S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「危険」の可能性への対応

2005年12月14日 | つぶやき
 ここのところ、小学生の下校時を狙った凶悪犯罪が増えていて、学校からお便りが来ました。子ども自身に安全を考えさせる、親と子で作るドリル形式のもの。親と子どもで、通学路上で何かあったときに助けを求められる場所を記述する防犯マップを作れるようになっています。

 この中で、「知らない人に連れて行かれそうになったときの対応は『いかのおすし』と覚える」という説明がありました。「いかのおすし」とは、いかない、らない、おごえで助けを呼ぶ、ぐ逃げる、らせる、というもの。これは警視庁が考えた標語だそうです。(広報けいしちょう臨時号
この標語をもとに、歌も作られているようです。(防犯ソング「イカのおすし」試聴

 いや、もちろんこれを子どもが認識しておくことは、自分の身を守るという意識で大切だと思う。話しかけられて、巧妙に誘い出されるときには有効かもしれません。
でもその上で、わたし自身の経験である「危機の記憶」では、これ全部、無理でしたね。
 やはり防犯ブザーの携帯が有効なのだろうと思う、声は出ませんから。ただ、人のいない場所、防犯ブザーの音が他者に聞こえにくい場所で防犯ブザーを鳴らしたときに、大きな音に相手が動揺してとっさに子どもに大胆な行動を取られたら終わりだ、という要素もあると思う。難しいところです。
 
 以下、わたしが考える護身の一部です。全部は出しません、誰が見るかわからないウェブ上になんてそう簡単には出せません。
自分の安全を確保できる距離感を体で覚えさせる
自分と相手との間に、相手の腕の長さ分以上の距離を常に確保する。この長さの距離が相手との間に確保されていれば、体に手をかけられることがありません。つかまれたり押さえこまれたりされなくても、親しげに肩に手をおかれるといったことから生まれてしまう心の隙も防ぐことができます。相手が一歩踏み出してきたら、一歩下がってこの距離感を常に確保すること、このことは重要なことだと思います。
しかし、とっさのときにこの距離感を思い出そうとしても難しいと思います。だからこの感覚を体で覚えさせる。つまり「鬼ごっこ」です。親と、大人と、大人の体を持った人間と「鬼ごっこ」をすること。思考ではなく、ボディイメージでつかんでおく感覚だと思います。危機を感じた時点で、思考は止まりそのことで行動が不能になる。いざというときにここから脱するために助けとなるのは、言い聞かせられて理解している「思考」ではなく、体で覚える「行動」だと思う。

腕や体をつかまれたら、足踏みをする
逃げる、抵抗するといった、意味のある行動ではなく、「おさえられたら足踏み、できたらモモ上げ」。逃げようと思うから体が固まる。要するに、モモ上げをしようと思ってモモ上げをするんです、逃げようではなく。これを体で覚えておくこと。
ここで生まれる効果は、まず時間稼ぎです。相手が次の行動に出るまでの時間が稼げます。理由がはっきりしない行動は、相手を不可解な気持ちにさせ、相手に隙を生む可能性も生まれます。相手が自分の体の一部をおさえていて、その力に隙を感じたら、すぐに逃げる。逃げられる体の準備はしてあります、モモ上げしてますから。
相手にとっては、単なる足踏みやモモ上げは、抵抗という「攻撃」には見えにくいですから、足踏みを始めたからといって、即座に子どもに対しての攻撃が強くなるわけでもない。しかし足踏みを開始することで子どもの体はかたまらず、次の行動へのウォーミングアップが準備されるわけです。
また、この状態を第三者に目撃されたときに、この状態は明らかに「変」です。第三者の視点は止まりますし、注目されればそこで相手があきらめてくれる可能性もあります。相手は体の一部をつかむ以上のことはこの時点ではしていませんから、ここで手を放しやすいという要素もあると思います。「変」は「見られる」という原則の有効利用です。
 コンセプトは「体で覚えること」。一般的なマニュアルの理解だけでは、逆にシチュエーションに対しての恐怖だけを刷り込んでしまうことにもなりかねず、そのことが、逆にとっさの危機に「体が固まってしまう」危険を呼ぶものでもあるとの認識も必要なんではないかとわたしは思います。

サンタ考

2005年12月12日 | つぶやき
 子どもにサンタクロースの話をすること。この動機はいったいどんなものなのでしょうか。
 
 わたしが子どもたちにサンタの話を初めてしたのは、子どもを寝かしつけるために絵本を読んでいた時期だったと思う。サンタが出てくる絵本を読んで、サンタがやってくるシーンを想像させた。12月のその夜の盛り上がりはわたしにも楽しいものだった。町はクリスマス、家にはクリスマスツリー、そして空想する喜び。季節の中でワクワクを育てることは楽しかったし、現実を次々に認識して大人になっていくためには、現実に立ち向かっていくためのエネルギーにもなるような「ワクワクすることを自分で創造していく力」というものも必要で、それは「生きる力」につながっていくことでもあると、わたしは思う。

 娘にとって、サンタがどういうもので、どういう風に理解し、認識しているのかは、残念ながら彼女の言語能力での説明は不可能で、わたしにはわからない。ただ、「クリスマス」という単語を発するときの娘の表情はきらきらと明るい。
 息子はとても素直な性格で、ずっとサンタを信じ続けてきている。周囲の友人たちの中にはとうにクリスマスプレゼントはどこから来るかなんてことは知っているのだけれど、どうも息子に対してクリスマスの会話をするときには「そっとしておいて」いるとしか思えない。去年は(そろそろサンタはクリスマスのいわゆる装飾のひとつと認識しただろう)と薄々思っていたのだが、25日の朝、ツリーの前に飛んでいってプレゼントを発見したときに「サンタさんありがとう」と叫んだとき、ちょっと動揺してしまった、まだ信じていたのかと。

 今年は息子は、クリスマスが近づくにつれて、サンタのことを聞いてくる。どうもサンタの話を聞かせてやった本人から回答が欲しいらしい。
 単に「あれはお話」で済ませてしまうのはなんとももったいないところがあり、それは「ワクワクする気持ちを持つ」ことが、「生きる力」につながっていくと、わたし自身が思っていることからくるのかもしれない。

