と、無責任な母です。
育ててきた同士であるこの先生を、わたしは信頼していますので。

なんてのが、最近の動向であったわけで。
母、PCいじっていると、ふと聞こえてくるじゃあ~りませんか。
アイツ、自分の意志で「練習」してますわ。
しかも、ドラゴンクエストではなく、なんだか実に「練習曲」っぽいヤツを。
おほほほほ、何考えてるんだ?と思いつつ、おもしろいです。

あ、自宅にピアノ、あるんですけどね。
わたしが実家から持ってきたものです。
本来、姉が所有すべきピアノですが、姉はオーストラリア在住なので。
ピアノはアップライトですが、調律士の「わかりやすい説明」によると、
「購入当時、一般的に売れていたタイプを車で言えばサニーやカローラだとするならば、これはクラウンというような位置にある」ものだそうです。
姉とわたしは、その昔、「近所の先生」について習っていまして。
姉は先生が「自分ではもったいない素質の持ち主」と判断し、別の先生についたこともあったのですが、「ピアニストにするための厳しい指導」を姉が怖がり、またうちの親もそうした周囲の対応に「ぴんとこない」状態だったようで、結局「厳しい指導」は2~3ヶ月もなかったような。
そんな姉の「ついで」で習っていたわたしは、バイエル程度しか弾けず、現在はそれすらもアヤシいです。

息子、息子。
母だって、そんなモンさ。

ドラマ「小さな運転士 最後の夢」

2005年08月28日 | つぶやき
日本テレビの24時間テレビの中のドラマ、「小さな運転士 最後の夢」を観ました。
24時間テレビを観る、というと、まあいろんな解釈だの意味だの出てくるのですが、それはまあおいといて、わたしはこのドラマを「観た」ということ。
先天性の心疾患を持つ男の子の短い人生というのが、このドラマの大筋でした。
息子がね、「全部観てから寝る」というので、珍しく11時半近くまで起きていました。

拡張型心筋症。
これがこのドラマの男の子の疾患名です。
「心臓移植」という手段はあるのになぜそうした話が出てこないのだろうと、ドラマを見ながらずっと思っていました。
心臓移植、海外での医療を利用ということが必要、という大変なことになるのですが。
「腎臓の状態が悪く、移植の適応外である」
ドラマの中でそう父親が語り、なんというか、わたしはがっくりと肩を落とす。

心室中核欠損症。動脈管開存症。
これが娘が持って生まれた心疾患でした。
どちらも先天性の心疾患の中で、妙な言い方をすればポピュラーなもので、根治手術が可能な疾患です。
娘の場合は、状態が悪く、最初は「2歳を過ぎたら手術」という説明だったものが、「2歳前に」「1歳になったら」「1歳まで待てない」「生後半年頃にやらなくてはならないかもしれない」「早急に」と変わっていき、すでにたてられている外科病棟の手術スケジュールに「緊急に割り込む」形で生後三ヶ月に手術が行われました。
術前の状態は、重症の肺炎に罹患、常時人工呼吸器を使用、悪化する状態を改善させるための輸血等、手術前に必要な検査中に心停止があるかもしれないというものでした。
術後も経過は悪く、ICUを一ヶ月出ることができませんでした。
大人のサイズのベッドに、小さな小さな3キロに満たない体がオムツだけの状態で横たわり、人工呼吸器に呼吸を手伝われながら、両手両足に管がつながれ、心臓の状態を見るモニターが規則的に音を立てる。
大人のサイズのベッドが必要だったのは、体につなぐ各種の管の位置固定のためだったのです。
それを窓から見守るだけの面会が、1ヶ月近くあったわけです。