 サンタクロース研究所というサイトを検索で出す。トップページの以下の部分におおいに共感。
でも、目に見えないものを信じるって、とってもステキな事。
見えないものも信じる事ができたら、子供はもちろん、大人だって自分の夢や希望が広がると思いませんか?
 ただし、このサイトのコンテンツの「クリスマスストーリー」の【プレゼントをもらえる子と、もらえない子】の記述には違和感。もともとわたしは「サンタさんからプレゼントをもらえる」ということに、短いスパンでの教育的感覚なんていうものを持ち込んだことは無い。「見えないものを信じる気持ち」に説教が導入されることにはおおいに違和感を持つ。ついでに持ち込まれるような説教的教育をサンタに持ち込むのは、なんというか、貧乏くさい。「見えないものを信じる気持ち」というものを育てるということは、もっときらきらに豊かであって欲しい。

 今年の25日の朝は、息子に対してサンタの話をしてやろうと思う。「大切なことは目に見えないんだよ」と。そのことを教えてそういう心を育てるために、わたしはサンタに力を借りたのだよと。もうあなたは大きくなった、これからはあなたが「大切なことは目に見えない」といううことを、自分で考えて、そしてそういう気持ちを自分で育てていって欲しい。それが大きくなるっていうことなんだよ、と。

*関連記事: 「生きる」ということ

日劇ミュージックホールの思い出

2005年12月08日 | つぶやき
 「子どもに見せちゃいけないの?」
この記事上げをしてから、しばし、思いは過去に飛んでおりました、「子どもに見せちゃいけないもの」に。テレビでお茶の間に登場するものではなく、そこに行って観る、という文化のひとつを「観た」というお話。
 
 銀座に、日劇ミュージックホールという場所がありました。
設立したのは劇作家の丸尾長顕氏(1902?-1986.2.28)氏で、東宝の小林一三
社長から「大人の見るショーを日本にも」と言われて創設したものだそうで
す。彼の美学は「女性が見てもいやらしいと思わない芸術的エロチシズム」
ということでした。
日劇ミュージックホール開場(1952)

 ’84年に閉館されるということがニュースになっていたので、なくなってしまう前に日劇ミュージックホールのダンサーを生で観ておきたいという友人に誘われ、最後のレビューを観にいきました。
 日劇の当時の写真は、こちらのサイトで紹介されています。このサイトの説明文には日劇ミュージックホールは「ストリップ小屋」とされています。質の高いレビューではあるが、カテゴリ分けをすればストリップ。20代女性3人連れのわたしたちは、それなりにけっこう緊張して出かけました。

 一時は有楽町の顔として一世を風靡したはずの日劇ですが、建物自体は老朽化して、すでにぼろぼろでした。しかし日劇ミュージックホールに入るための専用のぼろぼろのエレベーターに乗り、足を踏み入れてびっくり。ここ、日本ですか?というようなゴージャスな劇場ロビーでした。そこは大人の文化を楽しむための大人の空間だった。そして中は規模は小さいけれど、立派な「劇場」でした。

 ここでのレビューの様子は、このサイトに画像がたくさんあります。わたしはかなり満喫しました。ゴージャスな衣裳、鍛え抜かれた体と肌、そしてプロ意識。かっこよかったです、とても。こういう文化がひとつ消えていくのだなあと思いました。時代はもっと直接的なエロチシズムを求めていったということ、つまり「ストリップ」で直接的に連想されるもの、そちらに動いていったためにこうした文化が消えていくのだということだったのですが、ゴージャスに楽しむという発想は無いのかねえ、本当になくなってしまうんだねえ、などと、その日初めて観たにも関わらず、とても残念に思った記憶があります。

 次々に繰り広げられる豪華なレビューの中で、ウケまくったものがありました。ステージ中央前に、下から出てくる舞台装置があって、音楽と共に1人の小柄な女性が出てくる。宝塚ばりの豪華な衣裳をまとったとても小柄な女性。ただしこの女性はその豪華な衣裳のスカートをたくしあげてお尻を見せ、上半身はかがんでいるし、たくしあげたスカートで完全に隠れてしまっているので客席からはお尻しか見えない。またこれがなんともゴージャスなお尻なわけです。腰に手をあてて音楽に合わせて、そのゴージャスなお尻を揺らしながら、ステージが上がっていくわけです。
 そのステージが完全に上がりきると、その女性はたくしあげていたスカートをさっと下ろし、こちらを向きます。あっと驚くその姿、この女性、ものすごい童顔で、その衣裳は首まできっちりとしまって裾は足下まである、全身を包み込んだ「清楚なドレス」だったんですよね。まるでその姿は小さなレースの白いパラソルを持っているのが似合いそうな、ヨーロッパの絵画の少女のような感じそのままだった。あ、あ、あ、あのゴージャスなお尻はどこ?という、狐につままれたような瞬間を味わう、なんとも見事な演出でした。
また、ゴージャスな羽根飾りの衣裳に包まれた、ステージ横一杯に並ぶ女性たちのラインダンスも圧巻でした。さらけ出した胸もゴージャスな衣裳の一部のようでした。

 勇気を出して出かけていったことで、当時のスター「岬マコ」をナマで観られたことはラッキーだったと思います。コレが画像検索した岬マコの写真です。こちらのサイトによれば、現在は銀座のバーに勤めていらっしゃるそうです。

子どもに見せちゃいけないの?