窓の中を見るために「立つ」常連や、外科病棟に面会に通う人とは、自然話すようになります。
小児病院でしたから、その全てが「親」です。
わたしはここで、いろいろな人から声をかけられ、会話を重ねながら、それまで知らなかった現実というものを知っていきます。
「手術できるの? いいわね」
「手術は何回必要なの? 一回なの? いいわね」
病院の生活しか知らない子ども、学会で発表される最新の治療にチャレンジしていくという形で命を維持している子ども、根治手術の可能性が無く状態に対処していく治療しか受けられない子ども。
そんな現在進行形の「生きる」と、わたしは出会っていくような気がしました。
この時の入院、そしてその後の検査入院で出会った子どもたちの中で、「現在も生きているはず」という実感を持てない子どもはたくさん存在する。

ファロー四徴症、極型。
これが息子が幼稚園生活の3年弱を共に過ごした友達の疾患名です。
息子の幼稚園の入園式に出席したときに、一目で気づいてしまいました。
(ああ、あの子は心臓が悪い)
幼稚園生活を元気に送れる日々もたくさんありましたが、入院治療や数回の手術を重ね、根治手術が治療スケジュールに入っていました。
根治手術のときに渡そうとわたしはコツコツと小さな鶴を折っていましたが、その鶴は千羽になることを待たずに状態は悪化し、千羽に満たない鶴は葬儀の祭壇を飾りました。
葬儀の棺、飾られる祭壇を見て当時6歳だった息子が言いました。
「○○くん、白雪姫みたいだね」
「そうね、白雪姫みたいだね。
 でもね、
 白雪姫は王子様がキスをすると目がさめるよね。
 ○○くんは、もう誰がキスをしても起き上がることはないんだよ」
これが、息子が「死」を言葉というもので知った「説明」でした。
王子様は来ない、王子様はいない。
息子は棺が乗った霊柩車を追いかけようとして、葬儀場の職員に止められました。

ドラマを見ながら、息子が心疾患について聞く。
状態の対処の治療や、状態の説明をしてやる。
「手術」という治療法の存在を知っている息子が「手術はできないのか」と聞く。
「できないのだ」と答える。
いつまで生きられるのか、死というものが近い将来に「ある」ということがわかっている「命」がある。
そのことを、娘が心疾患の治療を受けるまで、わたしは全く知らなかったというに等しいと思う。
友人の死を知っているこの子は、このドラマを見ながらどんな風にそのことを理解するのだろうかとふと思う。

何らかの先天性の心疾患を持って生まれる子の割合は、100人から150人に1人程度と言われています。
経過観察だけで健康を手に入れていく子どももいる。
根治手術を受ける子どももいる。
命を永らえる治療に支えられながら、その限界まで生きていく子どももいる。
全ての子どもにしあわせを、と思う。

ドラマの感想としては、「読み聞かせのボランティア」という人物に重要な役割を与えていたことに好評価。
入院治療が長い子どもに必要な存在だと思うけれど、そうした活動をする人支える人は、「病棟で生きる子どもたち」の数に比べてあまりにも少ない。
不満としては、主人公が進学した「高校」の説明がもう少し欲しかったこと。
入学式に出席する映像で「養護学校」という文字が映る。
「病弱養護学校」というものの存在を、もう少し語って欲しかったかな、とちょっと思う。

*参考リンク*
都立病弱養護学校の高等部をつくる会
同サイトコンテンツ:もっと病弱養護を知ってもらいたい運動

金魚、飼ってます

2005年08月27日 | つぶやき
先週の週末、隣町のお祭りに行きました。
自治会や、子ども会、マンションの子ども会、野球チーム等、地域の方々や保護者たちによる出店が並ぶ、地域主催の「盆踊り」。
娘は「オールで踊り」、息子は出店を楽しんで駆け回ります。
そこに「金魚すくい」がありました。

おいおいおい。
金魚すくいって、さ、生き物なわけだよ。
飼わなきゃならなくなるんだよ。
その辺、実行委員に「親」が多い中で、阻止できなかったんだなあ、とちょっと思ったり。

3年ほど前、平塚の七夕祭りに行ったときに、息子が金魚すくいをやりたがりまして。
ううむ、それは飼わなきゃならんのだよ、と二の足を踏んだのですが、「甘い親」であるわたしは簡単に降参。
帰りにペットショップに寄って、水槽から水槽に入れる石やら草やら、ぼこぼこと空気入れるヤツやら、一式を購入、金魚を2匹、飼い始めました。
しかし、かなり金かけていい状態にしたにも関わらず、2匹の命は10日ほどで終わってしまいました。
2匹は父親に支援されながら息子本人が庭に埋め、また「飼いたい」と言い出す日のために、全てを丁寧にしまいました。
せっかく用意した水槽なので、「他の金魚を買ってくるか?」と聞いたのですが、答は「NO」ということで。

そして先週の「隣町のお祭りの金魚すくい」。
(ああ、金魚すくいの出店があるなあ)と思っていたのですが。
友達といっしょに出店を歩き回って、わたしたちの元にきた息子の手には「2匹の金魚が入った袋」がありました。

げ。
また飼うのかい。

この瞬間の「げ」という表情に、息子「ゴメンね、金魚すくい、やる前にいいかどうか聞かなくて」。
事前に聞こうが聞くまいが、多分結果はいっしょだったろ、と。
「うまくすくえなかったんだけど、金魚余ってるから2匹やるって、お店のオジサンがくれたんだ」と。
ああ、うれしかったのね、そうかいそうかい、いいよいいよ。
ただね、この日は徒歩圏だったので、おかあさんすっかり飲んだくれてて、その日のうちに「金魚飼いグッズの全て」を出してやるのは無理なのだよ。
(一式ていねいに、どこにしまったか忘れた)

幸いなことにカルキ抜きの薬と餌は、すぐに出せた(目につくところに出しっぱなしだったとも言う)。
水槽ではなく、パレックスのガラスのパウンドケーキ型に入れてやった。
(一週間生きてたら、全部出してやろう)

はい、今日で一週間になろうとしてるんですわ、その日から。
元気です、2匹。
大事に飼っている息子に「名前つけたら?」と聞くと、「名前つけると死ぬからイヤだ」と返答。
「水槽やらなにやら出そうか?」と聞くと、「あれに入れると死ぬからイヤだ」と返答。

名無しの赤いの2匹と、まだまだ一緒に暮らすようです。
今度はもう少し、生きていて欲しいです。

夏休みにTDL

2005年08月25日 | つぶやき
昨日は東京ディズニーランドに行ってきました。

東京ディズニーランドの開園は’83年の4月。
その少し前、当時つきあっていた彼氏は演劇やテレビの舞台設営のバイトをやっていて、そこの事務所から行っていた仕事がありました。なんでも舞台関係ではなく「工事現場に行く土方のようなバイト」だと。集団でバスに乗り、葛西からまだ先の千葉に行って、なんだかロボットがたくさんいる現場なんだと。
そして言ったのが「S、S、千葉にさ、ディズニーランドができるんだぞ」。
「はあ? ディズニーランドぉ? 千葉に?」と、わたし。
「うっそお~~、なんかの勘違いじゃないの?」とまるで本気にしていないわたし。
当時はディズニーランドといえば、アメリカツァーで行くものというのが「常識」でした。
彼が「作っていた」のはit' a small world。「気味が悪い」と言っていました。「かたかたかたかたと無数のロボットが音をたてて動く、気味が悪い、化け物屋敷のようだ」と。

さて開園。
有り体にいえば、「パパのぉ~、お仕事の関係でぇ~、もらったのぉ~」という「タダ券」でした。この「バイトで関わった彼氏」を誘って行ったという展開で、彼は初めて「ロボットがカタカタ動く完成品」をそこで見たわけです。
豊島園だのよみうりランドだのというところを「遊園地」と認識していたわたしたちは「夢とおとぎの世界」というコンセプトを全然理解していませんでした。絶叫マシンが「売り物」の遊園地ばかり見ていたわたしたちにとって、「ふにゃふにゃとした乗り物しかないこの新しい遊園地」がよくわかっていませんでした。
当時はこれが当たり前だったのですが、チケットは「BIG10」。入園料とチケットがセットになったもので、現在のような「パスポート制」ではなく、ひとつひとつのアトラクションにチケットの枚数というものがありました。これで「余ったチケット」を利用するために入った「魅惑のチキルーム」。
「カタカタカタカタと動く無数のロボットがいる部屋に閉じこめられた恐怖感」はすごかったです。
コンセプトに関して「ああ、こういうものなのか」とわかり始めたきっかけはジャングル・クルーズの「船長の語り」とカヌーの「参加型アトラクション」、そしてホーンテッドマンションで「当時の最新技術で演出される世界の凄さ」でした。