2005年12月05日 | つぶやき
みなさん、HGはゴールデンタイムに出演してはいけないのでしょうか?
レイザーラモンHGをゴールデンタイムで起用してはいけないのか? /双風亭日乗
 TBSの「バク天」で登場してきたレイザーラモンHG(以下HGで)。「バク天」を毎週楽しんで見ているうちでは、うちの娘は大好きですね、HG。彼が番組に出てくると満面の笑顔になり「フ~」とポーズを取ってから「あはは」と笑う。ハードゲイという言葉の意味も、「バッチコーイ」という言葉の意味もわかってないでしょう。この二つの意味は、息子も理解していないと思う。ただ、ヤバイんじゃないかというのはわかってると思う。その上で充分おもしろいのだと思う。実際初めて登場したのを見たときには、その動きに思わずぎょっとした。ぎょっとするものっていうのは単純におもしろい。

 その意味がわかるかどうかなんて、いいじゃないかと思う、彼のテンポやリズムはおもしろい。教育的にどうだという意味で言えば、あの人、刺激的な行動や言動をしても、基本的に人に対して態度が丁寧だ。「ですます」調で礼にかなった態度でおかしなことをやるのがまたおもしろいんじゃないかと思う。「バク天」での登場が、そもそも人助け的な行動の特集が多かったこと、こうした要素を含めて、わたしやうちの子どもたちのHGに対してのイメージが作られていると思う。滑稽に、でもいつも一生懸命なキャラだ。このキャラの印象が残るという意味で言えば、逆に教育的じゃないかって思うのは、かなり大胆な思考なんだろうか。ただ最近は、使い捨てキャラとして働かされているようで残念。この「一生懸命キャラ」が生かされない細切れ売りのような感じがする。
 
 こういうキャラが出てくると必ず教育的にどうだ、とか、子どもに見せるのはどうだ、とか、という意見が出てくる。ふむ、わたしは全員集合の「ちょっとだけよ」を見て育ちましたし、腰振りでいえばオレたちひょうきん族で西川のりおがやっていた同様の腰振りを真似する子どもを路上で見たこともけっこうありました。こうしたことに顔をしかめる意見を見聞きすると、そういうことってそんなにいけないことですかねえ、と個人的には思う。子どもが雑多に吸収する物の中の単なる一つのような気がするのだけれど。仮面ライダーが初めてテレビに登場したときに、「とう!」と言いながらキックするのがとても印象的だった。学校帰りに男の子が、「とう!」と言いながらキックしながら歩いていた光景と本質的には変わらないと思う。子どもが雑多に吸収していく中で、大人の目が「子どもの姿の中に見たくないもの」を取りたてて探し出しているんじゃないかと思うのは、思考が偏っているのかしら。そのうち子どもは自分の意志で取捨選択していく。短いスパンの教育的視点よりももっとたくましいと思うし、そうした取捨選択ができないとしたら、それは刺激的なものがどうということではなく、もっと「育つ土壌」の問題のような気がする。

 息子が幼児期のとき、母親達の間での会話で「しんちゃん見せる?」というものがあった。もちろんクレヨンしんちゃんのこと。顔をしかめる母親ももちろんいたけれど、わたしは「見せる親」。子どもはしんちゃんが大好きだったし、刺激的な行動や言動なんか問題にならないくらい、クレヨンしんちゃんの根底に流れるものはいいなあと思う。大人の持っているものも全部出す。現実的に勝手だったり適当だったり滑稽だったり。それでもクレヨンしんちゃんの登場人物たちは、みな、家族を家庭を友達を、つまり自分が関わる人間たちを全て、とても大事にしていると思う。大人の勝手な姿を子どもにさらされることなんて、怖いことでもなんでもない。パンツ下げてケツ出して動くということを真似して、まあ、そういう意味じゃ大変だったけれど、大変というのは他者の視線ということで、家の中でケツ出して騒いでいても、わたしはちっとも気にならなかった。おふざけというより、これはしんちゃんに対する憧憬のひとつのようなもので、どうせほっときゃそのうち止める。一時期の「形から入るファン心理」のようなもんでしょう。一時期のケツ出しくらいでしんちゃんを回避していたら、そこに流れるいいものを見逃すよ。

以上、レイザーラモンHGをゴールデンタイムで起用してはいけないのか? /双風亭日乗にトラックバックです。

閉鎖を選んだあなたへ

2005年11月30日 | つぶやき
 はてなダイアリー、閉鎖されてしまったんですね。はてなのRSSはまだ動かしていらっしゃるようなので、お手紙です。

 あなたのところは、はてなブックマークで見つけました。一度、トラックバックを送らせていただきました。反応はしていただかなかったけれど、その後、わたしのところをRSSに入れていただいたのを知って、あのトラックバックをどんな風に受け取られたのか、などと思っていました。

 あなたのところを見つけるきっかけになったはてなブックマークですが、わたしはあなたの上げるものに関してのはてなブックマークを、ひとつひとつ特に見ることが無かったので、あなたのエントリーに寄せられたコメントの数々の存在に気づきませんでした。わたしはもともと、はてなブックマークをそんなに見る方ではないんですよね。それでも、時々、熱心なブックマークユーザーのブックマークなど眺める。また、話題になっていることに関して、はてなブックマークで検索をかけたりする。そんな「時々」の折りに、わたしはあなたのところをはてなブックマークで見つけた。これもご縁なんでしょう。

 今回、閉鎖を知り、思うところあって、あなたのブログ名を入れてはてなブックマークを検索しました。そこに記載されている「このエントリーを含む日記」を、ひとつひとつ閲覧しています。あなたが書かれたものによって生まれ、残されていったものを、跡をたどるように読んでいます。

 あなたは、あなたの思うところと決心で、閉鎖されたのだと思う。でも、わたしは、再読したいものが消えてしまったこと、とても残念です。それでも仕方のないことと、あなたの判断に沿おうと思います。
 閉鎖によって、ひとつのブログと別れを告げる。さようなら、お元気でね。

危機の記憶

2005年11月27日 | つぶやき
 ’70年代前半の頃のこと。わたしは6年生だった。私学の中学受験のために通う塾の帰り、夜の8時過ぎ頃だったか。場所は京王線の新宿からすぐ近くの急行停車駅の駅前。急激に開け始めていたそこは、駅前に大きなテナントを持つマンションが建っていた。建物にエレベーターが設置されること自体まだ珍しい頃で、無人のエレベーターを子どもがおもしろがって乗り、そのことが問題になるような頃だった。そのビルには当時全盛期だった渡辺プロダクションの事務所が入っていて、駅前でタレントがうろうろしていた。通りを隔てた反対側にも大きなテナントビルが建ち、その一階には紀伊国屋書店が入っていた。その二つの大きな建物をはさんだ通りには、平日の夜にも常時、ホットドッグ屋の車がいて、焼きたてのホットドッグを売っていた。