この一回で、すっかり行った気になり、そこで終わっていました。
オープン当時に「行った」人たちの感想もわたしと似たようなものだったようで、「夢とおとぎの世界」と言うよりは「出銭ーランド」という言い方がよく使われたように記憶しています。飲食物の持ちこみは禁止で今のように「ファーストフード」は無く、レストランが基本でとにかく高い。チケット制でもあったし「入った途端にやたらに銭が出ていく」ということで。

このときの彼氏とのつき合いも終わり、わたしの環境や人間関係も変化していったのですが、周囲から「ディズニーランドに行こう」というお誘いが増えるようになりました。
「行ったことのある」わたしのレクチャーは、入ったらまず、現在はすでになくなっているmeet the worldに案内すること。ここは大勢でがさっと入れるために待ち時間が無い。無数のロボットと映像によって語られる「日本の歴史を知る」というアトラクションの内容の質の高さと、それを支えるために無数のロボットと映像で「見せる」技術の凄さが満喫できる。そしてそうした技術が支えるテーマパークという主旨が簡単にわかるアトラクションだったからです。そしてそこのすぐ前にあるハンバーガーレストランがパーク内で一番「妥当な価格で食事が取れる所」だったという理由もありました。
そうやって、いろいろな人と行くうちに、わたしは段々と「夢とおとぎの世界」というコンセプトを理解していくようになりました。

アトラクションだけではなく、レビューやショー、パレードを楽しむ。
この要素が加わったのは、友人の「彼氏」がきっかけでした。友人の「彼氏」はアメリカ人。TDLのダンサーとして契約し来日していました。これが’88年から’89年くらいだったかな。
この頃は、チケットとして「BIG10」はまだ存在していたものの「¥4,000のパスポートチケット」が主流になり始め、よく使っていました。でもこの頃は平日はまだガラガラで、平日の午後に行けばパレードは楽に満喫できるし、当時主流で土日には1~2時間待ちのスペースマウンテンの「連続乗り」に待ち時間ゼロ状態でした。まるで公園の滑り台のごとく、よく乗ったなあと思います。スペースマウンテンが好きかどうかということよりも、チケット制が残る状態で「これが一番高かった」ので、「定額制によるお得感」を満喫したかったという、実に小市民的理由でした。

20年以上の歴史を持つようになったTDL。現在の感想は、「リピーターが作っていった世界」というものです。提示された「夢とおとぎの世界」というコンセプトは、それを楽しむ人たちによって、どんどん拍車をかけられていったような気がします。販売されている「ミッキーの耳カチューシャ関連」に代表されるような「そこでしか生きないアイテム」群の大量の販売数。ディズニーキャラを様々な形で身につけて歩く人たちによる「TDL内の世界の演出効果」。
残念に思うのは、混雑により誘発されていると思う「サービスの質の低下」です。開園当時のサービスの質は、今とは比較にならないくらい「高かった」と思います。これはもう仕方がないんでしょう、混雑はもう、比較にならないくらい「レベルが違う」のが現実だと思うので。
それにディズニーシーができて混雑が緩和されてから、少し改善されたと思います。なんせ、ゴミ箱付近がきれいになった。数年前は汚らしかったですから。
開園後数年くらいはちょっとしたゴミが道にひとつでも発生しようものなら瞬く間にどこからともなくホウキとちりとりをもった「笑顔の青年」が現れ、リズミカルな動作で「ゴミを消す」。そのこと自体もまるでひとつの「小さなショー」のようでした。
障害者に対する支援も、サービスの質の低下のひとつであるように思います。以前あった障害者支援策で消えたものもありますし、昨日見た光景も、残念なものだった。
ゲストアシスタンスカードという「障害をもつという理由で受けられる支援を依頼できるカード」の提示をして、「待ち時間を行列に並ばずに待つ」という支援を利用した車椅子の子どもがスタッフに促されてアリスのティーパーティーに乗ろうとしていたのですが、入場の案内をしてそこで「やりっ放し」。その車椅子の子どもを押しのけて入場する人たちの波でなかなか入場できずにいました。
そばにいたわたしが人の波を止めて入場を誘導したのですが、スタッフはこれに全く気づかず。
また、人気のバズライトイヤーでは誘導のタイミングの不備で娘の行動ペースにとって「危険な走り乗り」をさせられ、娘のためにゲストアシスタンスカードを使えばよかったかなと、やや後悔させられました。しかし昨日のタイミングの不備は幼児連れでも充分危険ですが、混雑にあおられるスタッフにその自覚は無かったようです。

なんだかんだ言いつつも、わたし自身もリピーターであり続けている一番の理由は、まあ、「遠くないので行きやすいから」ということだと思います。
今年は昨日で2回目。
1回目は学校の平日休みの日に「神奈川県民感謝デー」という地域限定割引チケットが出るのでそれを利用という、まあこれも小市民的理由。
2回目の昨日は\5,500という正規の価格のチケットではなく、\4,950の団体割引です。地域の子ども会の「夏のバス旅行」で、子ども会の財源からの補助もあり、交通費込みで¥3,000という金額です。
ショーやレビューが大好きな娘はTDLがとても好きですが、キャラものは欲しがらない。
幼児期は「密室でカタカタ動くロボット」や、着ぐるみをとても怖がった息子、「あんな混んだとこ行きたくない」と言う時期は長かったのですが、今は「ミッキーの耳のついた帽子」とランド内で使用するポップコーンのバケツを愛用です。
ショー好きの二人なので、パレードを最前列で見るための「一時間待ち」が平気です。
息子はもう恥ずかしがってパレードの「ダンス参加」はしませんが、娘は昨日も楽しそうにキャストと共に踊っていました。

ゲーム機ウォッチング

2005年08月21日 | つぶやき
昨日は娘は「障害をもつ中高生余暇支援事業」参加の日。
ということで、息子を連れてお出かけ。
行き先はポケモンフェスタ

娘もポケモン、好きなんですが。
でもね、もう行ったのよ、このイベント開催初日の日に東京ビッグサイトへ。
ま~だ行きたいんだそうで、うちの息子。

去年は横浜会場に行っただけだったんですが、すごい混雑で。
今年は開催初日の東京ビッグサイト、すいてた。
あ~らこんなもんよね、って思ったら、昨日の横浜会場、メチャ混みでした。

DSを持っていると、会場でダウンロードできるゲームというものがあって。
ポケモン釣り大会DS
昨日はこれに加えて、2005年10月20日(木)に発売のニンテンドーDS対応ソフト「ポケモントローゼ」の体験版もダウンロード可能。

会場には子どもを連れた人も多いんですが、中高生や大人もいる。
そしてあっちでもこっちでも、ゲーム機を出して操作している。
子ども連れの方が、DS所持率高いような気がしました。
さすがクリスマスにぶっつけた発売だったな、と思うような感じ。
中高生や大人組では、DSではなく、SPでもなく、アドバンス機を使っていた人もけっこういたことに「へー」。
子ども群は、「SP以上」が大半なんですよね。
アドバンスとSPは、同じソフトが使えるので、アドバンス機持ってればそれでいいんですが、
 ・ゲーム画面にライトがつく(目が悪くなるのを防ぐ?)
 ・充電が可能(乾電池の購入費がいらなくなる?)
ってな理由があって、子どもの「欲しい」以上に親が買い替えを考えたって、そういう例もよくあるんですが。
大人は「アドバンスでいいじゃん」組ってのがけっこういたんだなあと。
でもアドバンス機って、すぐに乾電池を入れるところのフタのツメがバカになるというか、ちゃんとはまらなくなるんですよね。
ウチの子もそうだし、子どもの友達もたいがいそうだったんだけど、乾電池を入れるところのフタの部分にポケモンのシール貼って取れないように押さえてた。
フタ、取りっぱなしの子もけっこういたような。
でも大人はちゃんと使えてるのねと、フタの部分が「普通」になってる状態を横目で見つつ、思ったりしました。