 いつものように塾からの帰りを急ぐ。駅から近くに自宅があったわたしにとって、明るい駅前と、人気のある商店街を通れば危険は何もないはずだった。前述の二つの大きな建物をはさんだ道を歩く。「道」というよりも駅周辺という場所だった。

 突然、知らない男がわたしの腕をつかんだ。何事かと瞬間体が固まる、つかんだ腕は、わたしの手を強い力で握りなおした。そして手を握って、わたしをどこかに連れていこうとした。

 体全体が恐怖で叫ぶ。しかし不思議なことに声は全く出ない。声帯から喉にかけて固まってしまったようだった。叫ぼうとしても声を出そうとしても、息の音すら出ない。足を踏ん張ろうとしても、強い力で握られている手の力と、男の動きの勢いの方が強い。その男の足で二三歩程度、わたしは引きずられたような気がする。

「何をやってるんだ!」
ホットドッグを売っていた男の人が、ホットドッグを売る車の中から叫んでいた。
わたしの手をつかんでいた男が半ば笑いながら「妹だよ、連れて帰る」と答える。そしてわたしに言った。「おにいちゃんだよな?」

 アンタなんか知らない。その手を放して欲しい。でも、わたしの喉は固まり続けている。男はわたしが了解しない作り話を続けている。ホットドッグを売っていた人はそれを聞こうともせず、わたしに問いかける。
「そうなのか? おにいちゃんなのか?」
 固まり続けるわたしの喉をたたき起こそうとするかのような勢いで、ホットドッグ屋の男性がわたしに向かってまっすぐにそう叫ぶ。それでもわたしの喉は恐怖に固まっていて、その固まりはいっこうに解けない。気持ちはどれだけ叫んでいるのかわからないのに。

「ちゃんと言え! 自分の身は自分で守れ!」
 そんな感じのことを、この男性が怒鳴った。魔法が解けたかのようにわたしは叫んだ。
「こんな人、知らない! 放して!」

 強い記憶として残っているにもかかわらず、わたしには深い後悔がある。わたしはこのことを親にうまく話せなかった。いや、話したという記憶も怪しい。話すということで事実を再認識してしまうことを怖れて、口をつぐんだような気がする。記憶ということにも、長い間蓋をしたような気がする。時間が流れるという距離をおかなければ、自分でも認識できないような記憶だった。わたしを連れていこうとしたこの男の顔も風体もよく思い出せないのは、多分自己防衛のひとつなのだろうと思う。でもそれは全て後になっての解釈、言い訳のようなもので、本来は、すぐに親といっしょにわたしを助けてくださったこの方にきちんとお礼にうかがわなければならなかったのに。失礼をごめんなさい。本当に本当に、ありがとうございました。

 小学生が殺される事件がまた起きた。わたしは子どもたちに教えた護身の方法を、子どもたちに再度教える。この方法を小学生だったわたしが知っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない。でも最後には「運」も左右するんだろう。報道を見ながら小さな命の冥福を祈る。

回想

2005年11月24日 | つぶやき
 姑が入院する病院に行く。車で行く。
 病院は、駅からバスを使わなければならない場所にあり、バスで多分30分近くかかると思う場所にある。
バス停までも10分ちょっとは歩かなければならない。
時折、疲れた顔で病院を出て、バス停を目指して歩こうとする方に声をかける。
「駅までお送りしましょうか。」

 10年以上前、娘が半年以上に渡る入院をしていたときに、わたしは免許は持っているが全くのペーパーで、免許を持たない人間と同じ状態だった。
車で行けばすぐ近くの病院に、電車とバスを乗り継いでいく。
幸い、病院の敷地内にバス停があったのだけれど、多分疲れた顔で帰宅のためのバス停に立っていると、同じような面会帰りの方に、時々声をかけていただいた。
「駅まで送りますよ」
バスを待つ時間以上に、気持ちがやわらかに助けられたことを、よく思う。

「駅までお送りしましょうか。」
 不審がられたことも、断られたこともなく、同乗していただく。面会という共通の体験が結ぶものかもしれない。
わたしは自分がそうして、他者の車に乗せていただいて、助けられた日々のことを簡単に話す。
話しながら、こみあげてきそうになるものを、気づかれないように、ぐっと抑え込む。
仕方のないことを仕方のないことと認識し、今やるべきことを優先しながら淡々と暮らしたはずのあの日々。
しかし実は、本当には淡々としていたものではなく、自分を助けるためにそう思い込もうとしていただけなのだったのではないだろうか。
10年以上の月日が流れてから、こうした小さなきっかけでふと気づかされる。

「タミフル報道」に思う

2005年11月21日 | つぶやき
 ここのところ、インフルエンザなんぞについて考えている。きっかけはタミフルに関しての過去記事 へのアクセスの多さ。これはタミフルに関しての副作用の報道が関係しているのだと思う。
 この報道の副作用に関しては、今年の2月末だったかに、人に聞いて タミフル服用後に・・・ /カンガエールネット を読んで知っていたので、なぜ今さら報道だったのだろうと漠然と思っていた。このときにスレッドをたてられた方が副作用例として認められたのだなと思いつつ、新型ウィルス流行の可能性を論じられているときにこの報道が出てきた意味などを考える。単なる報道としてではなく、不安を煽る報道なのか、という意味で インフルエンザ薬:タミフルで異常行動死 少年2人」どの薬にも「重大な副作用」がある。/JIROの独断的日記ココログ版 は正論だと思う。
 薬の副作用というものは、確率の問題というものがあって、メリットとデメリットを天秤にかけて選択する。これが流行性の感染症に関しての場合は、個体のメリットとデメリットに加えて、集団のメリットとデメリットというものが発生する。前者の場合はデメリットに関しての意味が大きく、後者に関してはメリットに関しての意味が大きい。このあたりが個人が考える上で難しくなるポイントなのではないかと思う。 そして最近の動向に関しては、新型ウィルスの発生の可能性というものが関与してくる。「飲まないという個人の選択は、集団のデメリットを引き起こす」という要素が発生する。
 ただ、ここでひっかかってくるのは「飲むか飲まないか」ではなく、「飲ませるか飲ませないか」ということ。つまり子どもに対してのこと。これは自分自身が「飲むか飲まないか」というよりも、はるかに難しいところがある。子どもに飲ませて重大な副作用が発生した場合、誰が何を言おうとも、飲ませた保護者は孤独を抱えていく。
 どんな確率であろうと、「1」が発生すれば、それは「1」なのだと思う。「0」ではなく、そこには事実がある。しかし「安心」は「1」を「0」と同等に扱うことで得ることができ、集団のメリットは「1」を「0」と同等に扱うことを前提に動く。
 確率という運命の犠牲。医学の進歩は人に平等には作用しない。新しい試みで救われる命もあれば、そのはざまで失われる命もある。それだけのことと言ってしまえばしまえるのだけれど、そう言ってしまうにはひとつの命の存在は、その周囲の人間にとっては大きすぎる。このことは簡単に忘れられるものでもない。せめて命が伝えるメッセージをと思うだろうと思う。そのことが単に恐怖をあおるものになるのでは救われない。「薬というものは常に万能ではなく、メリットとデメリットとを天秤にかけることで存在しているということを忘れない」ということにつながっていくものになることを、個人的には望みたい。 

*参考リンク
 S:今日の一言 2005-11-18

明日に向かって

2005年11月03日 | つぶやき
若いときに、どんな格好をして、どんなことをしていたか。
これは、年齢を重ねたときに、どんな風に出ていくのだろう。

歌番組を見ていてよく思うのは、お若い方は髪型が汚いなあということ。
汚い、というか、だらしがない。
顔の半分にばさばさと前髪がかかっていたり、カットがばさばさと不揃いだったりする。
「社会人として生きる普通の人」があの髪型で職場に行ったら、ただの寝癖扱いをされかねない、と思ったりする。
それを見ながら、思う。
これが「若さ」というものだ、と。
人生の中で不安定な時代にいる立場だからこそ、できるスタイルがあるのだ、と。
汚いのは髪の形で、その髪の形をもって「表現体」として存在する姿は、汚らしくないのだから。

若いときは、その個性なりのやり方で、形のあるものを「崩す」ことに挑戦すべきだ、と、わたしは思う。
特に、何かに所属するという場に行き着いていない時代は、その挑戦を楽しむべきだと、わたしは思う。

その上で。
既製の形を崩しても崩しても、崩れてしまわない何かを身につけている「若さ」は、美しい。
それは、例えていうなら、色褪せたジーンズに白いTシャツにダイヤのピアスのようなものだと、わたしは思う。
この「ダイヤのピアスのようなもの」は、例えば物事に対しての姿勢だったり、考え方だったり、そして若さゆえの見栄だったり、自分の身の丈にそぐわない、がんばった背伸びのようなものだったりする。
少なくとも、20歳くらいの僕は、そういうシチュエーションに置かれたら、「すぐに読めて、面白いであろう椎名誠」よりも「たぶん本棚の飾りにしかならないが、持っていると文学青年っぽくて、自分にとって読むべき本だと思っているプルースト」を買っていたのだ。
若さの中で、わたしは例えば「プルースト」という選択は、とても好きだ。
こうしたアイテムにどんどん手を出し、自分の身の丈に背伸びをし。
それは年輪を重ねて、身の丈がわかるゆとりを手に入れたときに、うまい具合に発酵し、上等な酒になるだろう。
年輪を重ねて楽なものを手にしたときに、この上等な酒を身につけているかそうでないかは、確実な差となって現れるような気がする。
既製の概念にとらわれない本物を、見分ける目というものも身につけられるだろう。

過去の若さをひとつひとつ失ってはきたが、この先の人生の中では、わたしは今が一番若い。
失った向こう見ずや、過去の自分の無理な背伸びに微笑みながら、この先の人生に上等な酒を用意するために背筋をぴんと張り、わたしはまだまだ自分にできる背伸びをしたい。

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半自費出版の考察まとめ

2005年11月02日 | つぶやき

「自費/半自費出版本」をテーマに上げた自記事一覧
S嬢のPC日記
 自費/半自費出版本から
S:今日の一言
 ■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機
 ■[雑記]新記事:自費/半自費出版本から 記事上げのために調べたサイト
 ■[雑記]続「共同出版/協力出版」というもの
 ■[雑記]「商品」としての文章

 まず言いたいことは、わたしは自費/半自費出版本を「一刀両断でつまらん」という気は無いのだということ。それを証拠に、というか、一番最初に出した記事上げは、そうした自費/半自費出版本で「大切なもの」を出している。(自費/半自費出版本から)。
またそれに続く記事上げでも、自費/半自費出版本の成功例も出している。(■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機

 その上で言いたいのは、著者を直接知らず、単に書籍としての評価というレベルに達しない領域に類する質の本が、こうした自費/半自費出版本にはとても多いということ。それは■[雑記]続「共同出版/協力出版」というものにも一部ふれている「わたしが見たことがある公立図書館の廃棄本の存在」、そして今はあるのかどうかわからないが池袋のリブロに自費出版コーナーがあり、何度か手に取って中身を一部読んでみたことがあることなどが、そのわたしの感覚の根拠となっている要素だと思う。