使用機は、DSもいるが、やっぱりSP使用者が多い。
このSP、発売以来、いろいろなカラーが出続けている。
会場では、いろいろな人の手に、この「カラーバリエーション」の実物が見られまして。
やはり、ピカチューエディション(黄色でピカチューの顔がついてる)や、アチャモエディション(オレンジ色)が目立ってた。
普通に買えるカラーバリエーションというのは、任天堂のHPではコチラの6色。
そしてそれ以外にもたくさんのカラーが発売されています。
(参考:『ウィキペディア(Wikipedia)』ゲームボーイアドバンスSPの「カラーバリエーション」)

ちなみにうちの息子のは「トイザらスオリジナルカラー『スターライトゴールド』」。
うちの息子の、とはいいますが、現在ほぼ「わたしの」で、プレイやん使用でかなりのヘビーユーザーとなっておりまして。
最初、プレイやん発売のニュースを聞いたときには、DS購入で「あいてる」SP大活用だわ、なんてのがあったんだけど。
最近、「借り物」でプレイやんを使ってることが、なんというかヒジョーに、おもしろくない。
ホンネを言えば、わたしは、パールピンク機が欲しい
消費が消費を呼ぶって、こういうことなのね、と、
昨日の会場で、キョロキョロと、他人のSPのカラーを眺めつつ、実感したのでした。

しかし、一番びっくりしたのが、幼児二人連れの4人家族が「全員違う色」のDSを1人一個ずつ持っていたこと。
金持ちというかなんというか、すごい一家だ、と思った。

皮膚科受診

2005年08月19日 | つぶやき
娘の日焼けした腕の皮が、ぼろぼろっとむけてきました。
はい、13歳ダウン症児、知的障害「重度」と判定されている愛娘の腕です。
娘、これをさして
「おいしゃさん、おいしゃさん」と言い張る。
つまり「異常」だから、「医者に連れて行け」と。
んなもん、日焼けなんだよ、と思う。

皮膚科に行きました。
医師に頼みました。
日焼けして皮がむけている腕を、丁寧に診察しているフリをしてやって欲しい、と。
医師、こころよく、ほいほいと。
軽く、油分のクリームを塗ってやってくれました。

実は皮膚科受診の本題は別。
なんと、水虫、足に。
足の指の間で、表面から見えず、わたしは全然気づかなかった。
水虫なんて、実は生まれてこのかた、わたしは見たことがなかった。

こういうとき、「母」として、気づいてやれなかったことに落ち込みますわねえ。
「訴え」というものがない、なんて言い訳にもなりゃしない、と。
かゆがってるとか、そんなのも、ちっとも気づかなかった。
というか、特にかゆがってもいなかったし。

その昔、娘が1歳だか2歳になる前だかのこと。
運動機能のためのリハビリの個人指導で、リハの先生が足を確認しながら声を上げた。

「なんだこりゃ。
 ひどいしもやけじゃないか。
 気づかなかったのか。」

足の裏から指にかけて、妙に赤みが強いというか、黄色っぽいというか、そんな感じ。
それって、しもやけだったの?
実はわたし、しもやけって、言葉しか知らなかった。
こういうモンだったんですか。