 今回、こうした出版物の背景にある「出版ビジネス」を調べながら思ったことは、出版社に「共同出版」「協力出版」という言葉で、「書籍の流通ルートにあなたの作品はのせるべきだ」と言われた人は、同じ会社、同じ人がそういった「同様の提言」をもって出版された過去作品をどこまで「読んでみよう」と思ったかという「疑問」。
こうした「共同出版」「協力出版」と呼ばれる「半自費出版」というものに欠けているのは、わたしは「読者」つまり「購買層」に関してのマーケティング的視点だと思う。そのことをどうとらえるのか、という意味で、自分の作品に出版をすすめる同じ人が、過去どういう作品を出版する傍らにいたのか、そのことは重要なんではないかと思う。
つまり、「審査」というものがあるのなら、その「審査のレベル」を知る、「同様の審査の実際の結果を知る」ということは重要だと思う。
例えば明窓出版なら、分野別にすでに出版されている「立ち読みページ」が用意されているし、また他の出版社でも見積もり時に出される「見本」や、実際にその出版社から出されている同じ企画本を買ってみることも、その「調査」のひとつの方法だと思う。買ってみること、というのは、ビジネスには調査としての投資がいるという、資本主義社会では当たり前のことなんではないかと思う。
 
 そうした本を読んでみて、どう思うか。
この程度なら、自分にも出せる
この程度の本に出版を薦める人なら、自分の位置というものも自ずとわかる
 前者に動く場合は、こうした出版は「夢を売るビジネス」と解釈し、「夢を買う立場」としての利用ということになるだろうし、後者ならば、現実というものが自ずとわかるのだと思う。
この「協力出版」「共同出版」と呼ばれる形式の半自費出版は、巧妙に「誰が客なのか」ということが隠されているような気がする。
「夢を買う立場」というものが、この形態の出版の利用者にはっきりしているのならば、何の問題も無い。

 今回、■[雑記]「商品」としての文章 にトラックバックを二件受信。

それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言

両者とも、■[雑記]「商品」としての文章 に出した「なぜこの人たちはブログなりHPなりだけでは満足できないんだろうということ」に反応していただいたもの。
前者では、その経験と共に、「可能性」というものを持つ、そしてその「可能性」のイメージを出版社によってふくらませられる、という経緯を語り、後者では「誰かに、お金を払っても読みたい、というほどの価値があると認めてほしいのだと思う」と結論づける。

それはそうなのだと思う。
その上で、この二件のトラックバック記事を読んで思ったことは、これは「沈黙のオーディエンス」に関係していることなんだろうということ。

 何らかの形で文章を書く。その結果のフィードバックが欲しい。
このことに対して、まず「形」として製本した「自分の本」を手に入れることができ、そしてお金を払ってその本を「購入する人」が発生する可能性を持つ道を開くという、ひとつの方法という選択なのだと思う。
ただし、このフィードバックに対して、一般的な商品の流通ルートを使って観客からの金銭の動きを発生させる以上、儲けたいか否かの意識は関係なく、ビジネスとしての意識が求められるのだと、わたしは思う。

*トラックバック
それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言

消化不良

2005年10月17日 | つぶやき
なんでだろう、と、消化不良。
仕方ないことなんだろう、と、思いつつ、消化不良。

娘と関わる接点のある子どもたち、というものがありました。
まあ、娘を媒体とする人間関係、とも言える。
わたしは娘の小学校の登下校の送迎中に、子どもたちと接点がたくさんあったし、何より子どもたちが娘と関わろうとすると「不可解な行動」というものが娘には、ある。
自然、わたしと話すことも多くなりますね、子どもたち。
その上で、わたしは娘を「地域で育てる」ということを重視していましたから、小学生対象である地域の子ども会の役員も代表もやった。
どのあたりに何年生の○○という名前の子がいるってのは、40名以上既知なわけです。
引率してあっちゃこっちゃ行きましたから、ひとりひとりの個性もだいたいは把握している。
うちの地区の自治会の居住地区内、つまり娘と年齢が近い「おらが町の子どもたち」は、たいがい相互に知っている関係でもある。
個と個の関係というのができているってことなんでしょう。

この「子どもたち」に対しては、気楽に注意というものができるわけです。
一緒に歩いているときに、知っている人が「おはよう」だの「こんにちは」だの子どもたちに声をかける。
ごにょごにょと小さい声で返事してるんだかしてないんだかという反応もある。
ちょっとそっぽ向いて、「無視」という行動を取る場合もある。
まあ、気軽に、簡単に言えたんですよね。
「『おはよう』って顔見て言われたら、ちゃんと相手の顔見て『おはよう』って言おうよね」とか、「『ありがとう』って言うべきときには、顔を見てちゃんと『ありがとう』って言わなきゃいけないよ」とかね。
即時に、角が立たない言い方で、信頼関係の中にあるという実感の中で言えたんですよね。

ところが、言えないんだな、息子と接点のある子どもたちには。
特に、うちの自治会の地区以外の子どもたちには。
ううむ、と思いつつ、叱れない、注意できない。
人んちの子を叱る難しさみたいなものに、自分が負けてしまう。

先週、息子の友達が家に遊びに来た。
コーンのアイスを出してやったら、なんだかこぼしながら食べている。
「雑巾、雑巾」などと叫んでいるのだけれど、「拭くものください」という一言が言えない。
わたしここにいますが、あなたたちには見えませんか?という感じがする。
まあ、1人一枚、ハンドタオルを出して手渡してやったのですが、顔も見ずに受け取る。
用が済めば、家の中のすみのあちこちに「落ちて」いるわけです、このハンドタオルが。
わたしがそれを拾っても、別に何か言うわけでもない。
男の子だから、ってことじゃない、女の子もなんですよね。

この子たちがどうのってことじゃなくて。
娘と関わる接点のある子どもたちだったら、最初にハンドタオルを手渡すときに言ってますね。
「ちゃんと顔見て『ありがとう』言いなさいね」って。

息子が5年生になって、途端にこういうこと、増えてきた。
「自分たち」以外の人間関係を成立させることができない子ども。
そしてそれを感じて、躊躇してしまう自分。
グズグズと、非常に消化不良です。

ジベル薔薇色枇糠疹

2005年10月11日 | つぶやき
ジベル薔薇色枇糠疹。
なんか、かっこいい名前ですねえ、
「じべるばらいろひこうしん」と読みます。

先週、娘のお腹あたりに、ぽつぽつと、発疹らしきものが出ました。
なんじゃ、こりゃ。
と思いましたが、特に変わりなく元気なので放置。
この辺が、いわゆる「大きい子」に関しての対処ですねえ。
赤ん坊や幼児なら、とっとと小児科に行くものの、ちょっと大きくなってくるとあんまり病気しなくなってくるので「とりあえず様子見」が多くなる。
学校から帰ってわざわざ「さあ医者に」って感じでもないし、もちろん学校に遅刻して病院行くほどでもない。
土曜に行こうと思えば行けた。
でも土曜は小児科も皮膚科も混んでる。
で、放置。

連休中、どばどばと増えました、発疹。
元気です、食欲も旺盛、なんら変わりなく。
ただ、入浴のときにびっくらする。
…、なんじゃこりゃ。
お腹だけじゃない、かわいらしいオッパイにも、ぷりぷりのふとももにも、背中にも。
でも体調、機嫌、なんら変わりなく、そんな感じで。

さて、本日、連休も明けたし、やっと重い腰をあげて受診。
明日から宿泊学習で帰宅早いし、明日から宿泊学習だし。
全身状態特に変わりもないので、皮膚科でよかろ皮膚科で。

ジベル薔薇色枇糠疹

腹部の発疹、ぱっと発疹見た途端に、医師、次々と質問。
というか、ぱっと腹部の発疹見ただけで。
でも、思い当たることばかり。

「太ももにも出てるよね」
「先週くらいからちょこっとお腹に出て、ばっと広がったでしょ」
「本人、特に変わりないかな」

へいへい、そ~ざんす。

「軽い方だよ」
「掻き壊しもしてないからかゆみも無いはず」
「かゆみが全然無い人も多いから」
「見た目は派手だけど、たいしたことない病気だからだいじょうぶ」
「伝染しないから、集団もだいじょうぶ」
「首には出るけど、顔には出ないんだよ」

…、確かに。

帰宅して、さっそくネット、ネット。
検索、検索。
どうやら小児科ではなく皮膚科受診で正解だった模様。
皮膚科サイトをいくつか見てから、さてお楽しみの個人サイト。
そんなに多くはないがいくつか見つかった、この病気に関しての体験談の中でピカ一はこちら。

こんにちは。バラ色の新山です。

うーむ、それにしてもバラ色病、調べるとなかなかおもしろい病気だ。

バラ色の夢は見なかった。

以上、「たべすぎ・ねっと (tabesugi.net)」のコンテンツからご紹介。

ここでお願いがあります。
是非、この、「たべすぎ・ねっと (tabesugi.net)」のトップから、「このサイトについて」というところに飛んでいただきたい。
そして「管理人について」と書かれた下にある、「ごらんください」ってとこに行ってみていただきたい。
わたしはこのセンス、好きだ。

「女のドラマ」と「女のロマン」

2005年10月10日 | つぶやき
女のロマンとはなにか/また君か。@d.hatena
これ、 AdYandWさんのはてなブックマークから見つけたので、この場合、以下のように入れるのでしょうか。
情報元/せかたん定点観測所(建設予定地)

と、これは前置き。
「女のロマン」ですが。
これ、「女のドラマ」として、実は以前友人と盛り上がったネタ。

女性はですね、
体内に「ドラマ」を持っている。
毎月毎月、体内のドラマは動き続けています。
分泌、乳房、体温等の体の生理的変化、食欲・睡眠等の体質の変化、気分や情緒等精神的な変化。
そのそれぞれの変化の表れ方に大なり小なり個人差はあれど、基本的には「体内ドラマ」盛りだくさんです。
基礎体温というのを記録してみると、一ヶ月の内に体温が上がったり下がったり、グラフ上にはっきりと曲線としてその「体内ドラマ」が記載される。
これが正常なドラマの曲線を描かなければ、それはまたドラマだ。
なんつったって、唾液さえ変化する。

生む性である。
人生設計上、「体内時計」というものがある。
生むか生まないか、相手がどうのということを超えて、自分のからだがカチカチと、「生む力を持てるタイムリミット」へと時を刻む。
このタイムリミットまでにどこかでなんとかしないと、体にいっぱい詰め込んだ「卵」が全て無駄になる。
「生む性」というものを選ぶことのできない体質ならば、それはまた「ドラマ」だ。

なんというか、何にもしなくたって、日常的に、もう、体内にドラマだらけで忙しくってしょうがない。
そして一番スゴイのは、この「体内にドラマが常に展開している」ということに当たり前になっていることだと思う。
毎月だらだらと出血しながら、どんどん変化・進化していく生理用品を、ごく日常的に商品特性なりにピックアップする。
商品特性なんぞどうでもよく、セール品の価格を一番の視点にする場合もある。
実に実に日常的なことなのだけれど、リビングのテレビから流れるCMで「ズレ」だの「モレ」だのと言われて、ビビったことのない男性も少なくないんじゃないかとわたしは思う。
女性というものは、平然と体内にドラマを内在している。

男性には、性衝動という体内ドラマがあるのかもしれない。
性癖、性志向というドラマもあるかもしれないが、これに関しては、持っている女性だっている。
つまり、何にもしないところでも常にドラマが展開されている女性に比べたら、男性は「何かしないとドラマが生まれない」。
自然、自分の意志で「男のロマン」、つまり「待っていては生まれないドラマ」を生みだしていこうとする。

女性も、自分のドラマは作りたいと思う。
女のロマンだって持ちたい。
でも、そのためには「体内ドラマ」を併行して持てることが条件になる。
数回経験すれば完全に日常となっていく、もしくは日常とすることが強いられていく毎月の「ドラマ」との併行は必須。
これは難なく併行所持できる人もいれば、かなりの努力を強いられる人もいる。
そして大きくそびえたつのは、自分の「生む性」と向かい合うことだ。

動物的、生物的に、この「卵」なんとか有益に使いたいと思う本能があるならば、絶対として出てくることは「卵だけでは生まれない」ということ。
相手というもんが要りますわね。
この相手、というのは「男性」だ。
男のロマンをひっさげた「男性」と、体内ドラマを内在した「女性」が向かい合う。