「訴え」というものがない、なんて言い訳にもなりゃしない、と。
かゆがってるとか、そんなのも、ちっとも気づかなかった。
というか、特にかゆがってもいなかったし。

そんな10年以上も前のことを思い出す。
今度は水虫かい。。。

幸いなことに、今日の皮膚科の医師は、
「気づかなかったのか」という一言を出さなかった。

そうだよ。
気づかなかったんだよ。

「母親」ってやってると、そういう「気づかなかったのか」って一言の経験、少なからず、誰でもあると思う。
知的障害ってのがあれば、それは乳幼児期だけでは終わらない。
気づかないことだって、あるんだよ。
診察ってときに、「昨日」がどうだってことよりも、どう治療するかって、そういう話が欲しい。
気づかないようにしていよう、なんて思ってないんだよ。
でも、気づかなかったってこと、あるんだよ。
と、思う。

本人は、足なんてそっちのけで、腕を「診察」してもらったことに大きく満足。
8月19日。
そんな一日。

話題のドラマ

2005年08月11日 | つぶやき
うちの10歳息子は、(ちょっと変わってるんじゃないか?)と思うところがある。
5年生になってもこういうところが消えないのは、幼いのかな、とも思う。
どんなところが、というと、とにかくテレビを見ていて、ウルサい。
ドラマやアニメにおいて、そのストーリーの世界に没頭し、内容の進行に大声でツッコミを入れるのです。
本人、大声のつもりはないんだろうが、もともと地声がでかい。
それがアツくなると、端から聞く分には、大声になる。

この息子といっしょに、話題のドラマ「女王の教室」を観ています。
はい、非常にウルサいです。
いちいち番組の展開に「抗議」の大声をあげます。
展開で出てくる「悪意」の存在に、ふっと身を固くしてから「抗議」の大声を上げるのです。

ひどいじゃないか。
おかしいよ。
なんでそんなこと言うんだよ。


真矢のシーン、同級生のシーン、娘の姿が見えていない「和美の両親」のシーン。
真鍋の「おばあちゃん」が出てくると、静かになります。

彼の「抗議」の大声は、一貫して「正義」というものに基づいています。
集団の悪意が出てくるシーンは、ひときわ声のトーンが高くなるのですが、わたしはそんな彼に問いかけます。

「アンタだったら、どうする?」
(集団の1人に埋没していくか?)

彼は答えるときと、答えないときがあります。
母の質問に「教育的要素」があからさまに匂うものは、きっぱりと拒否します。
自分が思うことはいいのだけれど、思うことを促されることには拒否態勢に入ります。
母が何を言おうが、彼の「正義」のテンションは高い。
彼がこの先の人生で習得していかなければならなくなることは、この「正義」を自分が行動するときの方法論かもしれないと思う。
彼は、大きく分けてしまえば「和美」タイプの子です。
他者を攻撃せず、攻撃を受けても相手に攻撃を返さない展開を考える。
相手に攻撃を返さない展開は、長い道のりをかけて「オノレとの戦い」になるものだと思います。
和美の真矢との戦いは、真矢に屈することができない和美の「自分自身に対する認識」と、その行動の展開として、わたしは関心を持って観ています。

わたしはこのドラマ、エンディングが大好きです。
真矢がブラウスのボタンをはずして、表情を柔らかくスタッフに挨拶しながら天海祐希に戻っていく。
わたしはこのエンディングを観ながら、ストーリーに没頭した息子の「催眠」を解いていきます。

これは「お話」なんだよ。
「お話」は、ひとつのことを大きく大きくして、その中から「本当のこと」を拾いやすくするんだよ。


ストーリーの内容が理解できず、テレビがついている部屋でお絵かきだの、ジグソーパズルだのをやっている娘がエンディングになると立ち上がります。
踊るために。
娘は息子の「没頭の催眠」を解くのに、一役買っています。

「女王の教室」。
わたしは息子といっしょに観ています。
観せたくて、観ています。
今後、展開がどうなろうと、彼に拾って欲しい「本当のこと」を教えるために。
彼の感情の揺れを放置しないために、彼の反応の全てを察知できるように、
びったりとくっついて観ています。