恋愛はドラマだ。
女性の体において、卵を受精させるための行為に使われる神経細胞の活動もまた、ドラマだ。
この、卵を受精させるための行為に使われる神経細胞の活動のドラマだって、実に複雑怪奇、個人差に満ち満ちていて、そりゃ感覚器官総動員して大変なモンだ。
感覚器官総動員という精神的状況でない場合は、全ての神経細胞が「マヒする」という現象が起きるのも、また女性の体のドラマだと思う。

女が「男のロマン」に匹敵する「女のロマン」を持ち、維持するためには、これだけの「女性が常に持っているドラマ」を併行して持つエネルギーと意志力がいる。
そういう人もたまにはいるかもしれないけれど、女性が女性なりに自分のドラマを内在させた「女のロマン」を持つ方が、わたしは自然な展開だと思う。

女性が女性なりに自分のドラマを内在させた「女のロマン」とはなんぞや。
男性がもしもそれが知りたいと思うならば、自分が出会って選んだ「女」に聞いてごらん。
きっとそこに答があるんだと、わたしは思うよ。
自分が選んだ女性の返答に「答」が聞こえてこないならば、まだまだ修行が足りないかもね。

以上、「論評」ではなく、「ネタ」です。
そこんとこ、よろしくです。

「悪徳商法」の記憶をたどる

2005年10月05日 | つぶやき
ご注意、ご注意」という記事がRinRin王国にピックアップされてました。
最近、巧妙な言い方で個人情報を聞き出そうとする電話が子ども絡みで増えていている(S嬢のPC日記)
 昔から有る様な気もする。
[関連]
ベネッセのダイレクトメールは住民基本台帳を元にしていた
RinRin王国 10月3日
この「昔から」というところ。
何らかの形で入手した個人情報を元に直接本人に、という営業は多かったと思いますが、第三者から「特定の人間の個人情報を聞き出す」というのは少なくとも’90年代後半以降なんではないかと思うのですが。
巧妙に「第三者を結果的に情報流出の加害者にする」という部分に悪質さを感じます。

’70年代後半から’80年代くらいの時期だったと思うのですが、直接子ども宛にかかってくる電話という「商法」がありました。
「子ども」と言っても、中学生や高校生がターゲット。
子どもの名前を言って親に取り次がせ、子どもに直接営業する、学習教材会社という存在があった。
電話をかけてくる人間は社名等を言わずに、山田とか鈴木とか佐藤とか、名前を言うわけです。
電話に出てみれば、なんともノリの軽い方が、なんやかやとべたべたと、友達口調で話し出します。
社名だのなんだのと言いませんから、休日の外出等で不在時にかかってきたとき、親がこんな言い方をします。
「今日、山田さんって人から電話があったわよ」
こうした電話が頻繁にかかってきたために、親は「どちらの山田さんですか?」という聞き方が日常になる。
携帯電話など無い時代ですから、「子ども」は非常に迷惑したものです。

’80年代に入ると、英会話教材の営業が盛んになります。
英会話教材、登録制のサークル、ショッピングに還元付きのカード、格安の海外旅行ツアー参加の会員権、これを全部含めて会員制で30万くらいってのが相場だったと思う。
20代、つまりクレジット契約ができる年齢層がターゲットだったと思います。
「おめでとうございます、○○があなたに当たりました」とかなんとかと、ある日突然、電話がかかってくる。
そして、その「当選した賞品」を取りに来いと言う。
うっかりのこのこ取りに行くと、営業が始まる。
登録制のサークルだの、還元付きのカード、格安の海外旅行ツアー参加の会員権など、あって無いようなもので、結局高い教材だけを買わされるというように聞いていた記憶があります。
「賞品」自体が何だったのか、これは周囲に引っかかった人がいなかったので、実際のところはわかりません。

さてさて。
わたしは’80年代初めに西新宿の住友生命ビルの51階の喫茶店でバイトをしていた時期がありました。
この住友生命ビル、こうしたうさんくさい英会話教材会社のひとつが入っており、この「おめでとうございます」で呼び出した相手との「面談場所」にこの喫茶店が使われていました。
女性エモノには、優しそうなよくしゃべる、いわゆる「場持ちのいい二枚目」の男性が営業し、男性エモノには女性の営業が付いていました。
この女性の営業、どの方もなんというか同じような服装で、きちっとスーツなんですが、なぜか胸元があいている。
というか、胸元のあきが大きい。
角度により、きっちりと谷間が見えるようになっていました、女性営業の方全て。
男性エモノに商品の説明をしながら、微妙に、その谷間が見える角度を作るんですよね、相手に向かって。
男性エモノは、たいがい、おどおどと顔を上げない。
テーブルに広げられた「紙」と「胸」しか見ていませんでした。
そして、この「顔を上げない」パターンは、たいがい「ご成約」コースでした。
この商法、のちに「デート商法」として発展していくことになる。
わたしが見ていた光景は、その「先駆け」の頃だったのでしょうね。

*参考リンク
 悪徳商法・詐欺一覧

働かされるサービス

2005年10月04日 | つぶやき
ガソリンが高い。
この高騰のペースはなんなんだ、と思うほど、高くなった。
日常的に車を使ってる人間としては、たまらない。

ところで。
今夏あたりから、ウチの周辺で始まったサービス。
ガソリン入れる間、店員から丁寧に、雑巾を差し出される。
車内を拭くのに使え、と。
これは、ウチの地域以外でも一般的なんだろうか。

ガソリンを入れている間、ごしごしごしと、車内を拭きまくる。
ハンドルを始め、サイドブレーキや、窓の内側やら何やらと、座っている自分の手の届く周辺全て。
差し出された雑巾を返すときに、その雑巾が汚れていると、車内が汚れているのかと思われるようで恥ずかしい。
白くて「湿らせたタオル」と呼びたいような雑巾が差し出されると、汚して返すのが悪いような気がする。
それでも、なんだかいい機会という感じで、ごしごしとあちこち拭きまくる。

ガソリンを入れている間、店員が外側から窓を拭く。
わたしは座っている自分の手の届く周辺全てを拭く。
車の内外で、同じように「働いて」いる時間。
ガソリンを入れている間、なんだかとても忙しくなった。
「働かされるサービス」というのも、なんだかおもしろい。